徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

オリンピック フェンシング団体戦

2012-08-09 08:01:43 | その他スポーツ
正に劇的勝利。最後の1ポイントもビデオ判定。
どちらに転ぶかわからないスリリングな試合。
残り9秒で2点のビハインド?
ここからの逆転勝利。
これがスポーツの醍醐味。
日本が勝って良かった。

太田、残り1秒追いついて決勝!団体初のメダル確定…フェンシング
◆ロンドン五輪フェンシング(5日・エクセル)太田雄貴(26)=森永製菓=、千田健太(27)=ネクサス=、三宅諒(21)=慶大=の日本は、世界選手権3位のドイツに41―40で勝利。日本フェンシング団体初のメダルが確定した。一進一退の攻防を繰り広げ第9試合で太田が登場。一時逆転を許し追い込まれたが、39―40から残り1秒で同点に。勝負は1分間の延長となり先に1点先取したら勝利の場面で、3度のビデオ判定を乗り越え太田が1本決め、日本が劇的な勝利を飾った。

 大接戦に会場中が固唾(かたず)を飲んだ。3点リードで迎えた最終対決。エースの太田が10年世界選手権王者のP・ヨピッヒに攻め込まれる。5連続ポイントを許し、逆転された。以後、一進一退の攻防となったが、残り40秒で2点差をつけられた。残り6秒。太田のサーベルが相手の胴体をとらえた。残り1秒。再びポイント。同点。日本陣営が絶叫に包まれた。

 1分間の延長戦はサドンデス。先に仕掛けたのはヨピッヒだ。太田はポイントされたかに見えたが、相手に頭を下げる反則があり、ビデオ判定で無効に。残り49秒、ヨピッヒと太田が突き合ったが両者とも認定されなかった。その2秒後、太田の剣先が相手を突いたかのように見えた。3度のビデオ判定。1分後、審判の手が日本側に上がった。仲間やコーチが台上に飛び出した。「厳しい試合だった」。太田のびっしょりにぬれた顔に笑みがにじんだ。フルーレ団体13 件初のメダルが確定した。

 前回の北京で個人銀に輝いた太田だが、昨年から今年にかけて調子が上がらず、苦しんだ。原因は士気の低下。メダルを逃した昨秋の世界選手権後は一切剣を握らず、肉体改造に着手。年末には単独で沖縄に行き、砂浜を走った。「(メダルを)取りたいという飢えが弱かった」。精神面から鍛え直した五輪。だが、その思いは届かず、個人では3回戦を敗退し、メダルを逃した。

 そんなエースを仲間が支えた。準々決勝の宿敵、中国戦では太田に次ぐエース格の千田が活躍。「(太田の)マネをしてもそれ以上はいけない」と毎日の居残り練習でフットワークや突きのタイミングを研ぎ澄ませてきた苦労人だ。宮城県気仙沼市出身で、昨年3月11日の東日本大震災で親友の小野寺諭さん(享年25)も津波で亡くした。「ロンドン、期待してっから、がんばれよ」。生前に友人がかけてくれた言葉を胸に、大一番でチームに貢献した。

 若手の成長株、三宅も勝負所で加点。そして太田が土壇場で踏ん張った。団体初のメダル。「W杯なら早い段階で負けていたかもしれない。観客の後押しがあった」。太田はそう言って周囲に感謝した。

 ◆フェンシング団体の競技方法 1チーム3人の選手が総当たりで9試合戦う。1試合3分間で1試合目は5点目、2試合目は10点目、といった形で5の倍数まで得点できる。先に上限の得点をとるか、時間切れで次の試合に入る。合計点が先に45点達するか、9試合終了時点で合計点の高いチームが勝利。同点時は1分間1ポイントの先取の延長戦を行う。

 ◆太田 雄貴(おおた・ゆうき)1985年11月25日、滋賀・大津市生まれ。26歳。森永製菓所属。平安高(現龍谷大平安高)ではインターハイ男子フルーレで史上初の3連覇。04年アテネ五輪9位。08年北京五輪で銀メダル。10年世界選手権3位。171センチ、68キロ。

 ◆千田 健太(ちだ・けんた)1985年8月2日、宮城県生まれ。27歳。気仙沼高から中大に進学し、ネクサス所属。父・健一さんはフェンシングの元日本代表選手。08年北京五輪、11年世界選手権代表。同年アジア選手権2位。170センチ、69キロ。

 ◆三宅 諒(みやけ・りょう)1990年12月24日、千葉県生まれ。21歳。慶応高―慶大在学中(4年)。五輪は初出場。07年世界カデ選手権優勝。12年アジア選手権3位。178センチ、72キロ。

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