〈リバイバル・アーカイブス〉2022.4.11~5.2
原本:2014年11月18日
南河内郡河南町東山
羽曳野市広瀬
羽曳野市白鳥二丁目
堺市東区北野田
昔から往来の多い街道の辻には霊が宿ると考えられ、T字路やY字路の突き当りには行き交う人々の情念が溜まるところと考えられていたようです。そして、それを除くものとして「衝破除(しょうはよけ)」というものが考えられたようです。
南河内地方に多くみられ、小さな石碑の形態をしているものが多く、厄除け・魔除けの意味があるようです。
羽曳野市古市
羽曳野市軽里
羽曳野市軽里三丁目
南河内郡河南町東山
T字路・Y字路に災いを帯びたエネルギー(情念・怨念)が直進、つき当たりで衝突して滞るという発想が、結果としてその箇所に不幸をもたらすという発想になり、その厄除け・魔除けとして衝破除を置き、災いを回避する為に建てられたようです。
富田林市新堂や羽曳野市古市・広瀬、貝塚など江戸前期に整備された古い町並み(在郷町→その当時の大都市、大きな町)の街道からの出入り口が鉤(かぎ)状に90度曲げられいることがよくありますが、戦乱が終わり、人の往来が多くなったこの時代の発想や流行には上記と共通するものがあるのではないかと私は考えています。
しかしながら、「衝破除」は石碑の形態からみて、明治後期以降のものと思われます。
それでは、江戸前期頃に同じくの集落の入口でよく置かれた厄除けは「南河内型賽(さい)の神」があります。これはどちらか言うと、村の入口あたりに見られます。
富田林市甲田 地元の人は「チリンサン」と呼んでいる。昔はお葬式の行列はこの前を通れなかったそうです。
富田林市彼方 お地蔵さんとごいっしょに...
富田林市錦織 旧東高野・巡礼街道沿い 中薬師のあるところ
南河内の賽の神は、川原の丸石(そのほとんどがなぜか砂岩)を、数個積み上げただけの素朴なモニュメントです。
道路や境界の要所にこれを祀って厄除け・魔除けとすることは、科学が発達していない時代、昔の人のいろんな難から逃れたいという思いが込められているからではないでしょうか。
2014.11.18. HN:アブラコウモリH
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