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大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

【長編】池底ツアー2025

2025年02月19日 | イベント

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令和元年(2019)から始まった「池底&博物館ツアー」は、一度令和3年(2021)にコロナ禍で中止になりましたが、今年で5回目の開催になります。

ことしも約350名の応募があり人気のツアーですが、抽選で選ばれた約200名の方が参加されました。

 

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外周が約2.6km、館内約0.4km 合計3kmの行程です。

 

2025年2月11日 11:00 狭山池南側

池の半分くらいが干上がっています。地形的なこともあり全部水を抜くことはできないそうです。

例年、農業用水の不要な時期、10月頃から池の水を抜いていて、現在も継続中。2月末まで抜くそうです。3月からまた貯水しても、4月の水の必要な時期には間に合うそうです。

 

12:25 今年も13班に分かれ、リーダー・サブリーダーが17名見当で参加者を案内します。

ここさやか公園はもともと狭山藩一万石の北条家の下屋敷があったところで、北条氏は小田原の戦国大名の末裔。五代藩主 氏朝の時に藩士が増え、ここに下屋敷を建設。敷地は自領でなく半田領でその藩主小田原藩大久保氏より年三石六斗で借りていました。

 

12:29 少し早く来られた方から出発します。基本4分おきに順番にスタート。

そして、戦前の昭和13年(1938)に狭山遊園として開園。戦時中は芋畑。昭和27年(1952)に競艇場「狭山競走場」として利用されましたが、都心部から遠いため昭和30年(1955)に競艇場は住之江競艇場に移転。その後、昭和34年(1959)に狭山遊園が再開しましたが、平成12年(2000)に惜しまれながら閉園しました。

 

12:43 今日は風が強くとても寒い一日でした。東岸からの狭山池の説明。対岸の龍神社の鳥居が見えます。

北堤の高さは18.5mもあります。飛鳥時代(616年頃 推古天皇24年)の最初の堤の高さは5.4m。幕末 安政の改修(1857~1859)では13.8m。

池の周りの遊歩道は2850m。農業用水180万㎥、洪水調整機能100万㎥、総貯水量280万㎥。

 

12:55  湾曲した池の周りが印象的な遊歩道。

昭和57年(1982)8月に大雨で西除川下流部が氾濫し三千戸を超える浸水被害がありました。これを契機に狭山池を治水ダムに改修する工事を行ない、百年に一度の大雨にも耐えれるようになりました。(時間雨量80ミリ、24時間雨量230ミリに対応)

 

池の南側にある人工のわんど(湾処)

本来「わんど」は川の本流と繋がっているが、河川構造物などに囲まれて池のようになっている地形のこと。明治期に淀川に設置された水制群に土砂が堆積しできたよどみを「わんど」と呼びました。

 

13:07 先に行かれたグループが南側の池底に到着。

ここのわんどは平成の改修の時に、池の水が干上がっても水生生物が生き残れるように、また野鳥が休める場として人工的に作られました。

 

ワンド近くは野鳥の楽園。モズがいました。

 

12:59 南側の干上がった池底を歩きます。

平成の工事は昭和63年(1988)に着手、平成14年(2002)に完成、実に14年にわたる大改修が行なわれました。

 

13:22 広大な池底。参加者の方が踏みしめながら歩いておられます。

足場は北に行くほどややふんわりしていますが、砂質の歩きやすい池底です。南の上流側は砂がしっかり固まった感じ。

 

13:06 ことしはわりに先の方までしっかり行くことができました。池の水を抜く理由は2つあります。

ひとつは水質改善のため。夏場のアオコの発生を少なくすることが目的です。池底に日光を当てておくと池底に貯まった窒素化合物などの栄養分が水中に溶け出す量を減少させることができるそうです。それでも例年夏はアオコが発生し、緑色の水面になっていました。以前に比べ流入する栄養分がふえているのでしょうか?

 

13:15 初めての方はこの広大さにびっくりされたと思います。

ふたつ目は上流から流れてきて溜まった土砂を撤去するためです。平成26年から毎年されています。

南側の西除川(天野川)の流入部の沈砂地から土砂を運び出します。

 

13:18 今年は常時満水位がマークされています。

南側の上流部なのでこの程度(2.5m)ですが、最深部は7m位。でも、思ったほど深くはないのですね。北堤側は全部水を抜いても、干上がることはないそうです。

 

一番南側の少し高まった池底には河岸段丘堆積物と思われるしっかりした未固結堆積物があります。ここの粘土状の砂は固まっています。(岩にはなっていない)

ボコボコした丸いゾウの足跡にも見えるところもあります。しかしここは大阪層群ではないのでアケボノゾウ足跡化石ではないですね。

 

川の流入部は浸食されて滝のようになっていました。

 

水質に鉄分が含まれているのか、鉄バクテリアによって赤い川のようになっているところもあります。

 

13:42 西側の堤防を解説聞きながら歩きます。周囲の山々、東は二上山、大和葛城山、金剛山、南に岩湧山、和泉葛城山など、きょうは空気が澄んでいてよく見えました。

 

13:40 西除常用洪水吐(こうずいばき)

ここと隣りの西除非常用洪水吐が狭山池ダムの治水機能で100万㎥の洪水調節容量を持ちます。

ここが越流するまでは180万㎥の農業用水を貯水し、それ以上は放流する越流堤。さらに水位が上昇すると西除非常用洪水吐から越流します。

もっと急激に水位が上昇すれば東除洪水吐からも合わせて越流します。

 

