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富田林市の南部、嬉(うれし)地区には「太神宮夜燈」(右)と「弘法大師夜燈」の2つの民衆信仰の灯籠があります。
「太神宮夜燈」は伊勢灯籠、「弘法大師夜燈」は弘法大師の遺徳を偲んでの灯籠です。
元々、道沿いの元庄屋のあったものを嬉町会館に移築されました。
同じような形の「神前形」の灯籠ですが、左側の「弘法大師夜燈」は天保六年(1835)、右側の「太神宮夜燈」は安永八年(1779)と56年の開きがあります。
石で連結されたようになっています。
「太神宮夜燈」にある盃状穴。
「弘法大師夜燈」にもある盃状穴。「弘法大師夜燈」は天保六年(1835)に造られていますから、それ以降に盃状穴が穿かれたことになります。
夜間点灯するように火袋の中に照明があります。常時は点灯していないようです。
地車庫もある嬉町会館、この入口脇に2つ並んで置かれています。
嬉地区で有名なのは腰神神社。巨岩をご神体とする神社なので、本殿がありません。明治40年頃の神社合祀令でも合祀を免れました。巨石を移動させることはできないですものね。
楠木正成ゆかりの神社です。
どういうゆかりかと言いますと、「元弘2年(1332)のころ、楠木正成、金胎寺山に楠木7城の一つを築く。建武元年(1334)、観心寺に居た正成が後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐の途中、馬の千早丸の腰が立たなくなり神社の藤の木につないで岩山のご神体に祈願したところ、腰が治ったと伝えられる。」というものです。(腰神神社のパンフレットより)
雪舟の句と云われる「道ばたに うつ蒼たるや 藤の森」。これがゆかりの藤の木。
千早丸「あらっ、痛くなくなった。」
2023年4月25日 富田林市嬉62 腰神神社の藤
なんと樹齢700年と云われてます。
みごとな藤の花。これ1本の藤の花で、近くの大木にからみついています。
錦織から見た金胎寺山。富田林市最高峰296m。後ろに金剛山がひかえます。
2023年11月4日 嬉地区で行なわれる「かかしフェスティバル」。 背後の山が金胎寺山。
30分弱で頂上へ。眺望抜群。
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富田林市には7つ以上の支城がある楠公城塞包囲網。のろしにより支城同士の連絡を密にとり、少ない兵力を有効に活用し、勝ち目のないいくさはしない。城への登り口・逃げ道をたくさん作り、兵力の移動、物資の輸送、情報の伝達をしやすくする。水利を通して地元の民衆を味方に付けるなど、合理的な手法で多くの幕府軍を翻弄しました。
2023年9月26日
彼岸花の咲く頃の石川荒前井路と近鉄長野線の電車。
ここの美田では彼岸花もきれいです。
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富田林市域の大字図 旧村の場所はこちらを参照してください。
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幕末頃の富田林市域の領主と石高はこちらをごらんください。
富田林市には民衆信仰の石灯籠が34基あります。そのうち「太神宮灯籠(伊勢灯籠)」が25基(74%)と非常に多く、次に「金毘羅灯籠」が5基(15%)と続きます。そのほか、愛宕山灯籠や大峯山上常夜燈、秋葉大権現灯籠、弘法大師夜燈が各1基あります。
*この記事は「とんだばやし灯籠めぐり」(2018.3.7 「富田林百景+」の仲間たち)より引用したものです。
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2024年1月25日 (HN:アブラコウモリH )
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