〈リバイバル・アーカイブス〉2023.5.1~5.15
原本:2016年6月30日
近鉄 道明寺線 大和川橋梁 単線の橋梁を今も昔もごとごとゆっくり走ります。
駅3つの支線ですが、なんと近鉄路線最古、118年前の明治31年(1898)3月に開通しました。(柏原~古市駅間)
近鉄のこの路線は、河陽鉄道→河南鉄道→大阪鉄道(略して大鉄)→昭和18年(1943)大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併した関西急行鉄道と合併します。これが現在の近鉄(近畿日本鉄道)に至ります。
大和川橋梁 柏原南口~道明寺駅間(道明寺側)
煉瓦積みと補強のための石組みが残ります。
大和川橋梁(道明寺側) 重みの掛かる線路の下の橋脚も花崗岩らしき石が組み込まれています。
復刻版ラビットカー 富田林駅構内
東高野街道第一陸橋 汐ノ宮~河内長野間
近鉄長野線 ここも単線ですが、旧国道170号線をまたぐ所に煉瓦積みの橋脚があります。
明治35年(1902)12月に、富田林~河内長野駅間が開通した時に、この橋脚が完成しています。
煉瓦積みと石組みで補強されています。
近鉄 南大阪線 藤井寺駅
滝谷不動~汐ノ宮駅間の煉瓦橋梁。石川に注ぐ小川をまたぎます。
周囲は河岸段丘崖になっていて、一番低いところをこの小川が流れています。
5両までの編成の各駅停車が、田んぼの横をゴトゴト走ります。
富田林西口~富田林間 富田林より向こうは単線です。(左の線路は引き込み線)
富田林西口~富田林駅間 府民センター近くの深溝(ふこうど)井路をまたぎます。
別の角度から撮影
これは川ではなくて、人工の水路ですが、すでに奈良時代に作られていたと考えられる井路です。この周りは条里地割がよく残っています。
雪の日の富田林~喜志駅間
再度、深溝井路をまたぐ煉瓦基礎
別の角度から撮影
石組みと煉瓦積みがみごとな基礎部分
別の角度から撮影
このように、今も多くの煉瓦構築物が残ります。近鉄長野線・柏原線は開業が明治の中頃と古いので、多く煉瓦が使用されているのではないかと思います。
富田林駅に戻りました。
河南鉄道当時の汽車。背景は粟ケ池(喜志~富田林間)
(葛原家所蔵 富田林市史 第3巻より)
少し後に、気動車を購入しました。
*気動車とは、人員・荷物もしくは貨物を積載する空間を有し、運転に必要な 動力源として内燃機関や蒸気機関などの熱機関を搭載して自走する鉄道車両のこと。いまのディーゼルカーなどがそれに当たります。
関連記事:『南河汽車の旅』をご紹介します。 2015.3.26.
2016.6月30日 (HN:アブラコウモリH )
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