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<経産大臣指定伝統的工芸品> 愛知 名古屋仏壇

2021-05-20 07:02:45 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「名古屋仏壇」

 Description / 特徴・産地

 名古屋仏壇とは?
 名古屋仏壇(なごやぶつだん)は、愛知県名古屋市周辺で作られている仏壇です。原材料にはヒノキ、ケヤキ、ビャクダンなど、高級な材質の木材を使用しています。
 名古屋仏壇の特徴は、台の部分が高く「みつまくり(台の前にある3枚の持ち上げ式扉)」を備えており、宮殿御坊造(くうでんおぼうつくり)という豪華絢爛な構造を持つことです。
 その昔は木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)がたびたび氾濫していたため、水害から仏壇を守るために、台は高く作られるようになりました。台の中に仏具をしまうための収納があったり、「組木ほぞ組み」という釘を使わない組み立て式構造なので、分解・組み立てがしやすく、補修や「お洗濯」というお手入れも簡単に行えるという合理性も兼ね備えています。
 名古屋仏壇の製造工程には、木地師(きじし)、荘厳師(しょうぐんし)、彫刻師、塗り師、蒔絵師(まきえし)、外金物師、内金物師、箔置き師の「八職」と呼ばれる職人がそれぞれ分業しており、職人全ての技術が揃わないと完成には至りません。これらの技術が造り出す仏壇は、「大きさ」+「木地型」+「宗派」+「造り」+「仕上」で組み合わされることから、数えきれないほど多種多様な型が存在しています。

 History / 歴史
 良質な資源を輩出する木曽地域に近い名古屋周辺は、かつて木材の集散地であり、仏壇製作に使用する材料を容易に調達できました。また、彫刻や漆塗りなどの仏壇に欠かせない高度な技術を持つ職人たち(神社仏閣の建築に携わる宮大工や寺大工)が多く存在していたことや檀家制度の確立が、名古屋仏壇を大きく発展させる礎であると言われています。
 1695年(元禄8年)、高木仁右衛門が「ひろや」という仏壇専門店を創業したことから名古屋仏壇は始まります。その後、尾張藩が仏壇業者たちを保護し、「株仲間」が組織されると、その技術は確固たるものと成長していき、住吉町(現・名古屋市中区栄三丁目)、七間町(現・名古屋市中区丸の内三丁目、錦三丁目)周辺を中心に仏壇製作は盛んになりました。
 幕末には下級武士の内職として広まるなど、様々な時代の変化とともに技術は育まれていきます。
 1976年(昭和51年)に、名古屋仏壇は国の伝統的工芸品として経済産業省から指定されました。現在では名古屋市中区門前町、橘町周辺を中心として二百数十以上の仏壇・仏具専門業者が存在し、業界では日本一の密集地と言われています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/nagoyabutsudan/ より

 

 「極楽浄土」の金を貼る
 名古屋仏壇の特徴は、台が高い、「みつまくり」と呼ばれる持ち上げ式の扉を台の前面に備えている、金箔を多用し豪華な作りになっている、などの点である。世帯数に占める仏壇普及率が全国平均の40パーセントを10ポイント近くも上回るといわれる名古屋で長年箔押師(はくおしし・漆塗りした上に金箔を貼り付ける専門職)の仕事を続けてきた丹羽進さんにお話を伺った。

 
 仏壇通りに並ぶ金仏壇
 名古屋の大須観音の南に門前町通という通りがある。大須から東別院方面に向かう商店街で、大小の仏壇仏具店数十軒が並ぶ「仏壇通り」だ。ショーウィンドーの中の名古屋仏壇は、大きく豪華で目を引くものばかりだが、特に目立つのは金箔が多用されていることで、これはこの地方で7割を占める浄土真宗大谷派(東別院)の仏壇の特徴だという。 今、主に出るのは高さ170センチ、幅66センチ、奥行き53センチ程度の20号と呼ばれるもので、そう大きくはないというが、都市化が進んだ名古屋にあってなお、このサイズの仏壇が売れるのだからすごい。

