筆者がG-様再来訪で落ち込んでいた日、O地球村塾の常連、好一さんみち子さんご夫妻がワンちゃんの蓮君、桜ちゃんと、玄米、5分搗き米、白米3種を抱えてご来訪。「武州米の新米を自宅で精米した」と。筆者が玄米党であること、夫が白米党であることをよく御存じで、中間があるところが面白い。新米のご飯は冷めても美味しいですね。もうすぐ87歳のご母堂、エイさんお手作りの粉饅頭とおまけのあんこやお芋も。粉饅頭は地粉で手作り、歯応えがあり、中の餡子は薄味と、今時こんな超美味なお饅頭を作る人は稀でしょう。エイさんは人の世話や手作り料理をあげるのが大好きだそうだ。87歳で、です!みち子さんは23年来透析を続けつつお元気いっぱい、その元気を分けて頂きました。好一さん曰く、「異文化夫婦が否定しないで受け入れ合い共生している」ところが我々夫婦(?)と似ていらっしゃるそうな。はてさて、我々は確かに異文化夫婦ですが、“やっとこさ共生”夫婦でしょう。蓮君を抱かせて頂いて癒され、玄米餅にあんこを乗せて“チン”のぜんざいを頂くときも、餡子好き夫婦ゆえ夫婦善哉!(彩の渦輪)
4年前筆者に只乗りを始めたG-samaはその後毎年10月に再来、11月に手術と過去3年間、最初の大手術も入れれば4年間、追っ払い入院・手術を繰り返してきた。以前もこのBlogに登場したM君はM自然食品店を経営、筆者の玄米菜食の先生だ。自身も虚弱体質から玄米で体質改善し、夫婦で健康体謳歌。彼から教わり玄米菜食を初めて3.5年、筆者のG-samaは次第に遠慮し出し、今年は「来ない!」との予感があった。内視鏡検査の前日にM君のお宅にお邪魔し、ビデオを見せて頂いたり、チェコのドキュメンタリ映画、“Sugar Blues” (シュガーブルース:家族で砂糖をやめたわけ」のパンフで「砂糖は麻薬」のお勉強、玄米を始め玄米スープ、玄米餅、等多種の安全食品を入手、一緒にニコニコ写真におさまった。翌日の検査では「G-samaゼロ!」の予感…自信に近い…があったのだ。明日はこの写真と共に「お蔭さまで完治しました!」と感謝の辞を述べる予定だった。だが…検査結果は…またG-chanは下宿していた。ゼロとはいかなかった!2日間は落ち込んだかな?思い直してこれを書いている。大きくならず小さかったからまあ、いいじゃないの。目指せ完全治癒!来年こそ!(彩の渦輪)
シラーズからテヘランまでは航空機、乗る直前空港待合室で知り合ったビジネスマンのヴァヒード、飛行機の中では座席が離れ話すチャンスはなかったが、テヘラン到着から予約のホテル近くまで本当に親切にしてもらった。地下鉄、バスと、料金を我々2人分とで3人分支払った。払うと言っても取ってくれない。彼も尋ねながらの道案内、汗もかき大変な労力だったようだ。その後タクシーに乗せてくれ、我々の予約のホテルが見える所から、「これから会議があるので」、と急にUターンした。住所やE-Addressを聞く暇がない急な別れだった。親切を身に染みて感じたが世話になりっぱなしで、気になっている。いつかどこかで誰かに同様な親切でお返しするしかない。ミーラード・タワー 国際貿易センタ―と併合していて435mのタワーはお上りさんの集まるところ。眺めは大変良いがチケット売り場も乗る場も長蛇の列。何組もの家族から「一緒に寫真に入って!」と呼び掛けられモデルになった。日本人夫婦は珍しいようだ。 現在のイランは安全で活気に満ちている。旅行者は博物館の収蔵品に溜め息をつき国際色豊かなレストランで舌包みを打つ。付き合った人たちは心底親切だった。幾多の歴史的モスクも壮麗なコーランの楽園の美しさだけではない。ど肝を抜くピンクのモスクもある。暑い国のイメージーながらスキーリゾートもあり、温泉もある。政治次第で世界中の人々の観光の目玉になり得ると期待している。筆者は勿論次のイラン行きを計画している。(自悠人)
