アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

数学検定協会が「文芸大会」を開催!?

2014年03月18日 | Weblog
3月14日は、なんの日か?3月14日は、「π数学の日(ぱいすうがくのひ)」なのだそうで…。π = 3.1415926535・・・・・なるほど、6月4日は、「無視の日」じゃなくて、虫歯予防デーとか、10月10日は目の愛護デーという根拠(?)より納得できます。
 で、その3月14日、第三回「数学・算数川柳&数学・算数俳句&数学・算数短歌」といういかにも長い名前のコンテストの審査結果が発表されました。応募総数が、なんと、「10,009作品」ということで…この数字、多いんだか少ないんだか?とりあえず、「予想外の盛況だったんですねえ」という反応にしておきましょうか。

「数や算数、数学の要素を詠み込んだ川柳か俳句、短歌を作りなさい」…。日本数学検定協会が、このような「国語」にかかわるともいえる問題を出したわけでぇ。やるなあ!日本数学検定協会!
 で、上位入賞作品を見てみると…

 <川柳の部>
 世界遺産ふじさんろくに料金所
 これは大賞にはなりませんでしたが、私なら大賞にしましたね。時事を巧に詠み込んだところが、ほかの作品との決定的なちがいです。

 点Pよどうして君は動くのか
 そうなんですよ。点Pさえ動かなければ、私も理系に進めたのですがね。

 授業中僕のベクトル窓の外
 ベクトルは空間の向きをもった線分で表すことができるから、窓側の席の子は窓の外へ向かっても良い。だけど、廊下側の席の子はどうしたらいいの?
 線分の長さが大きさを表し、線分の向きがベクトルの向きを表す。線分の端点をP,Qとし,向きがPからQへ向かっているとき…「いびき」へ向かうしかないね。

<俳句の部>
 蝉時雨負けじと子らの九九の声
 これは、そのまんま!上手な写生でいいと思います。

 初春やまず三桁まで生きよ母
 このような句を詠める人になりたいものです。いい人っておられるんですね。饒舌な通り魔の場合、「初春やまず三桁まで引導渡す」ってところでしょう。

 一病に耐えて八十路を越える春  
 もやもやを時の彼方へ春一番
 これらになると、算数も数学も関係ない「普通に俳句らしい俳句」です。

 <短歌の部>
 一番笑わせていただいたのは、短歌の部の次の作品でした。
 「√5は富士山麓にオウム鳴く富士山麓にオウムはいない」 

アンティークマン66歳に!

2014年03月17日 | Weblog
 本日は私の誕生日。名実共に66歳でーす!名実ともにはどーゆー意味か?名目上も、実際もということで…。何を言っていることやら。それにしても、よく生きているものです。有難いです。また、桜を観ることができそう。

 私が幼少の頃は、「数えでいくつ」「満いくつ」と、年齢の数え方に二通りありました。それで、名目上も、実際もと書いたわけ。
 「数え年」と「満年齢」には、ちがいが出る期間があります。子供の頃は、なかなかややこしかったものです。
 昨今、「数え年」という言葉自体が消えかかっております。

 で、本日は私の誕生日で、満66歳となりました。数えでは、元旦に66歳になっている。
 生まれた時がすでに、1歳。新年を迎えると、2歳。つまり、12月生まれの人は、1か月経たないうちに2歳となる。羨ましくはありませんがね。

 人の年齢を生まれた時からとするのではなく、母親の胎内にいたころまでさかのぼり、胎児の期間の「十月十日」も含めているのが数え年。
 これって尊いんじゃないでしょうか?と、いうか厳密に言うと、こちらの方が正しい?
 「胎児は人間じゃない」って?私は、胎児は人間だと思いますが。

 えっえーっ?「胎児、幼児、成体…は、生命体の成長期間の違いを示す区分。人間、犬、猫…種類の違いを示す区分。よって、胎児は人間か否かは土俵が違う。卵は鶏か否かを議論するようなモノ…」だって? 「基本的人権」の場合、「生まれながらにして…」だから生まれる前は人権がない?よって胎児は人間ではない…。
 
 話をそのように難しくするつもりはなかったのにぃ。「人間の胎児は人間だろう」と、単純に考えたのです。犬、猫さらには鶏まで持ち出されるとは思いませんでしたよ。基本的人権までも!
 …人間かどうかの審判は、神の領域も入ってくるらしいので凍結しておきましょう。ともあれ、「数え年」という考え方には、「命への愛おしさ」が、感じられます。

女性科学者…「女性」を冠することが男女差別

2014年03月16日 | Weblog
 「手軽にできるSTAP細胞 カッコイイ!」
 「ノーベル賞当確か!」
 「実験に割烹着とは柔軟な!」
 「笑顔が可愛らしい」
 …まさか?まさか?「時の人」から、今や「渦中の人」となっている。真相は一体どこにあるのか?

