「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県大山町  「 上野橋 」

2019-06-08 18:17:16 | 大分の石橋

 

 

 

 

 

 上流側から見た石橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 輪石の内側はぎっしりと目が詰まっている

 

 

 

 

 下流側からのアーチ内部の光景

 

 

 

 

 右岸の橋脚部分

 

 

 

 

左岸の橋脚部分

 

 

 

 

 沢の下は深い淵になっている

 

 

 

所在地  / 大分県大山町西大山

架橋  /  昭和14年 ( 1925年 )

石工  / 不明

橋長  / 15.0m  橋幅  / 5.2m

径間  / 9.0m  拱矢  /  2.8m

環厚  / 50cm   単一アーチ

 

大山町唯一の石橋の上野橋は、大山町の鎌手地区に架かる橋で、

国道212号線から前津江村赤石に通じる県道698号線に入って

約500mほど進んだ場所に架かっている。

橋は谷を流れる沢の木立の中にあり、

下に降りていかなければ石橋だとは気づき難い。

左岸の橋脚は自然石の上に築かれ、

そこから立ち上げられた輪石はきれいに揃えられたやや小ぶりの石で組まれ、

隙間がないほど目が詰まっている。

 


大分県九重町  「 松栄井路橋 ( しょうえいいろきょう ) 」

2019-03-27 16:53:46 | 大分の石橋




















































目印になる山の頂部付近にある用水施設から右に降りた場所にある





所在地  / 大分県九重町松木
架橋  /  不明
石工  /  不明
橋長  /   ?  橋幅  / 1.8m
径間  / 3.3m  拱矢  / ?

この石橋を探し出すのに苦労した橋である。
そんな山あいにある松栄井路の架橋や石工などは不明である。
この水路橋は宝八幡宮の裏参道から、
山の頂上を目指して行った場所から右に降りた谷に架かっている。
きれいな弧を描いたアーチは馬蹄形に組まれている。
水路には水が流れており、大事な農業用水の運搬に役立っている。


大分県玖珠町日出生車谷  「 筒井橋 」

2019-03-22 17:52:43 | 大分の石橋



































































所在地  / 大分県玖珠町車谷
石工  /  不明
架橋  / 明治44年 ( 1866年 ) 
橋長  / 22.3m  橋幅  / 4.5m 
径間  / 16.4m   拱矢  / 4.6m
環圧  / 60cm

大分県玖珠町の森地区から山道を上り、
日出生台の中を湯布院町に通じる県道の旧道に架かる橋である。
今は上に新しい道が開通し、
それに伴い橋が架けられたためこの橋を通る人も少なくなったが、
農作業をする人には欠かせない生活道路である。


大分県九重町  「 深瀬桁橋 」

2019-03-11 16:19:57 | 大分の石橋
























通路部はリヤカーが通るくらいのリヤカー道







直ぐ側を久大本線 ( ゆふ高原線 ) が通っている






深瀬桁橋は国道210号線を挟んで深瀬橋の反対側にあり、
小さな沢に降りて行ったところに架かっている。
架橋や石工などは不明だが、
桁で組まれた石組みを囲むように累々と壁石が積まれており、
その姿は圧巻である。



大分県日田市  「 化生谷橋 」

2019-03-07 17:50:41 | 大分の石橋




















やや上部から見た石橋と通路部







小さいながらにも大きな輪石が使われている








用水路から橋を覗く








当時の面影が残る親柱






所在地  /  大分県日田市田島
架橋  /  不明
石工  /  不明
橋長  /  4.0m   橋幅  /  3.6m
拱矢  /  0.85m  径間  /  1.8m
環厚  /  33cm   形状  /  単一アーチ


化生谷橋 ( けしょうだにばし ) は、
大分県日田市の市道であった旧道に掛かる橋であったが、
道路改良工事で払い下げられ、現在は個人の所有地になっている。

小さい橋だが、かつては市道として活躍していただけあって、
橋の規模よりも大きな輪石が使われている。
横から覗き込むと内部も隙間なくしっかりと組まれており、
頑丈な作りになっている。
現在は橋としての機能はしていないが、
親柱が橋としての往時の面影を遺している。


大分県日田市  「 ゴクナシ橋 」

2019-03-02 17:31:16 | 大分の石橋













































所在地  /  大分県日田市求来里 ( 河川公園 )
架橋  /  江戸時代と推定
石工  /  不明
橋長  /  2.8m   橋幅  /  1.5m~1.7m
板厚  /  23cm   形状  /  三枚桁橋


日田市求来里の河川公園に3基の石橋が移設保存されているが、
そのうちの一つである。
架橋は江戸時代と推定されるが詳細については分からない。
ゴクナシ橋は道路改修に伴い撤去され、
現地保存されていたが、水害により現在の河川公園に移設されたものである。
元来は3本の桁橋であったが、1本が折れたため親柱として立てている。