筆者は「ほんにマンが悪い!」=「ほんとに運が悪い」(鳥取県の田舎弁です)。4年前、東京米城会(鳥取県立米子東高校出身の関東圏人会)で副会長を受けた2日後にG-様発見、総会の2日後に入院、9時間の大手術、その翌年10月に転位が発生、11月に入院手術、3年前秋に再発、2年前、1年前と4回繰り返した。純粋に会長さんを助けようという気持ちで受け、何の野心もなかったが、Integrityを重んじる筆者としてはG様になったからとて、すでに受けた役を断ることは出来なかった。だが4年前、第一回の幹事会で皆様にお願いした。会の重要事項について協議する一次会は出ますが、二次会は失礼させて頂きます」と。会合は夜7時から半蔵門その他都内で、だ。二次会に出なくても帰宅は夜11時になるのだ。この会は元男子校、または男子の多い高校の出身者、従って幹事も圧倒的に男性が多い。ご存知、日本では…特に男性の多い集まりでは…二次会がつきもの、二次会では大抵アルコールで乾杯しますね。そこでです。役を引き受けた直後にG様になった筆者を心配した夫に約束させられたのです:「お酒は口にするな! 会合初日に『二次会は出ません』と宣言しておきなさい!」と。以上の経緯で米城会副会長を引き受けて以来の約4年間、一度も二次会に出なかった。だが…、昨夜は最後の幹事会、来る11月12日の総会の打ち合わせが終わると皆さんいそいそと「ももてなし」へ。もも=岡山県の桃&なし=鳥取県の梨、と、「おもてなし」のかけことばでしょうか?男性17人、女性3人全員だ。揺れたが筆者も行くことにした。これが最後の幹事会、最初で最後の二次会だ。噂に聞いていた「ももてなし」は鳥取県と岡山県の物産を一階で売り、2階は鳥取県レストランだ。鳥取県と岡山県の食材で料理、サーヴィス係りも米子東高や米子西高卒の大学生だった。ホタルイカの美味しい干物、帆立貝の燻製、豆腐竹輪、Etc。鳥取県と岡山県の名物料理、みんなみんなオイシカッタ!帰路の東京メトロ丸の内線や中央線で立ちずめながら考えた。素敵な笑顔で乾杯していた仲間と知り合った4年間は「マンが良かった!と考えることにしましょう」、と。(彩の渦輪)
毒蚊にやられた日医者に行った。駅前の立派なビル内にある新しい皮膚科だ。「蚊に刺されて腫れました!」。医者は筆者の顔を観察もせず、ましてや触りもせず、筆者の言葉にのみ反応し、「虫に刺されたんですね、薬を出します。塗り薬と飲み薬です」。筆者、「蚊の毒消し薬はありますか?」。医者、「蚊の毒消しは無い」という返事で、飲み薬は断り副腎皮質ホルモン剤の塗り薬だけ。この駅前ビルの医者は使用機器は新しいが診断能力は怪しく医療技術は低い気がした。もう利用しない方がよいだろう、と苦虫顔で帰ってきた。腫れは退くかな?
一方、ワイフもこの日医院へ。親指の怪我が50日経っても治らない。イランで擦り剥き、大したことないと、帰国してからも放置し続けたのだが、どうも内部で化膿したまま表面が塞がったように見える。ひょう疽を疑い、切開して中の血膿を出さないと治癒しないだろうと小さな医院へ。看板は内科、外科プラス整形だ。専科で外科の看板は珍しい。医者は夫、窓口係は夫人、長年2人3脚をやってきたような古い医院だ。医者は丁寧に患部を診て、「これはひょう疽ではありません。切開手術の必要はないでしょう。主婦湿疹だと思います。家事で手が濡れるから治らないのでしょう。今すぐ皮膚科へ行きなさい。今日の費用は頂きません!」。保険証も印刷し、しっかり診断もしてくれたのに、専門医ではないから、というわけらしい。待合室では次々とやってくる患者が常連らしく、「お蔭さまで…」とお礼を述べ、窓口の夫人とニコニコ会話、信頼関係抜群のようだ。「医は仁術」を実践して来た良心的な医者なのだろう。すぐに移動した皮膚科も駅前ながらビルではなく小さな商店街の中の2階で極く古い医院、30年以上開業して来たシニア医師だったが、診断は先ほどの外科の医師と同じで、治療も信頼できた、とワイフはニコニコ顔で帰ってきた。(自悠人)