 「若返りも夢じゃない」…確かに彼女は、言いました。日本中の何千万の人が、この言葉に希望をもったことか?私とて、諦めてはいますが、「ひょっとしたら」と、希望のようなモノを感じましたよ。
 「おじいちゃんと同じニオイがする」「どうして頭のてっぺんに毛がないの?」「(顔に)シワが多いなあ」と、小学生に言われる。STAP細胞で加齢臭を消し、髪を増やし、シワのないつるんつるんの顔になれるのなら、それも悪くない。やっぱり、諦めてはいなかったということか。

 「女性は生まれつき科学に向いていない」と、発言して、ハーバード大の学長を辞任したサマーズさんを思い出しました。
 クリントン政権で財務長官を務めた人が、どうしてそんな発言をしたのか?
 ハーバード大学生の男女の人数は、ほぼ同じ。SAT(の成績は、女子学生の方が高い。SATは、Scholastic Assesement Testで「大学進学適性テスト」。
 ところが、サマーズさんが学長だったある年、「テニュア」を取得した教授が32人。そのうち女性は4名だけだった。テニュアの説明は、結構面倒。日本語にすると、「正教授」。学界で実績を評価された人で、終身雇用を約束されるわけです。アメリカの大学は…「レクチャラー(講師)」→「アシスタント・プロフェッサー(助教授)」または「アソシエート・プロフェッサー(準教授)」→「テニュア・プロフェッサー(正教授)」。「助教授」「準教授」は、契約制で2年ごとに更新は出来ますが、6~8年でテニュアになれなかったら大学を去るしかない。

 閑話休題。サマーズさんとしては、「28対4」という数字が頭にあったため、うっかり、男女差別とも受け取られる発言をしてしまった。この推測、それほど外れていないと思いますが。

 割烹着の女性科学者には、なんとか挽回していただきたい。サマーズさんに恨みも辛みもないが、世の中が、「サマーズさんは正しかった。やっぱり女性は科学に向いていない」と、決定づけてはなりませんから。

「三」は、安定、調和なのだそうで…

2014年03月15日 | Weblog
 東日本大震災から3年。「三」という数字が脚光を浴びています。
 私の場合「三日坊主」が最初に思い浮かびます…というか、自分を象徴する言葉。 五月に3人目の孫が生まれる予定、名前は「三千世界」に綱を張るような名前がいいなあ。
 門出の「三寒四温」の候、「三顧之礼」「三拝九拝」で、有望人材が、「三三五五」集まって来るぅ…はずないか。
 「三度目の正直」「石の上にも三年」「仏の顔も三度」…これら、苦手ですねえ。我慢が嫌い。すぐに結論がほしいです。余命いくばくもないので。我慢より、「三十六計逃げるに如かず」…これがいい!いさぎよいから!

 「三位一体」…キリスト教徒の皆さんは、三位一体の本来的な意味を御存知のはず。私のような無宗教徒は、「三つの別々のものが緊密に結びつくこと」という程度の認識。現政権の三位一体はなんなんだって?「三本の矢」…が結びつくってことでしょうか。
 「居候、三杯目にはそっと出し」…現代は、なんの意味か分からない状況じゃないかなあ。「居候、当たり前です三杯目」ってところでしょう。還暦過ぎの居候が珍しくない…。近所にも、還暦を過ぎた無職の男が、90歳近い母親の年金で暮らしています。心臓が悪いので働けないんだと…。雪かきも、90歳近い母親の仕事。

 「三人寄れば文殊の知恵」…これって、三人以上なら何人でも良い。「女、三人寄れば姦しい」これも、三人以上なら何人でも姦しい。「三尺下がって師の影を踏まず」も三尺以上下がっても同じだろうって?残念でした。師には添っていなければなりません。三尺よりも下がってはいけません。