大分県九重町  「 野上発電所沈砂池橋 」

2019-02-27 16:50:22 | 大分の石橋






















































沈砂池から上に100mほど行った場所にある水の受け入れ口








施設内にある 「 水利使用標識 」







二つあるアーチの一つを望遠で撮ったもの






所在地  / 大分県九重町大字後野上
架橋  /  野上発電所運転開始 ( 大正9年 ( 1920年 ) 3月 )
橋幅  /  1.55m  径間  / 2.5m
環厚  / 30cm

国道210号線から県道40号線 ( 飯田高原中村線 ) に入って
約4キロほど行くと、町田発電所の手前にフェンスで囲まれた施設がある。
その中にある水の取入口のアーチであるが、上部は監視台の役目をしており、
水圧に耐えれるように頑丈に造られている。

また、100mほど上流に行った場所にある水の取り入れ口にもアーチがあり、
施設内の 「 水利使用標識 」 には、
九州電力株式会社 大分支店技術部 日田土木保修所長 と書かれていた。


大分県前津江村出野  「 田代橋 」

2019-02-02 19:16:28 | 大分の石橋












下流側から見た田代橋








田代橋の遠望







橋の袂にあるバス停








下流側から見た壁石








上流側だけ送水管を這わしている








建築用の壁のように目地を揃えた石積み








現在も主要道路として使用されている橋の通路部








目印になる出野 ( いづの ) 小学校





所在地 / 大分県日田市前津江町出野 
架橋  / 大正15年11月 ( 1925年 ) 
石工  / 不明
長さ   /  20.0m  幅   /  3.6m
拱矢  /  不明    径間   /  18.8m
環厚  /  ?cm


田代橋は出野小学校から200mほど奥に入った場所にあり、
県道698から分岐した田代集落に通じる村道に架かっている。


大分県日田市  「 石鍋橋 」

2019-01-15 16:21:09 | 大分の石橋











下流側から見た石鍋橋の全景









新橋の親柱の銘板








木々の隙間からわずかに輪石が見える








笹で輪郭が解りづらい








石橋は下流に架かる新橋のすぐ上に架かっている








輪石が崩れ落ちた上流側








崩落した左岸の壁石








残った輪石が痛々しい上流側右岸






所在地 / 大分県日田市東有田 ・ 月出山川
架橋  / 明治30年 ( 1897年 )
石工  / 不明
長さ   /  9.0m  幅   /  4.10m
高さ  /  不明   径間   /  7.50m
拱矢  /  2.50m   環厚   /  0.40m 


石鍋橋は日田市東有田の月出山川に架かる石橋だが、
映像でも画像でもお分かりいただけると思うが、
輪石や壁石は崩落し、いつ崩れてもおかしくない状態である。


大分県竹田市久住町白丹稲葉 「 東稲葉橋 」

2018-12-24 14:28:56 | 大分の石橋

























親柱に刻まれた石工の野田寅蔵の名前




架橋  /  大正13年
石工  /  野田寅蔵
長さ   /   7.5m   幅   /   3.0m
拱矢  /   2.5m   径間  /   7.0m
環厚  /   35㎝   単一アーチ



やっとの思いで探し出した西畑橋から300mほど上流に架かっているが、
この橋を知っている人が少なくてここでも時間を食ってしまった。

石橋は県道に架かる新稲葉橋の下流に架かっているが、
新稲葉橋の存在が大きいので、なかなか見つけることが出来なかった。
小じんまりとした橋は牧歌的で、周りの田園風景に溶け込んでいた。

規律よく並べられた輪石が気持ちよく、壁石との調和が取れていた。
路盤はコンクリートで補強され、
欄干がないため墜落防止にフェンスで保護された何とも頼りなさそうな感じが
かえって味を出している。

( 大分県竹田市久住町白丹 稲葉 )


大分県中津江村  「 間地橋 」

2018-12-05 18:05:41 | 大分の石橋

























国道442号線からの遠望





























右岸の橋台部分








左岸の橋台部分















下流側から見た間地橋







 「 梅の川 」 と彫られた親柱







まだ通行可能な通路部






所在地 / 大分県日田市中津江町栃野 : 梅野川
架橋  / 大正11年11月 ( 1922年 ) 
石工  / 梶原友吉
長さ   /  24.5m  幅   /  4.8m
拱矢  /  7.6m  径間   /  17.1m
環厚  /  64cm


国道442号線を中津江村役場から
鯛生金山に向かって1.5キロほど走るとトンネルがある。
そのトンネルを抜けた右側の谷に架かっている。
もともと旧道の橋で、大正11年の架橋の割にはしっかりとして、
今でも通行可能な現役の橋である。

民家の脇の階段から橋の下に降りて行くことが出来る。


大分県日田市 ・ 広瀬淡窓の桂林荘に架かる 「 桂林桁橋 」

2018-10-08 12:33:30 | 大分の石橋











































































所在地 /  大分県日田市城町 ( 桂林荘 )
架橋  /  不詳
石工  /  不詳
橋長  /  6.4m  橋幅  /  0.65m
四径間桁橋


桂林荘のそばに橋があるということで、
桂林桁橋というのは名は仮称である。

広瀬淡窓が開いた私塾 「 咸宜園 」 は有名であるが、
その前身の桂林荘があった場所の横を流れる小川に架かった桁橋が
桂林桁橋である。
四径間に二枚の桁石を並べたシンプルな石橋だけに、
素朴な味わいがある。


