おやつ堂 のあ in 黒部・宇奈月

黒部・宇奈月のちいさな手作りお菓子屋「おやつ堂 のあ」の日々あれこれそれこれぶつくさ日記。今日は何を書こうかな***

セラビー

2015-10-14 15:58:26 | おやつ堂 のあ
遊びのための狩り。
それは本当に裕福なことなのかな???
ひかたま(光の魂たち)さんのブログより
*転載はじめ*

現代では
遊びで大型動物を殺すために動物を殖やし、育てる繁殖場が存在します。

カナダのアレキサンドラ・ラモンタ-ニュさんは、
動物のために何かをしたくて、
動物ケアのボランティアとして南アフリカへ行きました。

彼女は、当初、サルのケアを考えていましたが、
縁あってデンマークの動物園へ送るというライオンの赤ちゃん5頭の世話をすることになりました。

彼女は、5頭のライオンの赤ちゃんたちととても親しくなり、
中でも、
セラビーちゃんはとくに懐きました。

Alexandra Lamontagne

とてもかわいい。

Alexandra Lamontagne

その後彼女は、ボランティア期間も終わり、カナダへ帰国。
そこで、衝撃の噂を耳にします。

彼女がいた繁殖場は、遊び用の猛獣狩りで使う動物たちの繁殖場の可能性があると。

南アフリカでは、「キャンド・ハンティングCanned Hunting」(缶詰状態にした野生動物を狩る)と呼ばれる囲いの中に放たれたラインなどの野生動物を撃ち殺す遊びが大きな産業となっているのです。
狭い領域内で撃ち殺すために、
誰でもお金さえ出せば、
容易に動物を殺すことが出来るというものです。

南アフリカでは、法律で「土地の所有者に自分の領地内の野生動物の所有権がある」と定められています。
そのため、
広大な土地を持つ所有者は、
野生動物を繁殖させて、
それを高額の価格で撃ち殺させるというビジネスをしてしまうのです。

こんな可愛いライオンたちが、殺されるためだけに育てられています。
しかも、人によって育てられた動物たちは、
人を信頼しているのに、
遊びのために殺してしまう。

Alexandra Lamontagne

彼女は、セラビーちゃんをたすけるためにフェイスブックで寄付を募りました。
FaceBook

そして、資金が集まると同時に、セラビー救出へ南アフリカへと向かいました。

セラビーを買い取りに行くと、
そこにはさらにたくさんの赤ちゃんラインたちが飼育されていました。
彼女は、たった一頭分しか救える資金がないことに苦悩しました。

こんなかわいいライオンたちが遊びで殺されるためだけに飼育されているのです。

BloodLions/Pippa Hankinson

そして、殺した動物たちの頭を切り取り、壁に張り付ける。
写真は、殺した動物たちの死体を壁に貼ってある部屋。

BloodLions

現代社会ではお金や権力、名誉が豊かだと洗脳されます。
そして、
お金を払えば自分の所有物という妄想がエスカレートすると、
貴重な生き物の命さえ、
無慈悲に殺して、しかも喜ぶという異常な行動へと発展してしまうことがあります。

お金についての認識を正しく持てない人は、
無駄な虚飾と過剰な欲望を優先し、
財産への執着、名誉への執着、自我への執着と、
お金が増えるにしたがって、
心は貧しくなっていきます。

長い地球の歴史と比較して、
私たちの一回の人生はたったの100年程度なもの。
この短い人生の中で、
地球環境や他の生き物たちに迷惑ばかりかけてばかりいるのは、
とても悲しいことです。

この1つの宇宙の始まりから終わりまでの期間は、
1カルパという単位で表現されます。

カルパは、サンスクリット語に由来し、仏教では劫(こう)と称します。

永劫とか億劫(おっくう)とか落語の「寿限無」に出てくる「五劫のすり切れ」の劫のことです。

ある1つの宇宙の寿命は、
諸条件によって、その長さが変化しますので、
三次元的な時間として表現するために
30種類ものカルパが説かれています。

その一つに、天女の喩えがあります。
インドの単位で1ヨジャナ(約11.3~14.5km)の幅と奥行き、高さの岩山があるとします。
その山に一万年に一回(三年に一回とか百年に一回と説く場合もあります)だけ天女が降りて来て、
山の上を羽衣の袖で一回撫でます。
すると
岩の分子がいくつか擦り減ります。
それを繰り返し、
岩山が地面と同じ高さに磨り減るまで繰り返す時間が
ちょうど1カルパに相当するという話です。

釈迦大師は悟りを開いた時に、
およそ十の五十乗~六十乗の期間を一阿僧祇(あそうぎ)と称しますが、
自らの四阿僧祇十万カルパもの期間の輪廻を見通したとも伝えられています。

この表現は喩えとしても、
普通の人の人生は長くても百年くらいのものですから、
人の一つの生涯は創造主の大いなる経綸の中においてほんの一瞬程度のものです。

このような観点からすると、
一瞬の人生ための、
経済的な富・名誉・地位・所有物などはすべて刹那的なものと見なすことができます。

また、
すべてのものに対する愛、思いやり、奉仕、寛容などの霊的美徳は、
輪廻を超えて持ち越せる魂の財産となるという大師たちの言葉が理解できます。

これを理解できれば、
私たちはこの短い人生の中で何をすべきなのかは、
明らかです。
そして、
動物を遊びのために撃ち殺したり、ただ殺すためだけに繁殖させるなどという行為は、どんな状況であれ、
やってはいけないこと、
あり得ないことです。

