塀の中の安全・安心か、「ゆい」の安全・安心か
年末年始は沖縄を調査します。定年退職したら、夏は涼しいところで、冬は暖かいところで過ごす…まあ夢ですけど。夏過ごす北国は、確保済み。冬は…バンコクはリサーチ済み。国内で暖かい所もノミネートしておかなければ…そこで、沖縄。
沖縄の下調べで、「ゆいレール」なるものが…「ゆいレール」は、那覇空港駅と首里駅を結ぶ沖縄都市モノレール線の愛称。
モノレールであることは解ったが、「ゆい(結い)」とは何ぞや?
…早い話が、近所づきあい。少し難しく言うと、「労力、資材、資金を提供しあう互助活動」ということ。これは、沖縄に限らず、北は北海道まで、通じる言葉。忘れられている地方も…。
協力し合う相互扶助の精神、かつては日本では一般に見られました。地域のつながりが薄れていくにつれ、無くなりつつあります。現在、「ゆい」が元気なのは、伝統を重んじる地域や国、発展途上国などですね。沖縄では、この「ゆい」を薄れさせてはならないと、モノレールの愛称にした。
「ゲーテッド・コミュニティ」・・・無差別に殺される事件、20世紀にはなかった事故…自分と家族を守るには、外部から不審者を入れない、内部の監視体制も整った城郭都市に住むのがいいということ。要塞都市といっても良いでしょう。
「ゲーテッド・コミュニティ」と、聞いたとき、「ゲットー」を連想しました。中学生の時、「アンネの日記」を読み、ショックを受けました。アンネの家(フランクフルト)へは、二度行きました。隠し戸、隠し部屋も見てきました。恐怖、暗い…そんな雰囲気ではなく、今にも隠し戸が開いてアンネが出てきそう。そんな、明るいといえば不適切発言ですが、カジュアルな雰囲気でした。「シンドラーのリスト」も、ゲットーが舞台。
アメリカにも、「ゲットー」があります。ユダヤ人の居住区ではなく、貧困層に属するアフリカ系アメリカ人やプエルトリコ人、ラテン系、アジア系の人々の居住区のこと。チャイナタウン、リトルトウキョウもゲットーの分類に入るでしょうか。移民系密集居住地区を「ゲットー」と呼んでいるようです。
この「ゲーテッド・コミュニティ」が日本でも増え始めているのだそうです。現在、約800世帯が「ゲートの中」で暮らしている。来年中には、2,000世帯を超える見込みという。
日本の「ゲーテッド・コミュニティー」は、どのようなもの…
広大な敷地(一例として、甲子園球場のグラウンドの1.5倍)。外周は高さ約2メートルのフェンスと赤外線センサー、監視カメラ数十台に守られ、正面ゲートの脇では数人の警備員が24時間態勢で目を光らせている。1区画400~1千平方メートルの土地は1億~3億円(朝日新聞)。
マンションで、「ゲーテッド・コミュニティー」を謳っているものもある。赤外線センサー、監視カメラ、警備員の点で同じ。
「コミュニティ」というから、役所の出張所、郵便局、銀行、学校、スーパーなどが揃い、その中だけで暮らしていく体裁になっているのかと思ったら、違いました。まだ、そこまではいっていない。セキュリティを「厳重にした」に、すぎないようです。
それにしてもやはり、ゲットーに似てます。強制的に入れられたのと、望んで大金を出して入ったのとの違いはありますが、「狭いところに入っている」ことについては同じ。警備も、ナチスか警備会社かの違いで、「監視されている」ということについては同じ。違いは、ゲットーの場合、警備(監視)員の気まぐれで、次の瞬間死体になって転がっていることがあるが、ゲーテッド・コミュニティーは、その点の心配はない。…あ、そうとも言えない。警察官でも、自衛官でも悪いことをする人がいるのですから、警備員にも悪いことをする人がいる。閉塞された中で悪いことをされたら、外の世界より悲惨なことになりますね。
