遊びのための狩り。
それは本当に裕福なことなのかな???
ひかたま(光の魂たち)さんのブログより
*転載はじめ*
現代では
遊びで大型動物を殺すために動物を殖やし、育てる繁殖場が存在します。
カナダのアレキサンドラ・ラモンタ-ニュさんは、
動物のために何かをしたくて、
動物ケアのボランティアとして南アフリカへ行きました。
彼女は、当初、サルのケアを考えていましたが、
縁あってデンマークの動物園へ送るというライオンの赤ちゃん5頭の世話をすることになりました。
彼女は、5頭のライオンの赤ちゃんたちととても親しくなり、
中でも、
セラビーちゃんはとくに懐きました。

Alexandra Lamontagne
とてもかわいい。

Alexandra Lamontagne
その後彼女は、ボランティア期間も終わり、カナダへ帰国。
そこで、衝撃の噂を耳にします。
彼女がいた繁殖場は、遊び用の猛獣狩りで使う動物たちの繁殖場の可能性があると。
南アフリカでは、「キャンド・ハンティングCanned Hunting」(缶詰状態にした野生動物を狩る)と呼ばれる囲いの中に放たれたラインなどの野生動物を撃ち殺す遊びが大きな産業となっているのです。
狭い領域内で撃ち殺すために、
誰でもお金さえ出せば、
容易に動物を殺すことが出来るというものです。
南アフリカでは、法律で「土地の所有者に自分の領地内の野生動物の所有権がある」と定められています。
そのため、
広大な土地を持つ所有者は、
野生動物を繁殖させて、
それを高額の価格で撃ち殺させるというビジネスをしてしまうのです。
こんな可愛いライオンたちが、殺されるためだけに育てられています。
しかも、人によって育てられた動物たちは、
人を信頼しているのに、
遊びのために殺してしまう。

Alexandra Lamontagne
彼女は、セラビーちゃんをたすけるためにフェイスブックで寄付を募りました。
FaceBook
そして、資金が集まると同時に、セラビー救出へ南アフリカへと向かいました。
セラビーを買い取りに行くと、
そこにはさらにたくさんの赤ちゃんラインたちが飼育されていました。
彼女は、たった一頭分しか救える資金がないことに苦悩しました。
こんなかわいいライオンたちが遊びで殺されるためだけに飼育されているのです。

BloodLions/Pippa Hankinson
そして、殺した動物たちの頭を切り取り、壁に張り付ける。
写真は、殺した動物たちの死体を壁に貼ってある部屋。

BloodLions
現代社会ではお金や権力、名誉が豊かだと洗脳されます。
そして、
お金を払えば自分の所有物という妄想がエスカレートすると、
貴重な生き物の命さえ、
無慈悲に殺して、しかも喜ぶという異常な行動へと発展してしまうことがあります。
お金についての認識を正しく持てない人は、
無駄な虚飾と過剰な欲望を優先し、
財産への執着、名誉への執着、自我への執着と、
お金が増えるにしたがって、
心は貧しくなっていきます。
長い地球の歴史と比較して、
私たちの一回の人生はたったの100年程度なもの。
この短い人生の中で、
地球環境や他の生き物たちに迷惑ばかりかけてばかりいるのは、
とても悲しいことです。
この1つの宇宙の始まりから終わりまでの期間は、
1カルパという単位で表現されます。
カルパは、サンスクリット語に由来し、仏教では劫(こう)と称します。
永劫とか億劫(おっくう)とか落語の「寿限無」に出てくる「五劫のすり切れ」の劫のことです。
ある1つの宇宙の寿命は、
諸条件によって、その長さが変化しますので、
三次元的な時間として表現するために
30種類ものカルパが説かれています。
その一つに、天女の喩えがあります。
インドの単位で1ヨジャナ(約11.3~14.5km)の幅と奥行き、高さの岩山があるとします。
その山に一万年に一回(三年に一回とか百年に一回と説く場合もあります)だけ天女が降りて来て、
山の上を羽衣の袖で一回撫でます。
すると
岩の分子がいくつか擦り減ります。
それを繰り返し、
岩山が地面と同じ高さに磨り減るまで繰り返す時間が
ちょうど1カルパに相当するという話です。
釈迦大師は悟りを開いた時に、
およそ十の五十乗~六十乗の期間を一阿僧祇(あそうぎ)と称しますが、
自らの四阿僧祇十万カルパもの期間の輪廻を見通したとも伝えられています。
この表現は喩えとしても、
普通の人の人生は長くても百年くらいのものですから、
人の一つの生涯は創造主の大いなる経綸の中においてほんの一瞬程度のものです。
このような観点からすると、
一瞬の人生ための、
経済的な富・名誉・地位・所有物などはすべて刹那的なものと見なすことができます。
また、
すべてのものに対する愛、思いやり、奉仕、寛容などの霊的美徳は、
輪廻を超えて持ち越せる魂の財産となるという大師たちの言葉が理解できます。
これを理解できれば、
私たちはこの短い人生の中で何をすべきなのかは、
明らかです。
そして、
動物を遊びのために撃ち殺したり、ただ殺すためだけに繁殖させるなどという行為は、どんな状況であれ、
やってはいけないこと、
あり得ないことです。
*転載おわり*
何かがおかしいと感じる人
それはいい!楽しそう!!と感じる人
それぞれなんだろうな
興奮状態を楽しむためにむやみに命を奪う、そのために命を繁殖させる
その後ろにあるのは人が作り出したお金
お金の使い方を間違えてる
それは本当に裕福なことなのかな???
ひかたま(光の魂たち)さんのブログより
*転載はじめ*
現代では
遊びで大型動物を殺すために動物を殖やし、育てる繁殖場が存在します。
カナダのアレキサンドラ・ラモンタ-ニュさんは、
動物のために何かをしたくて、
動物ケアのボランティアとして南アフリカへ行きました。
彼女は、当初、サルのケアを考えていましたが、
縁あってデンマークの動物園へ送るというライオンの赤ちゃん5頭の世話をすることになりました。
彼女は、5頭のライオンの赤ちゃんたちととても親しくなり、
中でも、
セラビーちゃんはとくに懐きました。

