アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

礼は国の幹なり

2009年10月03日 | Weblog
 東京都港区の天王洲アイルに、ジャンボ氏のマンションがある。ゲストルームに泊めていただいた。1階ロビーは2階まで吹き抜け。噴水と、池…。ヒルズなみの高級なマンション。有名人の住人としては、前衆議院議員の片山さん(35階に住んでいたらしい)。田舎暮らしの私には、マンションにゲストルームがあるなどということすら知らなかった。
 ゲストルームは、ホテルのスイートと同じでした。バスルームが贅沢。バスタブに浸かって、東京湾を行き交う船やベイブリッジが見える。日本が、いつの間にかこのようなことになっていた。

 「マンションは凄いなあ」という話ではなく、このマンションの住人とすれ違ったのですが、外来者の私に、にこやかに挨拶をしてくれるのです。お金には不自由がないらしい人たち、身なりのいい人たちが、田舎から出て行った黒板五郎風味のオヤジに、静止して礼をしてくれる。しかも、笑顔付き。ナンナンダ、私を有名人と間違えたか?黒板五郎だとでも思ったか?サインを求められなかったので、それはない。
 「都会の人間関係の希薄化、隣の住人のことなど関係ない」と、マスメディアに刷り込まれていたので、びっくりしました。

 東京都豊島区雑司ヶ谷の身内が住む普通のマンション(鬼子母神まで徒歩1分)へも行きました。「住人同士、挨拶を交わすんでしょう!」と、尋ねてみた。「人によりけり…」とのこと。あまり礼を交わすことがないらしい。ありゃあ??

 つまり、高級マンション住人と普通マンション住人では、「礼」に対する意識が違うということでしょうか…。財力と学力の相関を思い浮かべて、ちょっと寂しい気持ちになりました。(私の学力観は、学んで得るものの全てが学力。生きる力です)

 そもそも、礼とは何ですか?「礼とは、社会を維持していくための生活規範の総称」今の世の中では、「したくなければしなくてもいいもの」のようになってしまっておりますが…。

 浅田次郎さんが、「礼」について書いています。
 「礼とは、法が成立する以前の、社会秩序を維持していくための生活規範である(翼2007年11月号)」。

 そういうことですよ。縄文時代を考えると、「法律」などない。人々は、「礼」によって自己を律していかなければ社会秩序を維持していくことが出来なかった。
 そして、時代と共に法が整備されてきて、「礼」が形式的なものになりつつある。「礼」を忘れた馬鹿者のセリフは、「見つからなければ何をやってもいい。法さえ犯さなければ罰せられることはない」…法は、永遠に完成しないものです。と、いうことは、「法は犯していないが、やってはならないことも無限にある」ということです。ですから、「礼」が必要なのです。
 浅田さんの言葉を借りると、「法律は全能ではない。礼を失した者を罰するための補助装置でなければならない」このフレーズもいいです。作家って頭がいい!「礼」から「法」へ進んだのではなく、あくまで、「礼」ありき。

 日本の政権が変わりました。法治国家の正しいあり方、「友愛」もいいけど、「礼は国の幹なり」ということでよろしくお願いしたい。