 「盗人にも三分の理」…この諺を耳にする度、ジャンバルジャンを思い出します。
「早起きは三文の徳」…耳が痛い。年をとると、いくらでも眠れるのです。
 「桃栗三年、柿八年」…桃栗は本当に「三年」で結実するのか?我が家の「枇杷」は、20年経って実をつけましたがねえ。

 私の夢は、「三面六臂の活躍」…現実は、無面無臂…それでは生きられないので一面一臂で生きてます。なお、誕生月は、三月でーす。

講話して喉が痛い 老化の指摘も痛い

2014年03月14日 | Weblog
 昨日は、なんと、4学級で「講話をしました」。のど飴をたくさんなめたのに、今朝は喉が痛い。
 4学級にはそれぞれ担任が居るわけで、その担任の指導により、「私の講話への動機付けが」天と地ほど違う。
 悪い方の例…(6年生)
 私:「講師のアンティークです。よろしくお願いします」
 担任:「あ、よろしくお願いします」(担任は、水商売風の20代女性)
 私:「電子黒板と、パソコンをよろしくお願いします」
 担任:「え?あ、そう?」(こういうリアクションってあるかなあ?今から講話をする講師に対して、「聞いてないヨー」みたいな)
 どういう認識、コレ!1週間も前から決まっていたのに!開始時間になったので教室へ行ったらパソコンのコードがドウタラコウタラ。定刻に始められない。児童は、「グダーッ」としているのやら、おしゃべりに熱中しているのやら…これから、偉いおじさんが有難いお話しをするというのに、緊張感などなーんもない。
 凄く楽しい講話なのに、寝てるヤツが4ー5人。お話しをやめないのが2人。で、担任ときたら、私の話がはじまると同時に、どこかへ行っちゃった…。本来なら、態度の悪い児童へは、「出て行けコラ!」と強制退去を命じるところですが、二度と会うこともない子ども達ですから、あとでフォローできない…無視を決め込みました。

 悪いのは、この1学級だけでしたけどね。ほかの組は、講話後私の周囲を取り囲み、触るやら掴むやら、タッチングを求めてきました。いつもの光景でした。お約束通り、どさくさ紛れに股間を掴む子もおりまして…どこへ行っても、必ずいるのです。あと、「カンチョー」。まじめに叱るのもねぇ…。

 で、昨日は困惑することが3件…
 1件目:先生、頭の上、どうして毛がないの?
 凄い人気で気を良くしている直後なので、狼狽しましたよ。正面から「薄毛」を指摘されたわけで…しかも、悪気が一切無い。
 「う、あ、と、年をとったので、だんだん薄くなってきたんだよねー…」と、力なく答えるのが精一杯でした。

 2件目:私の背中に顔をくっつけていた子が、「先生、おじいちゃんと同じニオイがする!」やられました…。加齢臭を指摘された恰好。子どもは、悪意などなく、おじいちゃんのニオイと、私のニオイが同じであることにむしろ喜び(?)を感じている…。

 3件目:帰りがけの玄関で、4年生の男の子が私の顔を見て言いました。
 「年寄りはいいなあー!」と、しみじみとした口調。
 「ど、どうして年寄りがいいの?」
 「だって、皺がたくさんあるんだもの」
 「皺が好きなの?」
 「・・・・・」
 世の中には、皺だらけの顔になりたい小学生もいるってことかねえ…。

チェックインするときの「お帰りなさいませ」…

2014年03月13日 | Weblog
 この20年ほどでしょうか、ホテルでチェックインするとき、「お帰りなさいませ」と、いわれる。チェックアウトの時は、「いってらっしゃいませ」。

 はじめは、違和感がありました。初めて泊まるホテルでも、「お帰りなさいませ」ですから?「ありゃ?以前に泊まったっけかな?」と、不思議な気持ちでした。
 「いってらっしゃいませ」も、「こう言われたからには、またここへ戻らなければならないのか?私は、今日は我が家へ帰りたいのだが…」と、思ったりも。

 今は、すっかり慣れてしまいました。慣れてしまうと、「お帰りなさいませ」も「いってらっしゃいませ」も、記号になってしまいます。ホテル側の、「自宅気分でくつろげるための声がけ」という意図は薄れて来ているんじゃないかな。

 海外へ出るとき空港で、「いってらっしゃいませ」の表示を見ます。これは、外国へ行くので「いってらっしゃいませ」です。なんの違和感もない。
 帰国すると、「おかえりなさい」。違和感なし。外国では、多少はテンションが上がっていますから、「お帰りなさい」を見ると、安堵します。

