〈リバイバル・アーカイブス〉2022.8.1~8.15
原本:2018年7月12日
2018年7月10日 富田林市彼方(おちかた) 石川
赤い欄干の橋は「高橋」。背後の山は和泉山脈。真ん中の高い山は岩湧山。
先日の雨で増水しています。
ここは大和川に注ぐ石川の中流に当たります。人の頭くらいの大きめの石がかなり混じります。
人の背丈ほどもある巨石が2個。花崗岩です。どこから運ばれてきたのでしょうか?
川の中ほどに頭をだしている、あれは何でしょう?
これは化石です。幹回りが4.5mもある立木の化石です。根元部分が残っています。
針葉樹で、メタセコイアの可能性が高いことがわかっています。
〈画面をクリックすると拡大します〉
おっと、沢ガニがいましたよ! 本流では、はじめて見ました。
石川の石をよく見ると何種類かの石に分けることができます。
花崗(かこう)岩のなかま 白っぽい感じでゴマ状の黒い斑点があるもの
火成岩の中で、深成岩に属します。花崗閃緑岩や閃緑岩に近いものも見られます。
後に熱変成を受けた片麻岩質のもよく落ちています。
上流部の金剛山地など領家(りょうけ)帯(花崗・片麻岩帯)のエリアから流れてきたものと思われます。
岩そのものは、一億年ほど前に地底深くで、マグマが長い年月をかけてゆっくり冷えて形成され、場合により一部は熱変成をうけて、その後地殻変動により隆起しました。
この石、石垣や家の礎石、またお墓の墓碑・お地蔵さん・道標などによく使われていますね。
砂岩 グレーっぽいもの、やや鉄さび色のものなど砂が固まってできた堆積岩
石川本流の最上流部、和泉山脈にある蔵王峠付近の和泉層群から流れ着いたもの。いわゆる和泉砂岩です。
この和泉層群は,まだ恐竜がすんでいた時代(白亜紀)である約7500万年前に,主に海の浅いところでたまった地層でその後の地殻変動で地表に出てきています。砂や石ころ(礫)、泥が互層となっています。
淡路島や泉州ではアンモナイトや二枚貝などの化石を多く産出し、化石採集できるところもあります。
この石も石垣やお地蔵さん、古い江戸時代のお墓の墓碑などによく見られます。
花崗岩よりは加工がしやすいようです。
「俺って、なんなの...」
たぶん、7500万年前に生まれた、「和泉 層群」 くんであろうかと思われます。
〈2014.1.23.確認〉
小石が混じっているのは礫(れき)岩
同じく和泉層群の礫岩です。砂岩と同じく堆積岩で、砂岩と同じ地域で形成されました。
礫には砂岩だけでなく、チャートや花崗岩類などの石も含まれています。
チャート
石川で小石として拾えるチャートは石の表面がつややかなものが多く、緑、白、茶色などいろんな色のものがあって、白い縞模様が入っていたりします。
硬い石で、マッチやライターがない時代は火打石に利用されていました。
この石川では花崗岩類、砂岩の次によく見つかります。堆積岩の一種で主成分は二酸化ケイ素。4000m以上の深い海で、この成分を持つ放散虫・珪質海綿、珪藻などの生物の死骸が海底深くに堆積してできたもので、その後の隆起により近くに出てきたものと思われます。チャートは二億五千万年前から一億五千万年も前に形成されました。
だだし、チャートは花崗岩や和泉砂岩のようにそのエリアの基盤岩であるわけでなく、大阪層群(数万年~100数10万年昔の間に堆積した地層群)や周りの河岸段丘堆積物の中に含まれているチャートの小石が、石川の浸食作用により流されてきたものと思われます。
チャートが基盤岩になっている地域は近くでは大阪北部の山や愛宕山のように京都西北部の山なので、そこの岩盤が浸食され、長い年月を経て石ころになったものが大阪層群に堆積され、また大阪層群が河川の浸食堆積作用により河岸段丘堆積物になったものがさらに浸食され、最終的にここにあると考えられます。ややこしい。
安山岩
これは汐の宮火山岩です。玄武岩に近い安山岩で、サヌカイトに岩質が近いのでサヌキトイドとも言われています。
ここ高橋の2km上流に川の中に「横山潮湧石」があり柱状節理と冷泉の湧出が見られます。この柱状節理の安山岩が剥がれて流されてきたもので、元の位置が近いのと安山岩が比較的硬いため、あまり角が丸くなっていません。
白っぽいグレーをしていますが、サヌカイトやサヌキトイドの特徴で、割ると真っ黒な岩質が現われます。
〈画面をクリックしてください〉
流れ着く前にあった場所はここです。: 私の富田林百景+ 「 横山潮湧石 」 2013.10.04.
横山潮湧石 2016 2016.12.2.
これらの石はいろんなエリアから流れ着いてくるのですね。
文字通り石の川、「石川」
日本書紀 仁徳天皇十四年(386)に、「...掘大溝於感玖 乃引石河水...(...感玖(こむく)の大溝(おおうなで、おおみぞ)を掘る。すなわち石川の水を引く...)」と記載されています。
*感玖(こむく)は石川郡紺口(こむく)に比定され、現在の富田林市竜泉周辺に当たるそうです。
1600年以上前から、石川と呼ばれているように石の川、「石川」。
早春の雪国のような、雪解け水で増水しているようにも見れます。
撮影日:2018年7月10日
2018年7月12日 ( HN:アブラコウモリH )
まだ、高橋の近郊は魅力あると思っております。