アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

野次馬の反省

2012年09月23日 | Weblog
「学校菜園で収穫した、じゃがいもを調理して食べる」と、いう小学校2年3組の生活科(2時間つづき)の授業を参観…ん…参加させていただきました。

 指導案の略案をいただきました。その時一抹の不安がよぎりました。
 6つの班が、「いも餅」「じゃがバター」「フライドポテト」を作るという。2つの班が同じモノを作る。それはそれでよいのですが…。
 不安というのは、この3つのメニュー、完成までのプロセスが違い過ぎやしないか?
と、いうこと。
 「じゃがバター」は、ジャガイモを煮て、バターを載っけて出来上がり。
 「いも餅」は、皮をむいて、煮て、片栗粉を入れて潰して、丸めて、油で焼く。
 じゃがバターは、1時間で出来るでしょうが、イモ餅は2時間たっぷりかかるんじゃないか?

 授業は、担任の先生の、「今日の授業のあらまし」から始まりました…。話が、長いっ!参観者に説明してくれたのかな。
 さて、各班イモ洗いからスタート。ここまでは良かった。先生は言った…
 「新じゃがだから皮は手でむける。むきなさい」
 それから、10分、20分、30分…。じゃがいもの皮はまだ一個もむけませんでした。(新じゃがでも、時間が経って表面が乾燥してしまえば、手ではむけないのです)
 先生の怒りが爆発寸前…というか爆発したと言おうか…
 「1時間経っても皮がむけないのかっ!今の4年生(かって担任した子ども達)は、簡単にむいたんだよ!おまえたちは、そんなことも出来ないのかっ!できない子は帰れ!そんな子はもういらん!」

 2時間の予定の生活科の授業…。じゃがいもの皮むきは、1時間では終了しませんでした。先生は言いました。
 「もういい!やめろ!皮をむかないでやる。さっさと次ぎのことやりなさい。紙に書いてあるでしょう!読めないのか?今の4年生は自分たちで読んで、調理をしたんだよっ!」

 そこで、一人が包丁で指を切った。ドブドブと血が出た。なにしろ、じゃがいもの切り方の指導がなかった。その前に、包丁の持ち方などの指導もなかった。今の4年生はきちんと出来たのであろうか?
 指を切った子は、保健室から養護教諭に付き添われて戻ってきた。養護教諭は…
 「傷が深いので、縫った方が良いと思います。家庭へ連絡して病院へ行かせてください」
 じゃがいも料理が軌道に乗らずパニックになっていた担任の先生の耳には、養護教諭の声は届かなかった。指を切った子はじゃがいも料理を続けた…。

 そのあと…
 フライドポテトは黒こげポテトとなり、いも餅は…油で焼くまでには至らない…と、いうか煮えない。惨憺たるもの。じゃがバターはどうなったかって?子ども達は、煮えるのを待てない。生煮えのまま煮えたことにしていましたよ。

 私はその様子を傍観していたのかって?1時間目は傍観。他の参観者は1時間目を観たあと別のクラスへ。私はただ一人、2時間目も居残った。なぜかって?「じゃがいもがどうなるか見届けたかったから」いわば、心配性の野次馬。
 居残って、子ども達の調理に口出ししたのが悪かった。「アンティークマン先生!」と呼ばれること呼ばれること。一度に5~6人から呼ばれる。しかも、切迫しているので大声で呼ぶ。呼び声は途絶えることなく続いた。担任を呼ぶと、逆に怒鳴りつけられ、「今の4年生は…」と、いわれるのがオチ。よって、怒られる心配がない私を呼ぶ。
 ガスは漏れる。焼けこげる。煙もうもう。生煮えなのに、「もう良いでしょう」と言う。でしゃばってしまった私は、シャワーを浴びたかのように、汗でぐしょ濡れ。

 私には次ぎの会議の時間が迫っていたのですが、戦場と化している教室からの逃亡は許されない。やむなく、職員室へ走った。「どなたか手の空いている人!家庭科室へお願いします」と、助けを求めてから逃げるように学校を出ました。

 数日後、2年3組の学級通信をいただきました。通信には、「楽しかった調理実習」の見出しで、調理実習の様子がいとも楽しげに表現されていました。児童の感想も載せられておりました。「たのしかった」「おいしかった」…。
 「おいしかった」と、書いてあるところをみると、試食までに至ったらしい。

 この授業の反省すべき点は二つ
 1 指導者は、十分な予習をして調理実習をしなければならない。今の4年生では成功したらしいが…子どもが違う。あと、あまり怒らないこと。指を切ったこの家庭への連絡は放課後になったという。信用を失ってしまいます。
 2 参観者が、出しゃばるのは良くない。お陰で、汗ぐしょで、焦げた「いも」の臭いをプンプンさせてまじめな会議へ出席するハメに。