Blogご無沙汰して3か月弱、文章など書く気力が出ない事件とその余波で泣く日々だった。夫、自悠人に「死んで謝らなければ!」と思い続ける昨今だ。 昨年暮れの26日、夫が自転車から転倒、道端の縁石で頭を打ち救急車で恵・・病院に運ばれた。その時は意識がはっきりしており、道端に座って、「今救急車を待っているところです」などと近所の人に喋っていたそうだ。が、到着した病院で放置され、3日目の29日に溜まった血を除去する手術。年末には元気で看護師さんにあげる自著にサインをしていたという。病名は頭蓋骨骨折と脳挫傷で、左半身不随のうえ言葉が聞き取れない。いわゆるロレツが回らない、という感じだ。1月4日の医師面会時、医師は、「貴女の団那さん、昨年暮れの入院時医師が居なくて2日間放っとかれましたね!」と言った。が、後日この言葉は「言ってないよ!」と否定した。夫は1月14日までは元気だったようで、そのあたりで退院させていればこんなことにはならなかった!長く縛られていたのだ!知らなかった!
夫には1回も面会させてもらえなかったので夫の変化には気付かなかった。が、この病院には舌のリハビリを親身にやってくれる、言語聴覚士さんがいて、リハビリに良いからと夫に携帯電話を渡し、「リハビリのため」と電話で入院中の夫との会話を1度許してくれたぐらいなので、素敵なリハビリ聴覚士さんが居る良い病院だと思い込み、「夫にはリハビリさんのいる病院の方が我が家より良い」という意識だった!まさか抑制(手を縛られる)されているとは知らなかった!家より良いと思い込んで1か月と1週間後、主治医が「お宅の団那さん、認知症になったから出てくれ!」と2月20日に。退院の日にその主治医に「お話を聞きたい!」と申し込んだがなぜか予約センターの女性が「無理です!」と面会を拒否、退院の日は医師にも誰にも会えず、入院費40万円払って介護タクシーに乗った。車椅子に乗った夫は骨と皮、妻さえ認識出来ず、車中で涙ぐみつつ自分の手をさすり話しかける妻を不思議そうに見たり、手に触れるものをいじくったりしていた。筆者は夫に誓った。変な病院とは知らず、出してあげる時期を間違えた私が貴方を治します!死んで謝りたいけど、これから貴方を治す努力をしなければネ!」「一緒に認知症を治しましょうね!」。
もとらぬ口と身振りで「もう手を縛られなくていいなあ!」みたいなことを言ったので、帰宅後恵・・病院に「どれだけの期間どんな抑制をしていたのですか?」と電話で聞いたら、「昨年暮れから退院まで、紐で手とベッドを縛ってました!」と。「え?数か月も縛ってたの?!!! 紐の長さは? 」と筆者。「上半身ぐらいです!」と病院。「じゃあ動けないじゃない!」と筆者。“That's horrible!そんなこと許されるの?”
車を売ったのが不幸の始まりだった!3月一杯、保険も払ってあったのに!夫が運ばれたこの病院は、「運び込まれた怪我人や病人を放置する殺人病院とNetに出てるよ!」と友人が知らせてくれたのは後になってだ。が、過去を振り返っても仕方ないでしょう。未来を見なくちゃ!「ご免ね、私が治します!一緒に頑張ろう!」。たまたま夫の近況を尋ねてきたアメリカの友人にこのことを話したら、励ましてくれて、“Never give up!”と。はい、夫の心身、頭脳とも治るまで諦めません!(彩の渦輪)
「過去を振り返っても仕方ない。未来を見なくちゃ」その通り!その気力で自悠人様を支えてあげてくださいね。