〈リバイバル・アーカイブス〉2023.4.17~5.1
原本:2019年5月8日
2019年5月7日 12:09 堺市美原区今井192 大宝山 法雲禅寺
「美原の法雲禅寺のつつじがきれい。」との情報をいただきましたので、さっそく出かけてきました
山門の脇にある、「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」の石碑。
「強い香りの野菜(にんにく、にらなど)と酒は禅僧の修行の心を乱すもとになるから、寺の境内に持ちこんではならぬ。」
山門をいると、つつじの壁に圧倒されます。
普通つつじは背の低い低木と思っていましたが、ここのつつじは背が高い。人の背をはるかに超えてそそり立つつつじにびっくり!
堂宇や観音様が隠れるくらいのつつじの壁。
境内どこに居ても観音様に巡りあえる...
ここにも...
ここにも...
ここ法雲禅寺は黄檗(おうばく)宗の禅寺です。
黄檗宗は日本の三禅宗のうち、一番後の江戸時代に始まった宗派。江戸時代初期に来日した隠元禅師(1592 - 1673年)を開祖とします。 明からの帰化僧 隠元禅師は1654年に日本にインゲン豆を持ち帰ったと云われています。本山は、隠元の開いた宇治市の黄檗山万福寺。
三禅宗とは曹洞宗(道元禅師)、臨済宗(栄西禅師)、黄檗宗の三宗派。
そして、法雲禅寺は、黄檗三傑の一人、慧極道明(えごくどうみょう)禅師によって、寛文12年(1672)に開山された禅宗の黄檗宗の中本山格の寺です。1万坪の境内には山門・天王殿・大殿(だいでん)・開山堂・耀先殿(ようせんでん)・方丈・鐘楼などがあり、建築当初の伽藍構成を今に残しています。
大観音像と大殿
大殿は本堂に当たる建物です。
大殿から見た天王殿
大殿の手前に天王殿があります。これは黄檗宗独特のお堂で、正面に布袋尊(弥勒菩薩)が安置されてます。まず最初に布袋尊にお参りすることによって、その大きなお腹に人間の持っている煩悩や、欲望を取り払って戴きます。その後、他のお堂に参り、帰りにもう一度参ると、手に持った布袋から「徳」を与えて下さるという 言い伝えがあり、ここに安置しています。またこのお堂はその名が示す通り四天王が四方に安置されており、侵入者から寺を護っておられます。(法雲禅寺HPより)
大殿(本堂)
黄檗宗で読まれるお経は唐韻といって、現在でも中国から伝わった当時の発音で読まれるそうです。
大殿には本尊の釈迦如来・薬師如来・阿弥陀如来の三尊とともに、3333体の大小の仏像が安置されています。
使用されてすり減った木魚
白いつつじ
うすいピンク
濃いピンクのつつじ ヒラドツツジでしょうか?
満開を少し過ぎた頃かと思います。
山門を過ぎて直角に左に曲がり天王殿
布袋尊が安置され、四天王が守ります。
つつじ垣根の細い通路
山門の屋根に狭山藩北条氏の家紋 三つ鱗
大殿裏の墓地
狭山藩第11代藩主北條氏燕(うじよし)の墓があります。
「旧狭山藩主 従四位 北條氏燕之墓」
戒名は大覚院殿道温仁仙大居士。特に藩主や旗本クラスには戒名に「院殿」が付きます。
おそらく藩主の威光にあやかって、墓碑の欠けらを持ち帰ったふとどき者がいるはずです。
開山の慧極道明(えごくどうみょう)禅師の碑
歴代の僧の墓
大殿の扁額
青い空にたなびく白雲、観音様のお慈悲に、満開の躑躅(つつじ)...何か俗世界を離脱した感がありますね。
実は富田林市にも黄檗宗のお寺があります。しかも、3つもあります。
甲田の養楽寺、加太の龍雲寺、別井の慈眼寺です。一地方都市で3つも禅宗、しかも黄檗宗のお寺があるのは珍しいのではないかと思います。
甲田の養楽寺 加太の龍雲寺 別井の慈眼寺
関連記事:黄檗宗 智福山龍雲寺の蓮 2016.7.21.
撮影日:2019年5月7日
関連記事:つつじ(15)
2019年5月8日 ( HN:アブラコウモリH )
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