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<経産大臣指定伝統的工芸品> 愛知 瀬戸染付焼

2021-05-17 07:34:54 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「瀬戸染付焼」

 Description / 特徴・産地

 瀬戸染付焼とは?
 瀬戸染付焼(せとそめつけやき)は、愛知県瀬戸市・尾張旭市周辺で作られている陶磁器です。「染付(そめつけ)」は一般的に磁器に施される絵付技法ですが、瀬戸染付焼では陶器に「染付」を施したものも含められます。
 瀬戸染付焼の特徴は、透明感があり柔らかな風合いの白い素地(きじ)と、写実的で繊細さが魅力の染付画です。
 瀬戸市周辺は陶土(とうど)の産地としても有名で、白い素地の原料も瀬戸産の「本山木節粘土(もとやまきぶしねんど)」や「本山蛙目粘土(もとやまがいろめねんど)」、「「猿投長石(さなげちょうせき)」など、地元産の陶土が使用されています。また、主に藍色に発色する絵具(えのぐ)の呉須(ごす)を用いて描かれる染付画は、瀬戸の自然や風景を写し取ったように描かれます。

 History / 歴史
 瀬戸染付焼の起源は、19世紀初頭(江戸時代)まで遡ります。瀬戸村(後の瀬戸市)出身の陶工(とうこう)・加藤民吉(かとうたみきち)が、九州の地で磁器の製造技術を身に付け、瀬戸に持ち帰り普及させたことが始まりです。そして、陶画工が瀬戸を訪れるさまざまな絵師(えし)より学んだ中国風の画法が、瀬戸染付焼の絵付技術を発展させていきました。
 19世紀中期(江戸時代)には、製造や絵付の技術が確立したと言われています。この時期に確立した、瀬戸の風景や自然を描く瀬戸染付焼の画法は、19世紀末~20世紀初頭(江戸時代)にパリやウィーンで開催された万国博覧会で評価され、ヨーロッパの芸術運動「アール・ヌーヴォー」にも影響を及ぼしました。、
 明治時代に入ると、瀬戸染付焼の生産はより盛んになります。食器や重箱などに加えて、テーブルや灯籠(とうろう)、花瓶(かびん)などの大型製品も製造されました。そして、この製造技術は現在もしっかりと引き継がれています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/setosometsukeyaki/ より

 愛され続けるやきものをつくって
 1300年の歴史を持つやきものの町瀬戸。多くの人が「せともの」ということばを「陶磁器」とほとんど同義語として使っているほどに瀬戸のやきものは長い間、多くの人々に愛用されてきたが、瀬戸のやきものも、その長い歴史の中で時代とともに移り変わってきた。染付焼自体、およそ二百年前に始まった比較的新しい技術だが、その後まもなくそれまでの陶器生産をしのぎ、瀬戸を代表するやきものになっていった。瀬戸の窯元の四代目に生まれて、瀬戸のやきものを見つづけてきた職人・加藤学さんにお話を伺った。

 
 工業生産全盛の時代に
 「当時は貿易一辺倒だったね。とにかく仕事も忙しかったし、もうかりもした。」加藤さんが家業のやきものづくりを手伝いはじめた昭和30年代半ばには、瀬戸のやきもの生産の多くが輸出用の無地の白いコーヒーポットや砂糖入れなどの製品だったという。今は中国などが主に生産しているコーヒーポットを加藤さんのお父さんも作っていた。けれども、小さい頃から絵が好きだった加藤さんが本当にやりたかったのは、おじいさんがやっていた染付焼だった。何年かして、ぼちぼちと勉強をはじめた。おじいさんが染付の茶碗などを作っていた頃は、近所一帯が染付をやっていて、その近所の職人さんに教えてもらったりして、当時はやる人が少なかった染付焼をはじめたという。


