アオザイは届かなかった。洋服屋に飛んで行き、昨夜の娘に「お代を返してください。バスが出ますから」と言うと、お母ちゃんは娘を大声で叱り飛ばし、私が昨夜払った紙幣を取り出してくれ、長距離バスの運転手に待ってくれるよう交渉したがバスは時間に出発、彼女は視界から消えた。わが娘へのアオザイは夢と消えたが、ホーチミンへ戻ってから作ってやろう、などと考えつつ大型バスの二階席でくつろいで10分も経った頃ふと窓外をみると・・・なんだか見たようなおばさんがバイク群の中にいる。おや、あれはアオザイ屋の娘の母ちゃんでは?どこへ行くの?ひょっとして彼女はこのバスを追っかけているのでは?
次の信号で彼女はバスに追いついた。だが彼女がバスのドアを叩く前に非情なバスは発進した。また彼女の追跡が始まった。どこまで追いかける気なのか。このバスが沿道のホテルの客を拾いつつフエに向かうバスと知っての追跡なのか。それに気づき、私は今朝受け取ったドルを手に持ち、二階席から下り、運転手横のドアのそばに立って待機した。やった!彼女は大きなホテル前で遂にバスに追いついた。ドアが開くと彼女が服を差し出し、私もすかさず代金を渡した。「遅れてご免なさい!」とお母ちゃん。「有難う!」と私。
ご存知ベトナムの道路はどこでもバイクの洪水だ。もし私の席が二階席でなければ、もし私の記憶力が良くなければ、彼女は見えなかった。もし彼女がバスに追い着けなければ、もし私がバスの入り口でお金を準備して立っていなければ、服と代金の交換は成功せず、二人の母の娘への思いは実現しなかっただろう。(彩の渦輪)