 で、国際線の到着口には、日本語の「お帰りなさい」のほかに、英語、中国語、韓国語の表示があります。英語表示は、「お帰りなさい」ではなく、「日本へようこそ」の意味。そうだよね。英語を話す人たちに、「お帰りなさい」の表示では、意味が通じないでしょう。では、中国語、韓国語ではなんと書いてあるのか?同じアジアの人間だから、「お帰りなさい」なのか?これは普通に「ようこそ日本へ」なのだそうで…。因みに、出国のところには、日本語では「いってらっしゃい」ですがほかの言語では、「またお越しください」だという。

 空港の表示はしばらくそのままでいいです。ホテルの「お帰りなさいませ」「いってらっしゃいませ」は、埃を被ってしまいましたのでリニューアルしたほうがよい。案を示せって?
 チェックインでは・・・原点に還って「いらっしゃいませ、こんにちは」ではいかが?えっ、居酒屋じゃないんだからって?居酒屋でも、「お帰りなさい」って言われるんですけどねえ。江戸時代は、「お早いお着きで」と、言ったらしい。それもいいが、深夜のチェックインで、「お早いお着きで」は、ないかぁ?
 …リ、リニューアルしなくていいよぉーっ!

家事労働専業だって、「活用」

2014年03月12日 | Weblog
 そんなこと、誰がどうやって調べたんだ?私のところへは、調査が来なかったが。

 日本の男性が家事労働に費やすのは1日約1時間。経済協力開発機構(OECD)加盟国中で、最低レベルという。
 1日約1時間という数字は、名誉なのか不名誉なのか?国際社会では、「男の家事労働」は当然でしょうから、不名誉なのでしょう。「亭主関白」の見地からはぁ、名誉?

 最近ノルウェーの出番が多いなあと言われそうですが…男女の協力が一番進んでいるのはノルウェー。男性は、約3時間、女性は3時間半。
 日本の女性は、約5時間。日本の男性の5倍…。
 
 身の回りを見ると、男性の家事労働の多さが目立つのですがねえ…。「オレが、朝ご飯を作ります。その間妻は、顔を作ります(お化粧をしている)」という40代の公務員も。この男性は、「夕飯?もちろん私が作ります。その間、妻はジムで体を作っています」。このケースは特異かもしれませんが、家事労働の夫婦シェアは当たり前になってきていると思いますけどね。

 私の場合、家内が「家事労働は女の仕事」と、譲らないので、出番は皆無に近いです。せいぜい、雪かきぐらいですが、この雪かきも家内は自分の仕事だと思っている。家内はパートタイムの仕事を持っている。私は無職なので、雪かきぐらいしたいのだが…「雪かきぐらいさせろ!」「いいから、新聞でも読んでなさい!」…このような口論になることもあります…。「女は家事」というステレオタイプもここまでくれば立派というか…。まあ、それはそれでいい。働き方について、どう考えようと自由ですから。

 安倍さんは、「女性の活用」を成長戦略の柱に掲げています。なんでも米国のマネをする安倍政権なのですが、これは本気でやるとなると政権の正念場ですよ。環境を整えなければ、なりません。掛け声だけでは一歩も進みません。女性の活用を掲げてから、環境が何か変わりましたか?
 政府は専業主婦(夫)世帯の税負担を軽くする「配偶者控除」見直しの検討に入る…そこから来たか!道程は長いわ!数を頼りに米国並みにしてしまえばいいのですが…そうなると、批判の嵐は避けられないかな。経団連の力を借りるためにはTPP…。これも、「日本の農業を潰すのか!」の声の方にもいい顔を見せなければならない…。

 「女性の活用」…成長戦略の柱。これは、いいと思う。なぜなら、女性の持つ、「実直さ・清廉潔白さ」「粘り強さ」これは、男性の比ではない。ただ…働き方の選択は、自由。外で働こうが、家事労働を専門にしようが自由。

 ですから、「家事労働、日本の女性は、1日約5時間。男は約1時間」は、まあ、参考程度。不名誉だと嘆くのはおかしいです。えっ?嘆くも嘆かないも自由だろうって?そ、その通りです。好きなようにしてください、もう…。