動機などありゃしない、イライラしていた、カッとなったからやったという犯罪の続出。この不安な社会に、頑丈な塀を作り、「都市内都市」に立てこもる。自分たちが出来ることをして、自分たちの身を守る。結果として、人と接触することを拒否する社会を作っている。
ゲーテッド・コミュニティに住むのは、個人の自由です・・・言えることは、そこは、「ゆい」の対極にあるものになっているってこと。
「ゲート内での交流?ありません。自治会?あるかないかも知らない」これでは、「ゆい」もヘッタクレもあったもんじゃない。「子どもだけではゲートの外に出ない約束」子どもだって遊びに出たいし、ゲートの外の子だって遊びに来たい・・・。
子どもたちは「ゆい」のないところで育つことになる。人との係わりで成長するのですが、このゲーテッド・コミュニティーでは、「子どもが痛い思いをしない」ですむ。というか、そういう機会をおこさせないためのもの。井戸敏三兵庫県知事が「関東大震災が起これば首都圏は相当ダメージを受ける。これはチャンス」の、発言の真意と似ています。「子どもが痛い思いをする」のは、子育てのチャンスなのです。その、チャンスが起こらないようにしているんだから…どうなりますか?あちこち脆弱な人にしかなりませんよ。
ある日、塀から出なければならない日が来ます。必ず来ます。そうでなければ生涯引きこもりです。外の社会に、円滑に適応できますか?そこで不適応を起こしたら、親たちは、「社会が悪い」と、言うのでしょうか。
泥棒に入られることがない。宗教の勧誘もない。そういう意味で安心・安全。寝るときも安心か…そうでもないです。家族内の殺人がありますから。
ゲートの中に住む。さらに家族で厳重にロックした家に住む。さらに厳重にロックした、個々の部屋に立てこもる。これなら、安心、大丈夫。まるで、ロシアの人形だね。
「ゆい」をなくした、コミュニティーは、危険です。監視カメラやセキュリティ・センサーの中での安全・安心より、相互扶助の中での安全・安心にしなければ。人が社会を作るのです。
年末年始は沖縄を調査します。定年退職したら、夏は涼しいところで、冬は暖かいところで過ごす…まあ夢ですけど。夏過ごす北国は、確保済み。冬は…バンコクはリサーチ済み。国内で暖かい所もノミネートしておかなければ…そこで、沖縄。
沖縄の下調べで、「ゆいレール」なるものが…「ゆいレール」は、那覇空港駅と首里駅を結ぶ沖縄都市モノレール線の愛称。
モノレールであることは解ったが、「ゆい(結い)」とは何ぞや?
…早い話が、近所づきあい。少し難しく言うと、「労力、資材、資金を提供しあう互助活動」ということ。これは、沖縄に限らず、北は北海道まで、通じる言葉。忘れられている地方も…。
協力し合う相互扶助の精神、かつては日本では一般に見られました。地域のつながりが薄れていくにつれ、無くなりつつあります。現在、「ゆい」が元気なのは、伝統を重んじる地域や国、発展途上国などですね。沖縄では、この「ゆい」を薄れさせてはならないと、モノレールの愛称にした。
「ゲーテッド・コミュニティ」・・・無差別に殺される事件、20世紀にはなかった事故…自分と家族を守るには、外部から不審者を入れない、内部の監視体制も整った城郭都市に住むのがいいということ。要塞都市といっても良いでしょう。
「ゲーテッド・コミュニティ」と、聞いたとき、「ゲットー」を連想しました。中学生の時、「アンネの日記」を読み、ショックを受けました。アンネの家(フランクフルト)へは、二度行きました。隠し戸、隠し部屋も見てきました。恐怖、暗い…そんな雰囲気ではなく、今にも隠し戸が開いてアンネが出てきそう。そんな、明るいといえば不適切発言ですが、カジュアルな雰囲気でした。「シンドラーのリスト」も、ゲットーが舞台。
アメリカにも、「ゲットー」があります。ユダヤ人の居住区ではなく、貧困層に属するアフリカ系アメリカ人やプエルトリコ人、ラテン系、アジア系の人々の居住区のこと。チャイナタウン、リトルトウキョウもゲットーの分類に入るでしょうか。移民系密集居住地区を「ゲットー」と呼んでいるようです。
