fbf 小林よしあき さんの日々の「ぬい撮り」を楽しみにしていますが、今朝の1枚には「仁丹」をあしらっておられたので借用させた頂きます。
仁丹に纏わる話ですが、高校時代に英語(グラマー)を教わった恩師を思い出さずにいられない。木村純雄先生は常に仁丹を噛みながら苦み走った顔をして小難しい授業をされる、若干30歳そこそこの阪大出のエリート先生でした。
高校卒業後半世紀を経て窯元木村興楽園に恩師を訪ねると、若干耳は遠いながらも、益々頭脳明晰で、半世紀前のエピソードを鮮明に記憶しておられた。小生が長年抱いていた疑問点の2つ、3つに即答され、我らのことをフルネームで呼びかけてくださるほど。
小生の不躾な「何故いつも仁丹でしたか?」の問いに、「人前で(口臭の)不快な思いをさせたくなかった」とサラリとお応えになって、甚く感じ入った次第。社会人になってからもこの“仁丹”が脳裏に焼き付いており、上着の内ポケットにいつもしのばせていた小生です。(お断り:facebookに同文掲載)
※当時の大人にとっては常備するものだったようです。小生の時代になると「グリーン仁丹」(写真右)なども併用していました。
仁丹に纏わる話ですが、高校時代に英語(グラマー)を教わった恩師を思い出さずにいられない。木村純雄先生は常に仁丹を噛みながら苦み走った顔をして小難しい授業をされる、若干30歳そこそこの阪大出のエリート先生でした。
高校卒業後半世紀を経て窯元木村興楽園に恩師を訪ねると、若干耳は遠いながらも、益々頭脳明晰で、半世紀前のエピソードを鮮明に記憶しておられた。小生が長年抱いていた疑問点の2つ、3つに即答され、我らのことをフルネームで呼びかけてくださるほど。
小生の不躾な「何故いつも仁丹でしたか?」の問いに、「人前で(口臭の)不快な思いをさせたくなかった」とサラリとお応えになって、甚く感じ入った次第。社会人になってからもこの“仁丹”が脳裏に焼き付いており、上着の内ポケットにいつもしのばせていた小生です。(お断り:facebookに同文掲載)
※当時の大人にとっては常備するものだったようです。小生の時代になると「グリーン仁丹」(写真右)なども併用していました。