「人権」の仕事をしています。ホントホント。法務大臣から親しく、「お願いします」と頼まれましてね。ホントだってば!
報酬がガッパガッパ入ってくる。申し訳ないくらいです(←これがウソ)。
無報酬なのに忙しい。引き受けてしまったので、任期まではやりますけどね。
今取り組んでいるのは、人権擁護委員が小・中・高校で行う、「人権教室」で使用するDVDづくり。アイディアはあるのですが、IT技術がない。かなり稚拙なものが、着々と仕上がりつつあります。
そんな折、「イジメた生徒の人権は?」という事例が…
今話題のニュースなので説明するまでもないのですが、具体的には…
昨年10月、大津市で自宅マンションから飛び降り自殺した中学生がいた。この中学生は、同級生からいじめをうけていたことが発覚した。教育委員会は全校生徒にアンケートを実施。回答の中に、「何回も自殺の練習をさせられていた」と書いてあるものがあった。
なんとかコトを穏便に済ませたいのだろうか…教育委員会は、いじめが自殺の原因になったかどうかは不明であり、「自殺の練習」が行われた事実はつかんでいない、と説明。
これに対し、大手新聞社が質問した…
なぜ、いじめ行為をした生徒に「自殺の練習」をしたのかを確認しなかったのか?
回答は…
いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。「自殺の練習」を問いただせば、当事者の生徒や保護者に「いじめを疑っているのか」と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった。
いじめた側にも人権?…「泥棒にも3分の利」ということか?泥棒には、30%の情状酌量の余地があるらしい。しかし、泥棒と、いじめた側は、同じ尺度では測れないのです。
泥棒の被害は、「盗られるだけ。あと、心理的被害」。ところがいじめの被害は、「心的被害は生涯続くし、命を断つことも」。
ですから、「いじめた側にも人権があり…」という回答は、あまりにも無関心なものです。無関心の反対語は「愛」ですから、愛がないということです。この論がまかり通る社会は、加害者が被害者になり、被害者が加害者になる。当然、殺人犯の人権も尊重され、刑務所では至れり尽くせりの待遇。冷や飯など与えようものなら、「オレの人権を侵害しやがったな。訴訟だ!」…もうめちゃめちゃ。
どうも腑に落ちないのは、このところ「いじめ自殺」などの事件には、校長ではなく教育長が出てくること。
「市町村が学校の設置者だから、教育長が出てくるべきだろう!」って?
あ、あのね、アパートの店子の部屋から出火したら、大家さんが事情聴取されますか?大家さんが、店子の生活ぶりをつぶさに把握しているはずがないでしょう!それと同じで、教育委員会が学校の内容をつぶさに把握しているはずがない。「学校の責任=校長の責任」です。
いじめた側の人権…「人権」とは何かを全くわかっていない人達が「人権」という言葉を遣えば泣く子が黙ると思っている。
いじめた側は「人」ですから、人権があるのは、これ当たり前。人権があることと、
いじめ行為をした生徒に「自殺の練習をさせたか否か」を確認しなかったこととは、全く関係がないことです。こんなところに、人権を持ち出さないでいただきたい。
教育委員会は、「自殺の練習」をさせたと思っている。だから、いじめた側の罪を少しでも軽減してやろうと、「確認しなかった」ことにしたわけです。
また、当事者の生徒や保護者に、「いじめを疑っているのか」と、不信感を抱かれるかもしれないとの判断から、「自殺の練習」について確認しなかった…。
わけが分からん?教育委員会は一体何を確認しようとしたのか?「自殺の練習」を確認して、「シロ」ならそれでいいわけで、不信感もヘチマもあったもんじゃない。
人権は、「人」が皆持っています。コソ泥にも人権があります。コソ泥に白状させることと、コソ泥の人権を侵害することは無関係です。
いじめにかかわるアンケート調査?子どもや保護者に不信感を抱かせなくて、何がアンケート調査だ。不審だから調査するのであって、不信感に腐心する必要はない。 こういう学校へ通う子ども達は不幸です。
