2021年11月15日 14:35 河内長野市神ガ丘 薬樹山 延命寺
南河内でもいち早く色付く延命寺のもみじ。
伽藍のある谷筋がいち早く紅葉。谷筋のためまだ3時前ですが、日が陰ってしまいました。
日が当たるとまた感じが変わります。
ほどんどの参拝者が写真を撮っていた庭園。
本堂の如意輪観音坐像。
境内のあちこちにある地蔵様。
これは観音様かな?
山門の落ち着いた佇まいと今日は賑やかな境内。
平日なのに多くの参拝者で賑わっていました。
ここは標高192m、南側は山筋で標高252mの府営長野公園 延命寺地区、北側は谷筋で標高184mの石見川の支流。すぐ山が迫ります。
薬樹山 延命寺は真言宗 御室派の寺院。
平安時代の弘仁年間(810~824)弘法大師が石仏を刻んで本尊としたのが始まりとされています。
長らく衰微していたようですが、江戸前期の寛永16年(1639)に、この地に生まれた浄厳大和尚(じょうごんだいわじょう)が伽羅山延命寺に寺号を改め中興しました。延宝5年(1677)、薬樹山延命寺に寺号を改め、本尊も如意輪観音に改められました。
ところで、この延命寺周辺は昔 鬼住村と呼ばれ、鬼が住んでいたという鬼伝説があります。
昔、和泉国の父鬼(現 和泉市父鬼町)に男鬼が住み、この延命寺付近にその妻が住んでいたそうです。そして、勇敢な男が弓矢を武器に鬼を退治したといいます。
さらに、ここを延命寺として再興した浄厳和尚はこの勇敢な男の子孫だと言われています。鬼退治の時に使用した弓矢が寺宝として伝えられているそうです。
鬼住村と呼ばれたころのお地蔵様。
岩瀬の方に抜ける旧道の伊勢灯籠の横に佇んでおられます。
延命寺のあるここは、今は神ガ丘、昔は鬼住村です。このギャップは大きいかもしれません...
鬼住村は河内長野市が市になった昭和29年(1954)まで存在しました。
河内長野市は「鬼でまちおこし条例」に基づき、河内長野市では、11月02日を「いい鬼の日」、毎月2日を「鬼でまちおこし」の推進日としています(令和3年11月2日まで)。
昨年に市内の各地で映画『鬼ガール』のロケが行われました。延命寺でも行われましたね。
富田林市木戸山の役行者さま
しかしながら、私の考えはそうではありません。
役行者の家来に夫婦の鬼がいます。前鬼(夫)と後鬼(妻)です。彼らは葛城山系に住み、始めは悪いことばかりをしていたいました。
富田林市本町 郷蔵の役行者さま
ところが、飛鳥時代に葛城山系で山岳修行を行い、さらに吉野や熊野、大峯の山々で修行を重ねていた役行者は、彼らを不動明王の秘法で捕縛しました。改心した夫婦の鬼は役行者の家来として仕えるようになったということです。
富田林市若松町(旧新堂)の役行者さま
つまり、役行者が活躍したこの地域では「鬼」は「ええもん」なわけです。
だから、「鬼」を冠した地名が今も残ります。
和泉市父鬼町、和泉市九鬼町、川上村鬼住(現 河内長野市神ガ丘)
「鬼住村地下契状」(寛正5(1469) 神ガ丘自治会所蔵)に書かれている「鬼」の字は角(つの)のない改心した「鬼」の字が書かれています。
「わかやま歴史物語100」 和歌山県観光振興課HPより
大峰山と並ぶ修験道の聖地 葛城山系は和泉山脈と金剛山地へと連なる峰々の総称です。この山系には修験道の開祖 役行者が法華経八巻二十八品を埋納したとの伝承による経塚があり、「葛城二十八宿経塚」と呼ばれています。1370年を経ていますが、現在も残ります。
この山系を渡り歩いた役行者の修行の場に「葛城山」という山が今も5つもあるのには驚かれるでしょう!
大和葛城山、和泉葛城山、中葛城山、南葛城山、金剛山(もとは葛木岳とか葛城嶺とよばれていた)。大和国葛城氏系鴨氏の出身の役行者のなせる力です。
夕照もみじ 府天然記念物
樹齢千年とも云われるこのもみじ、この古木は苔むして倒れそうになりながらも、他のもみじとと同様赤く染まります。
晩秋の蓮池。いちょうがいち早く葉を落とし、続いてもみじが真っ赤に染まります。
神社がないのに鳥居があるのはなぜでしょうか?
「余生とは かく美しき 冬紅葉」 ほんとうですね。
延命寺の掲示板より
写真撮影:2021年11月15日
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2021年11月16日 (HN:アブラコウモリH )