13:51 二上山がきれいに見える西除常用洪水吐での解説

現在の洪水吐(江戸時代は除 よげと呼んでいた)は常用洪水吐と非常用洪水吐の二段構えとなっていて、有事の備えを万全にしています。これができる前までは大雨が降ると除から大量の水が落下し、滝壷ができるとともに、コンクリートのない時代は幾度も決壊し、下流の村々に洪水を引き起こしました。

 

13:57 まもなく龍神社。東の山々の解説に耳を傾ける参加者。

 

龍神社は幕末、嘉永六年(1853)に雨乞いの神様「善女大龍王」を狭山池の西堤の祠に勧請されました。

あとの時代の民話として狭山池の龍が雌の龍とされるきっかけはこの「善女大龍王」から来ているようです。

 

14:03 龍神淵は直径27m、深さ5mのすり鉢状の人工的に造られた窪みです。

平成工事でこの窪みの底に陶器の壺(高さ21cm×口径20cm)が発見されました。その中にはご神体が入っているようで、中を開けずにそのまま埋め戻されました。。それ以前は、池の外の西除の滝口にあったようです。また、この龍神淵は池干しや池さらえした時の龍神の避難所でもあるそうです。

 

14:06 くっきりと普段の水面の跡が付いています。

龍神淵は安政の改修(安政四~五年 1857~58)でけが人がが出たとき、西除の滝壷を埋めたのが原因とされました。このため池が干上がっても水が残るよう「龍神淵」を掘りました。ここに「如意宝大龍王」(雄の龍 富田林の粟ケ池からやってきたとか)を祀り、淵の底に壷を埋めたことが狭山藩の藩医をしていた壷井家の文書に記されています。

 

14:06 ここでの解説が終わり、参加者と談笑するスタッフ。

 

14:17 狭山池の龍神伝説

夫婦である2匹の龍神(大蛇という説もある)は雄が粟ケ池(富田林市)、雌は狭山池と夫婦別々で住んでいました。

雌の龍神が毎夜、夫のもとに通うのですが、その巨体で田畑の作物はなぎ倒され、運悪くそこに居合わせた人や牛馬を丸呑みにしながら行くので、人々は困り果てていました。

村人たちは話し合いの末、夫の龍神を狭山池に迎えて一緒に住んでもらおうということになりました。

そして、狭山池に祠と龍神淵を造り、狭山池の龍神と粟ケ池の龍神をそこに導きました。

その祠が龍神社で、そこに狭山池の雌の龍神が住み、雄の龍神が住んでいたのは龍神淵だという伝説です。

 

14:18 普段堤防からは淵底が見えません。

水が抜けると思っていたら、池が干上がっても龍神さんが困らないようにちゃんと水がありました。ただし、2023年のようにもっと水面が下がるとここの水も干上がります。

 

14:15 鳥居前の説明版での解説。

 

14:40 国史跡 狭山池の記念碑。平成27年3月10日に狭山池が国の史跡に指定されました。それを記念して作られた碑。

ボランティアさんの説明によると、この碑には秘密が隠されていて、幅が史蹟に指定された年2015年の「2015ミリ」、奥行きが狭山池が築造された616年にちなみ「616ミリ」だそうです。

しかも狭山池で重源さん中心に25もの石棺や天井石が再利用されていますが、当時石室に主に利用された高砂市の竜山石(凝灰岩)でできているそうです。

 

14:42 北堤では各班がこだわりの解説。

 

14:53 ここの標高は85.7mとかなり高く、いろんなものが見えます。見る場所を変えると次のようなものが見えました。

 

大阪城 真ん中あたりに右半分だけ見えています。

距離:20.2km、高さ:41.5m、石垣の高さ:13.3m、総高:54.8m。標高34mの上町台地の上に立地しています。

狭山池の北堤の高さは大阪城の天守閣のてっぺんの高さとほぼ同じだそうです。

 

オオサカホイール(大観覧車)&太陽の塔  

オオサカホイールは万博記念公園のエキスポシティにあります。距離:33.4km、高さ:123m、高さ日本一、1周18分

太陽の塔は左端真ん中に小さく顔を出しています。高さ70m。

 

あべのハルカス

距離:15.9km、高さ:300m、60階。ビルの高さ日本第二、駅ビルとしては日本一。

 

通天閣

距離:16.8km、高さ:108m 電柱のすぐ右側に見えますか?

 

15:01 博物館の滝。ちょうど15時の放流が見れました。

屋根から流れ落ちる滝は30分に1回見れます。

 

15:05 狭山池の堤防の断面

高さ15.4m、幅62mの堤体はかつて存在した中樋付近から採取されました。

 

15:10 巨大な堤体を見上げながらの解説。

北堤をはぎ取る形で保存処理がされています。

 

15:15 リーダーの解説に熱がこもります。参加者も2時間近くも歩いた後でしたが、熱心に解説に耳を傾けられていました。

 

15:29  狭山池の水利についての説明図。

大和川付替え(宝永元年 1704)前は、仁徳陵や四天王寺付近まで農業用水を供給し、平野川、第二寝屋川を経由して最終的に大阪城の東で大川(淀川)に至り、最終的に大阪湾に注ぎました。

 

15:55 子どもたちも時間を忘れて、一生懸命聞いています。

3時間以上にもわたる池底ツアーと博物館の展示解説、みなさんよく頑張られました。

参加者の皆さんはこの後、アンケートに答えられ、記念品を受け取られました。

 

今回参加されたスタッフの方々。

ボランティアの皆様、お疲れ様でした。たいへん長い時間ありがとうございました。

狭山池博物館、郷土資料館、博物館ボランティア、富田林土木事務所、さやか観光会、大阪狭山市、狭山池まつり実行委員会ほか多くの方々の協力により毎年開催されています。

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撮影:2025年2月11日

2025年2月19日 アブラコウモリH

 

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