Alexandra Lamontagne
とてもかわいい。

Alexandra Lamontagne
その後彼女は、ボランティア期間も終わり、カナダへ帰国。
そこで、衝撃の噂を耳にします。
彼女がいた繁殖場は、遊び用の猛獣狩りで使う動物たちの繁殖場の可能性があると。
南アフリカでは、「キャンド・ハンティングCanned Hunting」(缶詰状態にした野生動物を狩る)と呼ばれる囲いの中に放たれたラインなどの野生動物を撃ち殺す遊びが大きな産業となっているのです。
狭い領域内で撃ち殺すために、
誰でもお金さえ出せば、
容易に動物を殺すことが出来るというものです。
南アフリカでは、法律で「土地の所有者に自分の領地内の野生動物の所有権がある」と定められています。
そのため、
広大な土地を持つ所有者は、
野生動物を繁殖させて、
それを高額の価格で撃ち殺させるというビジネスをしてしまうのです。
こんな可愛いライオンたちが、殺されるためだけに育てられています。
しかも、人によって育てられた動物たちは、
人を信頼しているのに、
遊びのために殺してしまう。

Alexandra Lamontagne
彼女は、セラビーちゃんをたすけるためにフェイスブックで寄付を募りました。
そして、資金が集まると同時に、セラビー救出へ南アフリカへと向かいました。
セラビーを買い取りに行くと、
そこにはさらにたくさんの赤ちゃんラインたちが飼育されていました。
彼女は、たった一頭分しか救える資金がないことに苦悩しました。
こんなかわいいライオンたちが遊びで殺されるためだけに飼育されているのです。

BloodLions/Pippa Hankinson
そして、殺した動物たちの頭を切り取り、壁に張り付ける。
写真は、殺した動物たちの死体を壁に貼ってある部屋。

BloodLions
現代社会ではお金や権力、名誉が豊かだと洗脳されます。
そして、
お金を払えば自分の所有物という妄想がエスカレートすると、
貴重な生き物の命さえ、
無慈悲に殺して、しかも喜ぶという異常な行動へと発展してしまうことがあります。
お金についての認識を正しく持てない人は、
無駄な虚飾と過剰な欲望を優先し、
財産への執着、名誉への執着、自我への執着と、
お金が増えるにしたがって、
心は貧しくなっていきます。
長い地球の歴史と比較して、
私たちの一回の人生はたったの100年程度なもの。
この短い人生の中で、
地球環境や他の生き物たちに迷惑ばかりかけてばかりいるのは、
とても悲しいことです。
この1つの宇宙の始まりから終わりまでの期間は、
1カルパという単位で表現されます。
カルパは、サンスクリット語に由来し、仏教では劫(こう)と称します。
永劫とか億劫(おっくう)とか落語の「寿限無」に出てくる「五劫のすり切れ」の劫のことです。
ある1つの宇宙の寿命は、
諸条件によって、その長さが変化しますので、
三次元的な時間として表現するために
30種類ものカルパが説かれています。
その一つに、天女の喩えがあります。
インドの単位で1ヨジャナ(約11.3~14.5km)の幅と奥行き、高さの岩山があるとします。
その山に一万年に一回(三年に一回とか百年に一回と説く場合もあります)だけ天女が降りて来て、
山の上を羽衣の袖で一回撫でます。
すると
岩の分子がいくつか擦り減ります。
それを繰り返し、
岩山が地面と同じ高さに磨り減るまで繰り返す時間が
ちょうど1カルパに相当するという話です。
釈迦大師は悟りを開いた時に、
およそ十の五十乗~六十乗の期間を一阿僧祇(あそうぎ)と称しますが、
自らの四阿僧祇十万カルパもの期間の輪廻を見通したとも伝えられています。
この表現は喩えとしても、
普通の人の人生は長くても百年くらいのものですから、
人の一つの生涯は創造主の大いなる経綸の中においてほんの一瞬程度のものです。
このような観点からすると、
一瞬の人生ための、
経済的な富・名誉・地位・所有物などはすべて刹那的なものと見なすことができます。
また、
すべてのものに対する愛、思いやり、奉仕、寛容などの霊的美徳は、
輪廻を超えて持ち越せる魂の財産となるという大師たちの言葉が理解できます。
これを理解できれば、
私たちはこの短い人生の中で何をすべきなのかは、
明らかです。
そして、
動物を遊びのために撃ち殺したり、ただ殺すためだけに繁殖させるなどという行為は、どんな状況であれ、
やってはいけないこと、
あり得ないことです。
*転載おわり*
何かがおかしいと感じる人
それはいい!楽しそう!!と感じる人
それぞれなんだろうな
興奮状態を楽しむためにむやみに命を奪う、そのために命を繁殖させる
その後ろにあるのは人が作り出したお金
お金の使い方を間違えてる