富田林には5基の「金毘羅大権現」の灯籠があります。太神宮灯籠(伊勢灯籠)25基に次いで、その数は多い灯籠です。
南甲田の町中に分解して置かれた「金毘羅大権現」灯籠があります。
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25年ほど前に、子供たちがぶら下がると危険ということで、分解されて置かれている「金毘羅大権現」の灯籠があります。
基礎・竿・中台・火袋・笠・請花・宝珠、パーツは全部揃っているようです。
おおきく彫られた「金毘羅大権現」。
「寛政八辰年正月吉日」、1796年の辰年の記銘。228年前の製作です。
今年は辰年なので、製作されて19回目の巡りとなります。
本来は町中にこのように建っていたと思われます。
この「食い違い」をみせる四つ角は少し広くなっているので、子供たちがなわとびなどをしていたのではないでしょうか。
チリンサン
町内にある賽(さい)の神。禍や厄、疫病の元になる邪気を払いのけてくれる丸石。今は町中にありますが、本来は町の入口にあったものと思われます。
賽の神をチリンサンと呼んでいるのはここだけです。富田林の民話にも登場します。
水郡(にごり)邸
こちらも町内にある大和棟の建物(安永二年(1773)の建造物)。
土塀と長屋門に囲まれて主屋は屋根しか見れません。幕末の文久三年(1863)8月17日、「維新の魁(さきがけ)」といわれる「天誅組(てんちゅうぐみ)」の大和挙兵の舞台となりました。当時の水郡善之祐(ぜんのすけ)は天誅組河内勢の首領で、大庄屋で神主。
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富田林市域の大字図 旧村の場所はこちらを参照してください。
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幕末頃の富田林市域の領主と石高はこちらをごらんください。
富田林市には民衆信仰の石灯籠が34基あります。そのうち「太神宮灯籠(伊勢灯籠)」が25基(74%)と非常に多く、次に「金毘羅灯籠」が5基(15%)と続きます。そのほか、愛宕山灯籠や大峯山上常夜燈、秋葉大権現灯籠、弘法大師夜燈が各1基あります。
*この記事は「とんだばやし灯籠めぐり」(2018.3.7 「富田林百景+」の仲間たち)より引用したものです。
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2024年1月21日 (HN:アブラコウモリH )
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