大分県本耶馬渓町  「 要 ( かなめ ) 二号橋 」

2018-06-25 16:34:55 | 大分の石橋



逆光になった下流側からの全景









上から見た橋の通路部








アーチ頂部の輪石と壁石







3、4段に組まれた橋台部分







わずかに刈られた道の先に橋が見える







目印となる一本杉の下に橋がある






所在地 /  大分県中津市本耶馬渓町西谷 要 
架橋  /  不明
石工  /  不明
長さ   /  6.0m  幅   /  2.1m
拱矢  /  1.5m  径間  /  3.2m
環厚  /  40 ㎝  
単一アーチ


要二号橋は要橋の200mほど上流に架かる橋である。
小型ながら馬蹄形の美しい橋であったが、
平成5年の洪水で川床の様子も一変した。
この橋は地元の相良仁六氏が対岸の畑に渡るために架けたものであるが、
今は橋の先の道が整備されてないので通行する人もいない。


要二号橋へのアクセス
要二号橋へは、要橋から200mほど上流にあるため
要橋を参考にしてもらいたい。 
位置的に上の写真の一本杉の下になる。
駐車は、橋の入り口の脇道の広くなった場所に駐車した。


大分県耶馬溪町金吉  「 幸田橋 ( こうだばし ) 」

2018-04-23 12:56:53 | 大分の石橋



上流側から見た幸田橋の全景









「 幸田橋 」 と刻まれた親柱








周りの景色と橋が自然に溶け込んでいる









水切りを要に扇形に開いたアーチ








補強されていない方の2連のアーチ








補強されていない橋脚の水切り部分








中央アーチの輪石








土砂でやや埋まっている山側のアーチ








一番奥は周囲をコンクリートで補強されている








補強されているコンクリートと石橋の継ぎ手部分








通路部はアスファルト舗装され気付かずに行きそうである








清流が流れる上流側の渓谷







橋によって道がクランクに折れている






所在地 /  大分県耶馬溪町金吉
架橋  /  昭和30年3月
石工  /  竹井勉太郎
長さ   /  13.3m  幅   /  3.5m
拱矢  /    1.4m 
径間  /  3.48m ・ 3.54m ・ 3.34m
環厚  /  30 ㎝   
3連アーチ



山崩れのあった耶馬溪町金吉地区に架かる幸田橋は、
下郷から山移を結ぶ県道山形大島線の山の中に架かる橋で、
3連のアーチでつながっている。
渓谷の広くなった場所にしては川床が浅く、
地理的な構造から橋面を高く出来なかったことによるものであろう。
平成5年の降雨増水で川床が荒らされ、
以前のひなびた姿が失われてしまっている。
そのため現在は一部コンクリートで補強されている。
建設は地元業者が請け負い、石工は竹井勉太郎が務めた。


幸田橋へのアクセス
幸田橋へは、国道212号線の下郷信号機から左に入り、
150mほど行ったところにあるバイク屋からさらに左に入る。
そこから道なりに2.5キロほど行くと二股に分かれたところを
右に1.5キロほど進んだ場所に架かっている。
駐車は、橋近くの道路の広くなった場所に駐車した。


大分県宇佐市  「 高野橋 ( こうやばし ) 」

2018-03-19 12:41:34 | 大分の石橋



伊呂波川を跨ぐ橋は階段の部分が変則に見える









下流側からの眺望








橋の片方だけに石段が設けられている








橋の向こうには高野堂入り口に立つ仁王像が見える








石工の松原庄之助と桑原百之助の名が刻まれた親柱








世話人 江河 登の名が刻まれた親柱








県道 ( 円座中津線 ) から対岸に架けられた橋








輪石と路盤と高欄だけのアーチ頂部








川土手から直接組み上がった橋脚と壁石








輪石を5本あるいは4本で組まれたアーチ








道路よりも高くなっているのは高野堂への参道に合わせたため






所在地 /  大分県宇佐市麻生 ・ 伊呂波川
架橋  /  大正8年
石工  /  松原庄之助 ・ 桑原百之助
長さ   /  7.0m  幅   /  2.6m
拱矢  /  2.5m  径間  /  7.0m
環厚  /  40㎝   単一アーチ


高野橋は伊呂波川の左岸の県道から
対岸の高野堂への参拝道として架けられた橋である。
対岸の参道の高さに橋を合わせているため、
低い方の県道側からは階段になっており、
その独特な形がこの橋の良さを醸し出している。
また、この橋は熱心な信者であった個人が、
出資し寄進したものといわれている。
親柱には地元石工の松原庄之助と桑原百之助と、
世話人である江河 登の名が刻まれている。


高野橋へのアクセス
高野橋へは、中津市三光村から県道円座中津線を宇佐方面に行くと、
T字の突き当りに出る。
そのT字を左に1キロmほど行くと右に鋭角に入る道があるので
その道に入って1キロほどの場所に架かっている。
駐車は、橋の前の空き地に駐車した。
なお、高野堂橋についても同じルートである。