「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

第9位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 レモンジュース 」

2019-07-12 05:59:54 | 古墳・ 遺跡

 

沖縄県那覇市の公設市場にある 「 冷やしレモン 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝は蒸し暑さもなく心地いい朝だった。

毎週のことながら待ち遠しい金曜日がやってきた。

オマケに今週は3連休のご褒美も貰った。

仕事で水稲に追肥の繁忙期だという事もあるが、

新しい筋トレマシンが来てからセットメニューが増えて疲労困ぱい気味なので、

この3連休でリフレッシュしたいと思っている。

そんなコトを思う今日の順位は9位で、

ラッキーポイントは、  

 「 レモンジュース 」 である。

 

気を遣い過ぎると裏目に・・・

普段どおりマイペースで行こう!

 

 二十八宿  牛 ( ぎゅう )  神仏参詣、急速に進めること吉。何事に用いてもよし。

            今日のコトバ

         苦しみの報酬は経験なり

   ( アイスキュロス  紀元前525~紀元前456  ギリシャの詩人 )

 


福岡県桂川町  「 王塚古墳 」

2019-07-05 19:00:16 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王塚古墳 ( おうづかこふん ) は、

福岡県嘉穂郡桂川町寿命 ( じゅめい ) に存在する古墳で、

5つの色彩で彩られた壁画が石室内ほぼ全面に施されていることで知られている。

日本の特別史跡である。

1934年 ( 昭和9年 ) 9月30日に採土工事中に前方部が削られ、

横穴式石室の前室右壁隅が開口し、偶然発見されたもので、

6世紀中ごろに作られたとされている。

形状は前方後円墳であるが、先の工事によって墳丘半分以上は失われている。

福岡県によって調査され、1937年 ( 昭和12年 ) 6月15日に国の史跡に指定。

1952年 ( 昭和27年 ) 3月29日に装飾古墳としては初めて国の特別史跡に指定された。

出土遺物は1956年 ( 昭和31年 ) 重要文化財に指定され、京都国立博物館に寄託されている。

失われた部分を完全に復原すると、

全長約86メートル、後円部径約56メートル、後円部高約9.5メートル、

前方部幅約60メートル、墳丘は二段築成で

黒色と赭土色(あかつちいろ)の粘質土を交互に積み上げ版築状に造り上げている。

斜面には円礫の葺石が葺かれていて、円形埴輪も確認されている。

二重の周濠が巡らされている。

 

現在、石室は完全に密閉されて保存されており、

通常は見学することは出来ないが、春と秋の年2回一般に公開されている。

王塚古墳の最大の特徴は、石室のほぼ全面に施された壁画である。

描かれている図像は馬、靫 ( ゆぎ ) 、盾、刀、弓などのほか、

双脚輪状文、蕨手文、三角文、円文などの幾何学的文様。

2005年7月現在、日本で確認されている装飾古墳の壁画で使われている色は6色

 ( 赤・黄・緑・青・黒・白 ) あるが、そのうち青を除く5色が使われており、国内最多である。

墳丘の構造にも特徴があり、黄色土と黒色土を交互に積み上げて作られている。

 


福岡県宗像市  「 広陵台古墳公園 名残遺跡群 」

2019-06-29 16:03:26 | 古墳・ 遺跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広陵台古墳公園

宗像市広陵台のほぼ中央にあるひときわ高い広陵上にある 「 広陵台古墳公園 」 。

発掘調査は、1983年~1992年にかけて継続的に行われ、

各時代のさまざまな遺構が検出された。

広陵台の周辺には、さまざまな名残遺跡群の遺跡が存在したが、

大部分は調査後に消滅し、遺跡群の南側に位置するこの公園に、

5~6世紀にくられた前方後円墳1基を含む6基以上の古墳はそのまま保存されました。

公園は、閑静な住宅街の中にあり、

桜、サツキなどの沢山の樹木が植樹されていて緑豊かな公園になっていて、

樹木に埋もれた7基の古墳を確認するのは、路標や詳細な図面がないので分かり難い。

 


大分県玖珠町  「 鬼ヶ城古墳 」

2019-05-18 19:27:02 | 古墳・ 遺跡

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上部だけが残って羨道の側面が崩れた古墳

 

 

 


 

 

前室から玄室を望む

 

 

 

 

 

木の葉の線刻画が描かれた袖石

 

 

 

 

 

木の葉の袖石の手前の前室から見ると壁石の上の石棚がハッキリと分かる

 

 

 

 

 

遺体が安置されていた玄室にある高さ1.5mの鏡石

 

 

 

 

 

玄室内部の石棚の上は大きさの違う石が巧みに積まれている

 

 

 

 

鬼ヶ城古墳の下にある2号墳

 

 

 

 

 

鬼ヶ城の麓にある鬼の石像と説明板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玖珠インターチェンジ付近にある鬼の像の後ろの山が鬼ヶ城古墳になる


