あけぼの

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歓迎会、再会、取材、とCincinnatiでも出会いに彩られ

2015-04-06 09:29:09 | 旅行記、多文化教育、国際

 石宇ご夫妻と  Fort Wayne市長秘書さんと、高岡市から寄贈された兜の前で グリーンカードを持っている関係上、アメリカ出国1年以内に帰米しなければならない。うっかりし、アッと気付いたら1年目の4日前だった。今回はコロラド州を東奔西走しCincinnatiへ。着いてすぐ石宇さんご夫妻に歓迎の大ご馳走を頂いた。団那さまのTetsuyaさんはマイアミ大学教授、Yu ukaさんは筆者が以前UCの1カレッジで日本文化を教えていた時、教室や大ホールで実演をしてくださった茶道の大先生。勿論Testuyaさんが英語でご説明なさり、息の合った2人3脚で見事なご指導を学期ごとに何度かして頂いた。今小さいお子さん3人の親だが、Yuukaさんが手の込んだ和食を次々と作り大ご馳走!TetsuyaさんはBabyを抱っこしながらテーブルで談笑のまとめ役。一緒に招かれた田中ご夫妻は若き日Cincinnatiに入植、Japanese Ladies League等、長く活動されたが、来年西海岸へお引越しとか。「またこの3組で会いたいわね!」と願いあった。別の日、筆者の日本文化クラスに3年間在籍した元学生たちといつもと同じAppleBeeで夕食会。自悠人が所属していたCincinnati Art Clubも訪問、そのあと、隣のIndiana州、Fort Wyneへ自悠人の運転でInterStateを走った。Citizen’s squareに入ると、突然の訪問にもかかわらず市長秘書さんが声をかけてくださり、高岡市と姉妹都市だと、高岡市から寄贈された兜や日本コーナー等見せて頂いた。また、「全米1素晴らしいホーム」に2回ノミネートされたという老人ホームで93歳のドリスを取材した。ドリスは入居前Cincinnatiに住んでいたのだ。彼女の友人だったEnaを乗せて往復7、5時間、トラックは全て追い抜く自悠人の運転技術にEnaが感動して「Good job!」と言ってくれた。「Good Job, 自悠人!」(彩の渦輪)

 元教え子のBrianさん, Garyさん, Deena&Scottさん?右の2人も教え子?いえ、右端2人は過去20年間お隣さんだったSusan&Paul


機内で話しかけてきた一人旅4年生が「サダコと千羽鶴」を語った!

2015-04-05 08:39:50 | 旅行記、多文化教育、国際

デンバーからシンシナティ2時間半の航空機内。隣席には小学生が乗るからと事前にフライト・アテンダントが言っていた。4年生がシンシナティに行くという。セントパトリックデーをおばあちゃんと過ごすための1人旅、緊張したのは当然だろう。まずお隣はどんな人か気になったらしい。こちらの質問の機先を制して、「私、お祖母さんのところに行くの」。筆者は「何年生?1人で偉いね!」と言わざるを得なかった。彼女の名前は「ヘイレイ」。私が「日本のこと何を知ってる?」と聞いたら暫く考えていたが、「8月15日は日本の平和記念日!」と言った。日本の子ども達もあまり意識しない日なのに!感動していると、続いて、「Sadako and 1000 Cranes=サダコと千羽鶴」と、原爆の後遺症で死去した貞子の物語を思い出して伝えてくれた。日本の子どもはあまり読んでいないでは?学校で習うだろうか?そしてお菓子を出して私に勧める。言葉が通じなければ他の方法でと気を遣う。次にはi-Padを出して開いたが、4年生が筆者と同じものを持参しているのに驚いた。友達にメールしているのだろう。次には編み物を出した。2本の棒に編みかけた毛糸がつながっていた。続いてゲーム機でカチャカチャ。音楽も聴いた。次々とやることを変える。機外を見て筆者に何か質問したがよく聞き取れなかった。目は常に見開き、機内でも可能なことを試みる、準備したものを全部実行する行動的な少女だったがそのうち寝てしまった。思い出せば息子が同じく小学4年生の時、祖父母のいる郷里の米子まで一人飛行機に乗せた。が、果たしてこの少女のようにお隣席の人へ話しかけただろうか。いや黙って座っていただろう。これは米・日の違いはもとより、当然、家庭教育の結果に違いない。(自悠人)


魂を洗われる夢幻境で、惜春!

2015-04-03 15:12:05 | 旅行記、多文化教育、国際

惜春という言葉にはまだ早いが桜は例年のごとく3月末9分咲きに。急いで牡丹餅を作った。翌4月1日は予想通りポカポカ陽気で桜は満開。風はそよりとも動かず穏やかな花見日和。何十年ぶりに多磨墓地へ行くことにした。子どもが小さい頃よくでかけたことを思い出して。私は佐々木邦の墓で彼との対話を楽しみ、子供たちは思い思いの遊びを、誰もいない桜並木の傍らで。そして彼の墓近くの一際美しい桜並木でおにぎりを食べたものだった。

戦前のユーモア作家、佐々木邦の作品は子供のころ、兄の少年倶楽部で読んでからファンになり、「愚弟賢兄」「苦心の学友」「村の少年団」その他、読んだ本は数知れず。15巻の佐々木邦全集も求め、今も宝物だ。大学時代講義を受けた会田雄次氏は彼を評して、「佐々木邦はもし日本語という障壁が無かったら世界で最も知られたユーモア作家の1人になっていただろう」とWikipediaに。久方ぶりの多磨墓地だった。風はそよりとも動かず、名も知らぬ鳥の声だけが響く。ご近所の星先生と夫と3人、満開の桜と完璧な静寂を楽しんだ。喧騒を極める東京にこんな静かな夢幻境があることを誰も知らない不思議。魂を洗われるひと時。贅沢な時間。さようなら来年まで、私の桜並木。(彩の渦輪)