あけぼの

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マイカーで渡る最後のオハイオ川

2010-09-19 09:33:03 | アート・文化

 2010年の初秋のある朝、20年の生活に区切りをつけ日本に帰国するためオハイオ川を渡った。オハイオ州シンシナティからケンタッキー州へ、シンシナティ・ノーザンケンタッキー空港に向かうために。 1990年1月、夫、自悠人が、6月に妻、彩の渦輪がこの空港に降り立ち、シンシナティに住みついてから、あっという間の20年だった。自悠人は日本の中企業の支社代表として58歳で赴任、妻はその時52歳、着いた翌日ザヴィエル大学、大学院の門をたたき修士課程を始めた。日本で大学を出てから30年が経っていた。研究生を始めるとほぼ時を同じくして同大学で日本語講師となり、1991年には家を購入し、「地域住民、駐在員妻、大学院生、大学講師」の4役を楽しんだ。夫は3年後現地で停年退職したがその後メキシコ駐在代表となり、妻はシンシナティに残り、夫婦ともシンシナティとメキシコ・シティーの往復で一層多忙となったが楽しさに幅と深みが加わった。夫はその駐在の後オハイオに戻り、シンシナティ・アート・クラブの会員となり油絵を始めた。妻は55歳で修士号取得、暫くは教えるだけだったが58歳で博士課程を始め60歳で教育学博士号取得、朝日新聞衛星版に還暦博士号と紹介された。衛星版はメキシコも同じ内容で、メキシコ駐在中の夫は新聞を開いて、「あ、我が奥さんが載っている!」と微笑んだ。博士号取得後の呼称は講師ではなく助教授、後に准教授となる。日本文化を教えるに当たりありとあらゆる分野に挑戦し俳句を教え、プロも教室に招待、黒沢映画、アニメ、合気道、茶道、生け花は勿論教えたが、大学の音楽ホールに琴の奏者を呼び、自分もその日ピアノで「六段」を演奏したりと、シンシナティの多くの人々や学生たちと文化や心の交流をした。

 今、愛車、ニッサン・アルティマでオハイオ川を渡る。これが愛車で渡る最後だ。夫や親戚、日本からの友人や客等を迎える度に渡り、ここからの海外旅行に出る度に渡ったオハイオ川。今日が最後だ。空港に来る以外は自宅と大学往復だけだったこの車、日産の2台目でマイリッジが非常に少なく交通事故を起こさず、で新車同様ピカピカだ。先日結婚式に参列したScottが買ってくれたが、結婚式直前に持ち主の名前を変える手続きをした。ブログに何度か登場した教え子で、アイルランドへの新婚旅行から前日帰国したばかりのScott夫妻が空港に見送りに来てくれることになっており、その際愛車とキーを渡すのだ。オハイオ川は水面が朝日できらきらと輝いていた。左側にはサスペンジョン・ブリッジと、その下にかつて博士号記念パーティーを行った船のレストラン、マイクフィンクが静かに浮かび、右側には岸辺に小舟が繋がれていた。多くの思い出が走馬灯のように脳裏をよぎった。空港にはすでにScottと新婦、Deenaさんが来ていた。アイルランドの新婚旅行について聞き、車のキーを手渡してからチェックイン。別れのハグをしあい、スコット夫妻に見送られてセキュリティーへ。さよならマイカー、さよならシンシナティ!(彩の渦輪)