南河内郡河南町寛弘寺 老人集会所前に太神宮灯籠があります。
「火袋」の部分は欠損していて、金属枠が入れられています。
独特のくずしですが、「太神宮夜燈」と読めます。
花崗岩製のこの石灯籠、かなり銘が風化していて読みづらいですが、「宝暦庚辰(かのえたつ)十年 九月十六日」と書かれているようです。
とういうことは、南河内最古の太神宮灯籠のひとつということになります。
南河内では、太神宮灯籠はこの時期が最初で、この後の「明和」、「安永」、「天明」、「寛政」と続いて作られています。
実はここの「太神宮灯籠」は、「おかげ灯籠」でもあります。
「竿」の東側部分に「於かげ」と彫られています。風化してかなり見にくいのですが、よくよく視覚と触覚を駆使すると、竿の上部から、「於(お)」、「か(かの「点」は江戸期には書かれていないものが多い。)」、「げ(ここの「げ」は「点々」が彫られているようです。)」と読めます。「か」のすぐ下に、右寄りに「げ」が書かれているのがわかります。
「於」「か」「げ」
それと基礎の角に「盃状穴」が深く彫り込んであります。
南河内・泉州地域に多い盃状穴は。ここにもありました。
これは、別の盃状穴 4つの角に深く彫られています。
ここにも、江戸時代のこの地方の民間信仰、盃状穴-おもに女性の安産や授かりものを願う心が読み取れます。
この盃状穴、もちろんこの灯籠ができて後の時期に彫られたものです。
寛弘寺地区 老人集会所は千早街道沿い(大阪府道・奈良県道705号、富田林五條線)にあります。
南河内東南部(太子町・河南町・千早赤阪村・富田林市・河内長野市)には、これ以外にも近世・中世の歴史的石造物がほんとにたくさんあって、びっくりします。
河南、千早赤阪村はだんじり祭りの盛んな地域です。自販機も年がら年じゅう、この通り。
さりげないところに、貴重な文化財があるものですね。
関連記事:南河内で一番古い太神宮灯籠 2016.8.27.
南河内で一番古い太神宮灯籠 2 2016.9.1.
撮影:2016.9.2.
2016.9月06日 (HN:アブラコウモリH )
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