 絵がかけないと染付はだめ
 「染付はね、気に入った色がなかなか出ないんですよ。」呉須の調合と釉薬で色は変わる。ほとんど黒に近いような紺から明るい群青色まで、加減ひとつで変わってしまう。絵柄も、紙の上に描くのと違って丸いものに描いていくので難しい。近所の人に呉須の調合や筆づかいを習い、研究した。また、染付をやるようになって加藤さんは日本画を習い出したという。二百年ほど前に瀬戸染付焼の技法が完成した頃から、多くの著名な画家が染付焼の絵付をし、また陶画工を指導してきた。日本画の精緻な表現が瀬戸染付焼の特徴でもある。加藤さんの絵は今では人に教えているほどの腕前で、日展春期展に三回入賞しているそうだ。「染付はやっぱり絵が描けんとだめです。」と加藤さんはおっしゃるが、ほとんど下書きなしで一気に描き上げる瀬戸染付焼だからこそなのだろう。


 昔のような職人はもう出ない
 昔の職人はすごかったという。「たとえば、五段の重箱を作るんだけど、あっという間にパッパッと絵を描いちゃうんですよ。仕事だから早くなくちゃあならないんだ。それで、たまたま焼いたときに真ん中のひとつを焼きそこなったとする。そうしたら、隣のから三段目を持ってきて入れるとぴったりと絵が合う。そりゃあすごかったよ。」それでこそ職人、という。でも、そのような職人はこれからはもう出ないと加藤さんはおっしゃった。昔は同じ製品をそれこそ一万でも二万でも作って、それが売れたが、今は売れない。同じ物ではなく、少しずつ絵を変えたり、形を変えたり、多品目少量生産していかなくてはならないからだという。


 若い人に受け入れられるやきものを
 「手間をくう仕事なんだけど、そのわりに評価が低いんだよね。」と加藤さん。今の印刷技術は非常に高く、手描き風に作られた機械生産機械印刷のやきものなのか、本物の手描きなのかが、好きな人にはわかるが素人にはなかなか見分けがつかないという。大きな悩みだ。需要があるものは機械で大量に、安く作ってしまう。手作りの生き残る道はバリエーションをつけて、少しずつでも多くの種類を作ること。また、機械ではできない商品を考えること。機械よりも早く新しい商品をつくること。加藤さんはよく名古屋に出て、東急ハンズなどの若い人たちが集まる店に足を運ぶという。「若い人たちに何が受けているのか、新しいものをいつも考えています。」見せていただいた最新作は、ゆで卵立てを少し大きくしたような形のアイスクリーム入れと脚つきの香炉。絵柄も素朴でちょっと欲しくなった。そういえば最近は、ベトナムの手描きの食器がはやっているから、受けるのではないだろうか。

 染付焼は日本人の体質に合っている
 「瀬戸のやきものは日本人の体質に合っていると思うんですよ。だから、形は変わろうともなくならんと思うね。千何百年も続いてきたものが、急に絶えたりはしませんよ。毎日使っていても飽きないしね。」加藤さんは最後にそうおっしゃった。

 職人プロフィール

 加藤学 (かとうまなぶ)

 1935(昭和10)年生まれ。
 大学卒業後、四代目として家業の窯を継ぐ。
 伝統工芸士12人でつくる工芸士会会長としても全国で瀬戸染付焼の普及活動をするなど活躍している。

 こぼれ話

 アール・ヌーヴォーにも影響を与えた瀬戸染付の画風

 瀬戸染付焼の柔らかな白さと藍色の濃淡で描かれた花鳥や虫、風景画は、20世紀初頭、ウィーンやパリなどヨーロッパで盛んに行われた万国博覧会で高い評価を受け、世界にその名を知られるようになりました。瀬戸染付焼の作風は、ヨーロッパ陶磁器に影響をあたえるだけでなく、19世紀末に起こった芸術運動アール・ヌーヴォーにも影響を与えました。瀬戸染付焼の絵画的な技法は、古くから数多くの著名な画家たちが瀬戸を訪れて絵付を行い、また陶画工の指導にあたったことから大きく発展しました。山本梅逸(やまもと・ばいいつ1783~1857)や横井金谷(よこい・きんこく1758~1832)などの名がよく知られています。

*https://kougeihin.jp/craft/0409/ より

 


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