大学生が読書しないのではなく、大学が読書しなくてもいい場所

2014年03月11日 | Weblog
 全国大学生協連の「学生生活実態調査」によれば、40.5%の大学生は1日の読書時間を0時間と答えたという。
 この調査結果が大きなニュースとして取り上げられましたが…40.5%って驚くべき数字なのかなあ?驚くとしたら、59.5%の大学生が読書している!と、いうことでしょう。

 「大学生=読書している」…これって、いつの話か?現代は、「59.5%の大学生=読書している」です。本を読まない学生の増加は、「スマホの普及で、読書の優先順位が後退したためでは」と、全国大学生協連はみている。スマホが出てくる前から、大学生はあきれるほど本を読まなかったですがね。

 米国の場合、トップレベルの大学では在学中におよそ500冊の本を読むという。日本人留学生が、課題図書を読みこなすのはそれはそれは大変なことなんだと。そりゃそうでしょう。英語で書かれた図書ですから。力のある日本人留学生にとっては勉強漬けで倒れる寸前…これが留学期間。力のない学生はどうなんだって?卒業はできないが、「留学した」という肩書きだけはぁ…付けても詐称にはならないかな。
 米国の場合、高校で読書しなければならない量も半端じゃない。読書しなけりゃ、レポートが書けないから。大学では、さらなり。

 と、いうことは…日本の大学生が読書しないのではなく、日本の大学は読書しなくても卒業できるということではないか?
 
 日本の某大学では、学生が主体となって「読書運動プロジェクト」を立ち上げた。読書会や関連の映画上映会、講演会などバラエティーに富んだイベントを開催。また学生の「おすすめ本」を紹介するなど、読書への関心を深めてもらおうと努力している。あれあれ、映画、講演会、イベントはともかく、「お互いに、おすすめ本を紹介する」これは、小学校でもやっていること。小学校では、保護者による、「読み聞かせ」もやっているところがある。「読書運動プロジェクト」でも、「読み聞かせ」をはじめたらいいのに。某大学に限らず、ほかの大学でも、読書への取り組みは見られるようですが…講師側ではなく、学生側のプロジェクト。

 学生が読書をせずにスマホばかり見ていると嘆く講師(教授・准教授・講師…)たち…40%が読まないことを嘆くなら、自分の講義は「読書をしなければ単位がとれない方式」にすればいいのに。傍観していたって、本を読むようにはなりません。

 だけどぉ、駅のホームの歩きスマホで線路に転落する事故が急増しているという。通行中の人とぶつかりトラブルになることも増えている。読書するようになればそんな事故は防げる…おっと、防げないですね。本を読みながら駅のホームを歩いたら…線路転落者がさらに増える。電車がない時代だったから、二宮金次郎が読み歩きできたんですね。
 「金次郎って、熊と相撲をとった人」かって?そ、それは、「金太郎」でしょ!もっと読書してくださいよ。

政治抜きで小学生に生き方を語る…

2014年03月10日 | Weblog
 もう今年度も終わるというのに、「お話しをして」という申し出が。今週だけで、1・3・6学年の計6学級でお話しをする予定。
 人権の話なら準備はあるが、一般的な話の場合は、新たに構想を練ります。

 何を話すか?
 6年生には、「君達が暮らす日本という国は…」という切り口で、「輸入できない状況になったら日本国は成り立たない」。君達はどう考えどう行動するか…。
 このように、糸口が見つかれば、話はどんどん進む。
 1年生に対しては・・・1年生って、分かっているようで分かっていない。ハナクソをほじくって味見する。日常の学校生活の課題を一つ一つ取り上げて、「では、今、君達はどう考えどう行動するか」と、持っていくつもり。行動に、「ハナクソほじくり」と「指しゃぶり」を入れるのかって?たぶん入れません。
 3年生も、思考の中身は、1年生と大同小異なんです。大上段に振りかぶって、「基本的人権とは?」など語っても、顔は前を向いていますが頭の中は、「あーあ、早く終わらないかなあ」です。

 「どう考えどう生きるか」については…つぎのような話題を組み合わせますねぇ。

 1 いじめにかかわっては、ジャイアン、のび太、スネ夫、しずかちゃん…いじめをなくすには、誰にどんな働きかけをしたらいいか?のび太とスネ夫は期待できない。傍観者であるしずかちゃんに一肌脱いでもらう。何より、ジャイアンに働きかけなければならないのですが…どう働きかけるか?このあたりを話します。

