アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

五穀→古事記→憲法第一条=古事記読むべし

2012年09月27日 | Weblog
 実りの秋を迎えております。秋祭りでは、「五穀豊穣」と書かれたものをよく目にします。五穀とは何か…これは意外に知られていない。
 たいていの人は、「米、麦、うーんとぉ、粟(アワ)、稗(ヒエ)…えーと…」。なかなか五種類が出てこない。

 古事記では、「稲・麦・粟・大豆・小豆」。日本書紀では、「稲・麦・粟・稗・豆」…「五穀とは、絶対この5種だ!」というモノはないとするのが正しいかな。「黍(キビ)」や「胡麻(ゴマ)」を入れる場合もありますし。

 古事記の五穀は…凄いところから出てきております。

 ハヤスサノヲ命は食物を大気都比売(オホゲツヒメ)の神に求めたことがあります。
そこでオホゲツヒメは、鼻や口、また尻から様々な美味な食物を取り出して、色々に調理して差しあげた。スサノヲ命は汚いことをして食べさせると怒り、すぐにそのオホゲツヒメ神を殺してしまいました。
 尻から美味しいものを出した…現代、尻から出るものといえば、「練り物」と時々「血」ぐらいのもの。千三百年は、美味しいモノが尻から出た!それにしても、「汚い」と、殺してしまうこともなかったと思うが。

 閑話休題。殺されたオホゲツヒメの神の身体から生まれ出た物は…
 頭に蚕が
 二つの目に稲の種が
 二つの耳に粟が
 鼻に小豆が
 陰部に麦が
 尻に大豆が
 よって、「米、粟、小豆、麦、大豆」が古事記の五穀。

 それにしても、古事記は尻からモノを出すのが好きですよね。枝豆(大豆)は、オホゲツヒメの尻から出たものだった。麦など、凄いところから出ています。
 脱糞にかかわる話が多いのも、古事記の特徴でしょうか?そんなことを書くと、研究者に叱られるぞって?多いんだからしょうがない。

 今年は、「古事記」が撰録(早い話が、編纂)されて千三百年というおめでたい年。「古事記を読む会」もあちこちで開催されております。周囲にも、「古事記を読んだ」「読み返した」とおっしゃる方がおられます。ただ、女性ばかり…男性は、今年、一体何を読んでいるのか?

 原文を読む必要など無いのです。現代語訳を読めばよい。内容の全体が分かるのに、1~2時間でOK。全三巻ですから。それで、終わっても良いし、興味を惹かれた部分をじゅっくり読み込むのも結構。のめり込む人は、現地を訪ねているようです。

 「日本書紀」は歴史書です。「古事記」はというと、「民族の物語」とすることが出来るでしょう。
 日本と百済は、白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に負けました。百済が滅びてしまったので、日本は確固たる独立性を保たねばならなくなりました。それでつくったのが「歴史書」「律令制度」「機能する都」。物語性が豊かで、日本人の存在を認知させること(アイディンティティー)となるのが「古事記」だったというわけ。日本書紀は、「外交文書・国の独立性の根拠を示すもの」と、いうことになるでしょうか。

 日本のアイディンティティー…ということは、「憲法第1条」。
 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
 これって、古事記!日本人の自尊心などを養うために、建国の歴史や神話は不可欠。GHQは、短期間でよくもまあ勉強したなと感心させられるのですが、古事記を抑えた。つまり、古事記を学校で学ばせることを禁じた。現代、我々に不足しているのは、自然観でも、死生観でもなく、「歴史観」。

 「古事記」ができて千三百年のおめでたい年。今こそ、古事記を読みましょう。面白くなさそうだって?そういう人は、尻や陰部から食べ物が出てくるくだりだけでもいいですから…。それだけでは、日本の国家観、歴史観を持つにはいたらないでしょうけど…。