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旧神宮寺にある「太神宮夜燈」
明和二年(1765)、富田林で3番目に古い民衆信仰の灯籠。
須賀地区はもともと「錦郡(にしこり)新田」村と呼ばれていましたが、明治44年(1911)に地区内にあった「須賀神社」がゆかりで須賀と改められました。
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うちのメンバーの十分詳しすぎる調査書。
今は須賀の集会所になっています。本堂の左側にお地蔵さんの祠。
背面に「享保九年二月八日 河州錦郡新田村神宮寺」とあります。
この頃には新田開発により、村が存在していたのがわかります。
旧神宮寺の手前が外陣に当たる場所、向こうが内陣。
阿弥陀如来が祀られています。
富田林百景で見学させていただいた折りに、釈迦の涅槃図を見せていただきました。
こちらの説明もしていただきましたが忘れました。
本堂脇にいくつかの石碑が集められています。
西国三十三度供養塔 その1
安永四年(1775)富田林組か嬉組の行者 道譽の満願供養塔です。
こちらは宝篋印塔形でなく石柱形の供養塔
明治40年(1907)葉室組支配の圓心の満願供養塔です。彫られている像はふつう観音像が多いのですが、何なのかよくわかりません。行者さんにも見えます。
花山院伝来四人行者は「葉室組」の所属の行者さんです。
明治以降になっての満願供養塔は富田林市では24基中4基と少なくなくなります。
それともうひとつ、「西國卅三所観世音菩薩満願供養」(卅は三十)の碑があるのですが、「度」ではないので西国三十三度供養塔には含みませんでした。1回しか回っていないのかな?
西国三十三度供養塔について
富田林においてあまり知られていない供養塔ですが実はその数が市町村で日本一です。
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西国三十三度供養塔の関連記事:
西国三十三度供養塔巡り-Ⅰ 2022.4.6
〈リバイバル・アーカイブス〉【長編】富田林市の日本一 2021.1.31
西国三十三度満願供養塔 --- 河内長野市にある極楽寺のお墓 2014.3.7
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富田林市域の大字図 旧村の場所はこちらを参照してください。
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幕末頃の富田林市域の領主と石高はこちらをごらんください。
富田林市には民衆信仰の石灯籠が34基あります。そのうち「太神宮灯籠(伊勢灯籠)」が25基(74%)と非常に多く、次に「金毘羅灯籠」が5基(15%)と続きます。そのほか、愛宕山灯籠や大峯山上常夜燈、秋葉大権現灯籠、弘法大師夜燈が各1基あります。
*この記事は「とんだばやし灯籠めぐり」(2018.3.7 「富田林百景+」の仲間たち)より引用したものです。
関連記事:
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2024年2月4日 (HN:アブラコウモリH )
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