 2 意識しておくことについては・・・地球上の住民は、71億6940万人で、君達もその一人。1日の餓死者は4万人でそのうち2万人は5歳未満。日本で1日に廃棄される食材は、3000万食。この話で、グローバルな視点を目覚まさせます

 3 児童労働は、2億1500万人。ストリートチルドレンの人数は…当然ながら把握不能。君達日本の子どもは…足るを知り、世界平和に貢献する意識を…!うーん!高尚だ!(哄笑しないでね)

 4 助け合いについては、ソチ五輪から、ロシアのガファロフ選手の頑張り。そして、カナダのコーチ、ワーズワーフさんのこと。さらに、チームパーシュートのことも話しますねえ!チームパーシュートは、渡り鳥の助け合いと酷似しています。
 ソチ五輪とは関係ありませんが、「山手線渋谷駅」の出来事も時間があれば入れたいもの。電車とホームの隙間に挟まった少女。引っ張っても出られない。それで、ホームの客が協力して電車を押して片側の車輪をレールから浮かせ、電車とホームの隙間を広げて少女を救出した。救出後、協力した人たちは泣いた!なぜ?このあたりまで語り出すと、とても1時間では終わらない。
 助け合いについて話す話題が増える…これは嬉しいことです。

 政治関係は話さないのかって?小3に「竹島くん」がいるのですが…「竹島くん!独島と呼ばせてもらっていいかな?」…これは、おもしろくないデスネ。それこそ、人権問題。
 北朝鮮…この世に生を受けた瞬間から、徹底した思想教育の下で育てられた人間によって形成された「国家」。教育の大切さと恐ろしさ…これも、小学生には退屈かな。政治関係にはふれないでおきます。

移民受け入れより、ノルウェーの学習が先…

2014年03月09日 | Weblog
  日本の人口は、平成57年に1億人ギリギリとなり、平成67年には9千万人となってしまう。それ以降も減り続け、平成117年には4千万人台になる(総務省統計局)。
 これを傍観していていいか?「産めや増やせや」というわけにはいかないから、成り行き任せ?つまり、減るに任せる。で、唯一増やす方法は、「人口が多い国から、移民を受け入れる」…これ、国民を簡単に増やす唯一の策です。中山教授や、小保方さんに頼んでも増やせないのかって?いくら彼らでも、人口は増やせない。

 で、政府は、「人口の減少を止める。移民と出生率向上の施策で100年後も1億人を維持しよう」と、考えている。

 政府(内閣府)によると、2015年以降に毎年20万人の移民を受け入れて出生率も2.07になれば、2110年の人口は1億1404万人となる。

 来年度から、毎年20万人の移民を受け入れるとすると…
 どこの国から移民が来るか?中国、インド、パキスタン、バングラディシュ、スリランカ、イラン、ブラジル、ペルー…。
 今、気がかりなのは、日本で暮らす外国人による犯罪、及びトラブル。原因は、「生活習慣の違い」「言語(日本語)が解らない」のおおきく2点。これについて相当手厚くしないと、先住日本人の生命と財産の危機が訪れてしまいます。

 政府は移民の対象として、「日本への留学生に、移民として日本人になってもらう」という、絵に描いたような計画を持っている。留学生なら、文化の違いの心配、言語の心配も大幅に減る。そりゃあ名案。だけど、毎年、20万人の留学生が移民になってというオファーに応えてくれると思いますか?2万人だって無理でしょう。

 私の意見としまして、移民受け入れについては先住日本人との混合ではなく、隔離ですね。ダージリンからの移民に、「日本ダージリン村」に住んでもらう。村には、日本政府が、学校、病院、銀行、郵便局、スーパーマーケット等をつくる。そこで生活基盤を確立していただいてから、先住日本人の社会へ徐々に入っていただく。
 このようにしなければ、移民にも、先住日本人にも不幸が訪れてしまいます。移民受け入れには、莫大な予算が伴うということを政府は肝に銘じておかなければなりません。

 「国勢に見合う人口の目標値」がどのような数字なのか…これを究明することが先決でしょう。
 ノルウェーは、499万人の人口(北海道の人口は、550万人)で、GDPは23位。1人当たりのGDPは多く、世界有数の福祉国家でもある。ノルウェーと日本は国土面積がほとんど同じ。と、いうことは、1億人を維持することにこだわらなくても、499万人にまで減っても大丈夫ということにならないか?移民受け入れより、ノルウェーを目指す方が安全安心かもしれません。