この「ゲーテッド・コミュニティ」が日本でも増え始めているのだそうです。現在、約800世帯が「ゲートの中」で暮らしている。来年中には、2,000世帯を超える見込みという。
日本の「ゲーテッド・コミュニティー」は、どのようなもの…
広大な敷地(一例として、甲子園球場のグラウンドの1.5倍)。外周は高さ約2メートルのフェンスと赤外線センサー、監視カメラ数十台に守られ、正面ゲートの脇では数人の警備員が24時間態勢で目を光らせている。1区画400~1千平方メートルの土地は1億~3億円(朝日新聞)。
マンションで、「ゲーテッド・コミュニティー」を謳っているものもある。赤外線センサー、監視カメラ、警備員の点で同じ。
「コミュニティ」というから、役所の出張所、郵便局、銀行、学校、スーパーなどが揃い、その中だけで暮らしていく体裁になっているのかと思ったら、違いました。まだ、そこまではいっていない。セキュリティを「厳重にした」に、すぎないようです。
それにしてもやはり、ゲットーに似てます。強制的に入れられたのと、望んで大金を出して入ったのとの違いはありますが、「狭いところに入っている」ことについては同じ。警備も、ナチスか警備会社かの違いで、「監視されている」ということについては同じ。違いは、ゲットーの場合、警備(監視)員の気まぐれで、次の瞬間死体になって転がっていることがあるが、ゲーテッド・コミュニティーは、その点の心配はない。…あ、そうとも言えない。警察官でも、自衛官でも悪いことをする人がいるのですから、警備員にも悪いことをする人がいる。閉塞された中で悪いことをされたら、外の世界より悲惨なことになりますね。
動機などありゃしない、イライラしていた、カッとなったからやったという犯罪の続出。この不安な社会に、頑丈な塀を作り、「都市内都市」に立てこもる。自分たちが出来ることをして、自分たちの身を守る。結果として、人と接触することを拒否する社会を作っている。
ゲーテッド・コミュニティに住むのは、個人の自由です・・・言えることは、そこは、「ゆい」の対極にあるものになっているってこと。
「ゲート内での交流?ありません。自治会?あるかないかも知らない」これでは、「ゆい」もヘッタクレもあったもんじゃない。「子どもだけではゲートの外に出ない約束」子どもだって遊びに出たいし、ゲートの外の子だって遊びに来たい・・・。
子どもたちは「ゆい」のないところで育つことになる。人との係わりで成長するのですが、このゲーテッド・コミュニティーでは、「子どもが痛い思いをしない」ですむ。というか、そういう機会をおこさせないためのもの。井戸敏三兵庫県知事が「関東大震災が起これば首都圏は相当ダメージを受ける。これはチャンス」の、発言の真意と似ています。「子どもが痛い思いをする」のは、子育てのチャンスなのです。その、チャンスが起こらないようにしているんだから…どうなりますか?あちこち脆弱な人にしかなりませんよ。
ある日、塀から出なければならない日が来ます。必ず来ます。そうでなければ生涯引きこもりです。外の社会に、円滑に適応できますか?そこで不適応を起こしたら、親たちは、「社会が悪い」と、言うのでしょうか。
泥棒に入られることがない。宗教の勧誘もない。そういう意味で安心・安全。寝るときも安心か…そうでもないです。家族内の殺人がありますから。
ゲートの中に住む。さらに家族で厳重にロックした家に住む。さらに厳重にロックした、個々の部屋に立てこもる。これなら、安心、大丈夫。まるで、ロシアの人形だね。
「ゆい」をなくした、コミュニティーは、危険です。監視カメラやセキュリティ・センサーの中での安全・安心より、相互扶助の中での安全・安心にしなければ。人が社会を作るのです。