報酬がガッパガッパ入ってくる。申し訳ないくらいです(←これがウソ)。
無報酬なのに忙しい。引き受けてしまったので、任期まではやりますけどね。
今取り組んでいるのは、人権擁護委員が小・中・高校で行う、「人権教室」で使用するDVDづくり。アイディアはあるのですが、IT技術がない。かなり稚拙なものが、着々と仕上がりつつあります。
そんな折、「イジメた生徒の人権は?」という事例が…
今話題のニュースなので説明するまでもないのですが、具体的には…
昨年10月、大津市で自宅マンションから飛び降り自殺した中学生がいた。この中学生は、同級生からいじめをうけていたことが発覚した。教育委員会は全校生徒にアンケートを実施。回答の中に、「何回も自殺の練習をさせられていた」と書いてあるものがあった。
なんとかコトを穏便に済ませたいのだろうか…教育委員会は、いじめが自殺の原因になったかどうかは不明であり、「自殺の練習」が行われた事実はつかんでいない、と説明。
これに対し、大手新聞社が質問した…
なぜ、いじめ行為をした生徒に「自殺の練習」をしたのかを確認しなかったのか?
回答は…
いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。「自殺の練習」を問いただせば、当事者の生徒や保護者に「いじめを疑っているのか」と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった。
いじめた側にも人権?…「泥棒にも3分の利」ということか?泥棒には、30%の情状酌量の余地があるらしい。しかし、泥棒と、いじめた側は、同じ尺度では測れないのです。
泥棒の被害は、「盗られるだけ。あと、心理的被害」。ところがいじめの被害は、「心的被害は生涯続くし、命を断つことも」。
ですから、「いじめた側にも人権があり…」という回答は、あまりにも無関心なものです。無関心の反対語は「愛」ですから、愛がないということです。この論がまかり通る社会は、加害者が被害者になり、被害者が加害者になる。当然、殺人犯の人権も尊重され、刑務所では至れり尽くせりの待遇。冷や飯など与えようものなら、「オレの人権を侵害しやがったな。訴訟だ!」…もうめちゃめちゃ。
どうも腑に落ちないのは、このところ「いじめ自殺」などの事件には、校長ではなく教育長が出てくること。
「市町村が学校の設置者だから、教育長が出てくるべきだろう!」って?
あ、あのね、アパートの店子の部屋から出火したら、大家さんが事情聴取されますか?大家さんが、店子の生活ぶりをつぶさに把握しているはずがないでしょう!それと同じで、教育委員会が学校の内容をつぶさに把握しているはずがない。「学校の責任=校長の責任」です。
いじめた側の人権…「人権」とは何かを全くわかっていない人達が「人権」という言葉を遣えば泣く子が黙ると思っている。
いじめた側は「人」ですから、人権があるのは、これ当たり前。人権があることと、
いじめ行為をした生徒に「自殺の練習をさせたか否か」を確認しなかったこととは、全く関係がないことです。こんなところに、人権を持ち出さないでいただきたい。
教育委員会は、「自殺の練習」をさせたと思っている。だから、いじめた側の罪を少しでも軽減してやろうと、「確認しなかった」ことにしたわけです。
また、当事者の生徒や保護者に、「いじめを疑っているのか」と、不信感を抱かれるかもしれないとの判断から、「自殺の練習」について確認しなかった…。
わけが分からん?教育委員会は一体何を確認しようとしたのか?「自殺の練習」を確認して、「シロ」ならそれでいいわけで、不信感もヘチマもあったもんじゃない。
人権は、「人」が皆持っています。コソ泥にも人権があります。コソ泥に白状させることと、コソ泥の人権を侵害することは無関係です。
いじめにかかわるアンケート調査?子どもや保護者に不信感を抱かせなくて、何がアンケート調査だ。不審だから調査するのであって、不信感に腐心する必要はない。 こういう学校へ通う子ども達は不幸です。