*転載おわり*
何かがおかしいと感じる人
それはいい!楽しそう!!と感じる人

それぞれなんだろうな

興奮状態を楽しむためにむやみに命を奪う、そのために命を繁殖させる
その後ろにあるのは人が作り出したお金
お金の使い方を間違えてる

シロ

2015-10-14 14:55:01 | おやつ堂 のあ
動物は素直です。
好きなら好き 嫌いなら嫌い
人みたいに裏切ったり落としいれたりしない
純粋で綺麗で真っ直ぐな生き物です
内海さんのFBより
*転載はじめ*

飼い主に捨てられ保健所や動物管理事務所に引き取られた犬や猫などの動物はどうなるのか・・・ライオンは草食動物を食べチンパンジーも肉食でゴリラはアリを食べる。
だから生物が生物を食べるのは生きていくうえで理解できるが、動物実験や殺処分は自然の摂理からは外れている。
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実はこっそり動物実験用に渡されていたという事実はほとんど知られることはありませんでした。
何十年もの間全国で行われてきたこの悪習を大きく変えさせたのが、1990年の12月に起こった「シロ」を巡る出来事です。
テレビ・新聞で大反響となり一万人の署名が東京都を変え、ついには平成18年全国で動物実験への払い下げはゼロになりました。
そのきっかけとなった「シロ」の話。
日本では保健所や動物収容所に連れてこられた犬や猫の運命は、「ガス室」に入れられて殺されるか、「実験動物」として大学の医学部などの研究機関に払い下げられるというものでした。
飼い主に捨てられ保健所で殺処分を待っていた犬「シロ」はまだ一歳でした。
殺される恐怖におびえる日々を送っていた「シロ」、そんな「シロ」が保健所から出される日が来ました。
しかし行先は動物実験のための東京都にある国立病院。
若くて元気でひとなつっこい「シロ」は保護された犬の中から選ばれて、とうとう実験動物にされてしまいました。
 
動物実験に使うために1300円で病院へ売られたのです。
「シロ」は脊椎を切断するというとてもつらい実験をやらされました。
左足は麻痺しました。
その後手当もされず放置されました。
背中には大きな手術の傷。
そして全身もストレスや皮膚病のため毛が抜け落ちているままにされていました。
「シロ」の隣の檻にはビーグル犬のメリーがいました。
メリーはワクチンの実験に使われ生き残りましたが、今度は脊椎の実験に使われ、その後実験者が転勤になった後は忘れ去られたように、5年間ずっと檻の中にほったらかしにされていました。
ある晴れた日、動物保護ボランティアの人たちによって「シロ」たちは保護され手当てを受けました。
看護によって「シロ」は散歩にまで行けるようになりました。
「シロ」は少しずつよくなっていきました。
でも吠えることも鳴くこともできませんでした。
うつろな瞳をして、一日中ぼんやりとしていました。
何か月暮らすうちに「シロ」は元気を取り戻しました。
白い毛が生えそろい瞳を輝かせて嬉しそうにはしゃいだりしました。
堅く引きつっていた足も地面につけられるようになっていました。
いたずらをしたり顔をペロペロとなめたり甘えるようにもなりました。
でもその幸せは長く続きませんでした・・・
「危険に対して身構える」といった能力にかけ車が来ても飛び出していき、方向感覚がまるでありませんでした。
そして運命の日、12月24日のクリスマスイブの夕方でした。
「シロ」は国道で自動車事故に遭い死んでしまったのです。
「シロ」は実験室から生還してわずか一年しか生きることはできませんでした。
推定年齢わずか二歳の短い一生です。
けれども「シロ」の存在がテレビや新聞で大きな話題となり、毎年何万頭もの犬や猫たちを実験の苦しみから救い出す大きなちからとなりました。
そして平成17年末をもって動物実験への犬猫の払い下げは、全国的に廃止になったのです。
このことは日本の犬や猫たちをめぐる歴史の中で、忘れられない大きなできごとの大きなひとつであるにちがいありません。
「シロ」はきっとそのために役目をもって生まれた犬だったと思います。
こうしている今もなお「シロ」のような犬たちが、毎年何万頭となく実験室の中でつらい苦しい目にあわされています。
日本には残酷で無意味な動物実験を監視して、止めさせることのできる仕組みがまだなにもありません。
声のない動物たちの訴えに耳を傾けてみましょう。
そうすれば私たちが何をしたらいいかきっとわかるとおもいます。

*転載おわり*
薬や化粧品などのための動物実験。
ずっと叩かれ続けるチンパンジーやうさぎの目に薬品を差し込み腐る行程の観察だとか。
犠牲になる動物もさることながら、実験に使われる研究費も莫大です。
化粧品とはか、過去の実験結果が出ているにもかかわらず、新しい化粧品を作るには再度実験が必要と以前何かで読んだ記憶があります。
悲しみや苦しみの想いに包まれるこの世です。