4月24日に亡くなった母の「初七日忌」に続き「二七日忌」を昨日7日、GWで帰省中の次男家族を含めごく身内だけで済ませた。さらに三七日忌、四七日忌、初月忌、五七日忌、六七日忌、七七日忌(四十九日)、百ヶ日、一周忌……と続く。
この中で七七日忌(四十九日)は、初七日から七日ごとに受けた裁きにより来世の行き先が決まる最も重要な日で、「満中陰」と呼ばれている。故人の成仏を願い極楽浄土に行けるように、家族や親族の他、故人と縁の深かった方々を招いて法要を営むことになっている。
母の場合、四十九日は正式には6月11日になるが、『四十九日は3ヶ月にまたがらないほうが良い』という慣わしに従い、三十五日を過ぎた5月30日に「四十九日繰上法要」を営む予定にしている。これは「始終苦が身につく(四十九が三に月)」という語呂合わせの迷信のようだが、我が家はごく身内でやりたいとの思惑もあり、集まりやすいこの日になった。
それといつまでも母の死を嘆き悲しんでいても仕様がないし、仏のことを考えればふた月くらいで地に足をつけ、供養に、また自分の人生に勤しまなければという思いもある。
この中で七七日忌(四十九日)は、初七日から七日ごとに受けた裁きにより来世の行き先が決まる最も重要な日で、「満中陰」と呼ばれている。故人の成仏を願い極楽浄土に行けるように、家族や親族の他、故人と縁の深かった方々を招いて法要を営むことになっている。
母の場合、四十九日は正式には6月11日になるが、『四十九日は3ヶ月にまたがらないほうが良い』という慣わしに従い、三十五日を過ぎた5月30日に「四十九日繰上法要」を営む予定にしている。これは「始終苦が身につく(四十九が三に月)」という語呂合わせの迷信のようだが、我が家はごく身内でやりたいとの思惑もあり、集まりやすいこの日になった。
それといつまでも母の死を嘆き悲しんでいても仕様がないし、仏のことを考えればふた月くらいで地に足をつけ、供養に、また自分の人生に勤しまなければという思いもある。