2017.07.26 午前10時 本日の天候 曇り 最高気温 32℃ 湿度 70~80% 蒸し暑い一日
19代允恭天皇陵、大型前方後円墳、河岸段丘のうえにあり、空濠となっております。
允恭天皇陵より少し東に、東西に向う「長尾街道」、南北に向う「東高野街道」が交差している。
国府八幡神社(こうはちまんじんじゃ)本殿は江戸中期建造、拝殿には万延元年(1860)の棟札あり、最近修復が加えられた。境内に裕福な狛犬か。
国府遺跡(こういせき)旧石器時代から中世に至る集落遺跡。縄文時代から弥生時代の人骨が計90体検出された。飛鳥時代の廃寺の、塔心礎(とうしんそ)。
中甚兵衛像、今米村(現、東大阪市)の庄屋、付け替え推進派の中心人物
大和川と石川の合流地点
大和川付替えは、宝永元年(1704)に竣工しました。幕府は、元禄16年(1703)10月に大和川の付替えを決定、翌2月から八か月で、延べ245万人による、幅180m、全長14.3kmの大工事を行ったのである。
写真、左カーブが竣工前は直進していた。
線刻壁画(説明用レプリカ)…釘のようなもので壁に直接刻まれている。
羨道(えんどう)や玄室などを掘る際には、手斧(ちょうな)を使ったと思われる。
玄室の線刻壁面
木棺が多いが、造り付け石棺も見られる。造り付け石棺とは、横穴を掘り込む際に石棺部分を残して堀ったもので、石棺は床面・壁面が一体となっている。
「李王並同妃両陛下台覧横穴」碑。背面「昭和16年4月18日建之」。韓国の皇族(朝鮮王朝)
横穴は、丘陵斜面や崖面を掘って造られた墓で、掘られているのは、比較的加工しやすい凝灰岩層が露頭した部分で、横穴を掘り進め、墓道など広いスペースの所は鍬が使えるが、羨道(えんどう)や玄室を掘る際は、幅5~10㎝ほどの刃を持つ小型の手斧(ちょうな)を使って掘り進めたと考えられる。なお、墓道・羨道・玄室と手前から仕上ながら掘り進んでいることもわかる。内部は、平面が方形で、ほぼ垂直に立ち上がる壁面と、天井がドーム状に丸くなるのが基本的な構造である。
なお、「大和川のつけかえ工事」 2016.09.17付で当該館の特別展示分をアップしております。
上の「」をダブルクリックすれば、内容が見られます。
2017.07.28 kusu
早速のUP、拝見しました。
柏原市にあのようにたくさんの遺跡・史跡があるとは全く知りませんでした。
汗をかきながらの探訪も、楽しかったです。
ありがとうございました。
また、行きましょう!!
大和川のつけかえ工事のリンクがうまくいかなかった。
又、調べておきます。
「大和川のつけかえ工事」
リンク張ってみました。
お断りなく、御免なさい。
又、学習会の時にでも、方法をご指導下さい。
石灯籠や碑もありましたが、古そうで印象に残りましたので、アップいたしました。
今後ともよろしくお願いいたします。