 金箔の厚さは千分の一ミリ
 丹羽進さんは祖父の代から続く箔押師の家に生まれ、19歳の時から50年以上この仕事を続けている。「簡単そうに見えるでしょう。でも、案外難しいんですよ。」と、丹羽さん。薄い紙にはさまれた金箔を箔箸という専用の箸ですっと取り、漆を塗った板に次々と貼り付けていく。これらは仏壇の扉の内側やご本尊の奥の壁などになる部分だ。すっ、すっ、と全面貼り付けると、竹棒に綿をくくりつけたもので金箔と金箔の継ぎ目の余分なところを払い落とす。地域の小学校の特別授業や伝統工芸品フェアなどで実演すると大人気だそうだが、希望者にやらせてみるとうまくいかない。厚さ千分の一ミリという金箔を箸でつまむことすらなかなかできない。手につけてくしゃくしゃにしてしまう。安いものではないだけに丹羽さんもはじめは苦労したという。


 気候・天候で変わる条件
 けれども、本当に大変なのは、箔押が気候や天候によって全く条件が変わってくる点だ。「風があるとだめなんですよ。」とおっしゃるので、飛んでしまうのかと思ったら違った。金箔を貼るために塗る押漆という漆が、風があるとなかなか乾燥しないのだそうだ。乾燥に時間がかかりすぎると金が変色して青っぽくなってしまう。風の強い春先が特に危険なのだという。また、梅雨時には湿気が多くて漆が乾きすぎる。乾いてしまうと金箔がつかないので、室の中で板で囲ったりする。真冬の雪が降るような時には乾燥するので、一升もの酒を吹きつけた板を立て、アルコールの蒸発で湿気を調節することもあったという。「今はエアコンがあるからずいぶん楽になりましたよ。親父の頃は扇風機すらかけられなかった。」


 仏壇は位牌を入れる箱ではない
 それでも湿気の調節は微妙で難しい。「死ぬまで修業です。」と丹羽さんはおっしゃる。けれども、昨今の不景気で 仏壇の売り上げは大幅に減った。さらに最近は、全国的な流れとして金箔や蒔絵を使わない仏壇が増えてきている。「現代仏壇」とか「家具調」といわれるもので、東京を中心に、紫檀や黒檀を使ったシンプルで小型のものが好まれるようになってきた。名古屋では従来の金仏壇が主流というが、大きく豪華なものは少しずつ減ってきた。海外からの安い輸入品も入ってくるようになった。「人数が減っちゃって、曲がり角が来たかなあ、と思う時もあります。」それでも、 名古屋仏壇組合には八職合わせて30人の若手職人がいる。 今36歳の丹羽さんの息子さんもその一人だ。「日本人はね、ある程度歳がいくと仏壇を見直すんです。他力本願かもしれないけれど、仏壇は廃れないと思います。」仏壇は位牌を入れておく箱ではなく、その家のご先祖を安置する「ミニ寺院」で、 仏壇の金色は極楽浄土を表すのだという話を伺った。


 職人プロフィール

 丹羽進 (にわ・すすむ)

 昭和5(1930)年生まれ。
 祖父の代から続く箔押師の家に生まれ、19歳でこの仕事をはじめる。
 八職からなる名古屋仏壇伝統工芸士会会長。
 息子さんも箔押師。


 こぼれ話

 仏壇供養祭

 仏壇は古くなったら「洗い」に出して、最低100年は使えるといわれています。けれどもさまざまな理由で仏壇を処分しなければならないとき、その処分方法には困ります。仏壇供養祭は、長年その役目を果たしてきた仏壇に感謝し、供養して処分するもので、昭和59(1984)年から毎年3/27に大須観音を会場に行われてきました。3/27は「日本書紀」によると、白鳳14(685)年のこの日、天武天皇が諸国に詔を出し、家ごとに仏舎・仏壇を安置して礼拝供養することを命じた日とされています。大須・万松寺から商店街を担がれて大須観音まで到着した仏壇は、住職による読教のあと、解体されて焼却されます。毎年30~40本の仏壇がここで供養・処分されています。

*https://kougeihin.jp/craft/0808/ より


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