 
 
 
 
鬼ヶ城古墳は、小岩扇山から南西に伸びる標高410メートルの丘陵上に立地し、
平野部からの比高差は約70メートルである。
古墳は石室の壁面に線刻で文様が描かれた装飾古墳である。

現状で直径約14メートル、高さ約5メートルを測る円墳である。
墳丘の周囲は杉林であるが、
昭和63年 ( 1988年 ) の19号台風によりすべて倒された。
 

主体部は玄室と前室からなる複室構造の横穴式石室であるが、
すでに羨道部を失い全長約5.7メートルを測る。
前室・玄室ともに腰石に高さ約2メートル近い大きな石を用い、
天井はそれぞれ一枚石である。
玄室奥壁は1.5メートルほどの鏡石を据え、
その上部には石棚が突出している。
 
文様は、玄室と前室を画する左袖石に描かれ、
全面に線刻が認められるが、
現状で明瞭に形状が判るのは 「 木の葉 」 だけである。
以前の報告には、 「 人物 」 や 「 群鳥 」 ・ 「 船 」 などが見られたというが、
今は確認できない。

線刻が施された古墳は、筑後川流域では類例がなく、
 「 木の葉 」 の文様はむしろ周防灘沿岸地域の古墳に見られ、
また石棚を持つ石室は、福岡県南部から熊本県北部の古墳に類似し、
大分市千代丸古墳にも認められる。
その時期は7世紀初頭前後と考えられている。

 


大分県九重町 ・ 瑞巌寺石仏 「 二日市洞穴 」

2019-03-08 18:53:07 | 古墳・ 遺跡

















大分県九重町松木にある二日市洞穴は、
耶馬渓溶結凝灰岩が松木川の侵蝕によって二つの巨岩に分離され、
形成されている。
その時期については明らかではないが、数万年前と推定される。

現在の松木川と洞穴までの直線距離は約100mで、
河床面との比高は9mを測ることができる。

洞穴で生活していた縄文人も、
また野山に生息していた動物にとっても、
松木川の水は生きていく上での重要な役割を果たしていたものと考えられる。
洞穴の西側には大分県指定の文化財である 瑞巌寺の磨崖仏 が溶結凝灰岩に刻まれている。

二日市洞穴は東に向かって開口し、開口部の幅は約6m。
現状の奥行きは約20mの細長い形状を呈している。
北と南の二つの巨岩に挟まれているが、
天井に一部は細長く吹き抜けになっており、
同様に奥の方も巨岩同士が接してなく、厚い土の堆積が見られる。

洞穴を形成している南側の壁は、
天井から地山までほぼ直線に傾斜しているのに対して、
北側の壁は下部で大きく湾曲し、
洞穴の空間を広げながら岩盤へと続いている。


北九州市小倉南区朽網  「 帝踏石 ( たいとうせき ) 」

2019-02-12 18:29:19 | 古墳・ 遺跡



















































































帝踏石は、 県道25号 ( 門司行橋線 ) から朽網西の住宅地へ入り、
庚申谷 ( こうしんだに ) 踏切を越えると、
いきなり大きな岩の塊が見えてくる。
一枚岩ではなく四、五個の大きな塊が連なっている。
中央の岩の上に石碑が建てられ、
表には 「 帝踏石 」 裏には昭和8年に碑が建立された事や、
景行 ( けいこう ) 天皇 ( 日本武尊やまとたけるのみことの父 ) が、
土蜘蛛討伐の時に石占いをしたことが日本書紀に書かれてあり、
それがこの石の名前の由来であるといった内容の事が刻まれている。


所在地  / 北九州市小倉南区朽網西二丁目30番

福岡県福津市 ・ 世界遺産  「 新原・奴山古墳群 ( しんばる・ぬやまこふんぐん )  」

2019-01-04 16:16:39 | 古墳・ 遺跡







































15号墳







22号墳






















30号墳























25号墳













20号墳





















24号墳



























去年の10月の終わりに訪れた 「 新原奴山古墳群 」 。
もっと早くから、ひとつ、ひとつ小分けに掲載したかったが、
面倒臭さにかまけて正月の福袋のように
ド~ンとまとめて掲載することをお許しいただきたい。

以前、部分的に数回に渡って掲載をしたが、その全貌を紹介していなかった。
新年になってサスガに期限切れになってしまった感が否めないので、
それで急きょファイルを見い見い古墳別に掲載したわけである。

新原・奴山古墳群 ( しんばる・ぬやまこふんぐん ) は、
福岡県福津市の対馬見山系にある、津屋崎古墳群の一角を成す古墳群。
国の史跡に指定されている(  史跡 「 津屋崎古墳群 」 に包含 ) 。
5世紀後半~6世紀後半の古墳時代中期後半に造営され、
被葬者は宗像氏関係者と推定される。
古墳群の名称は、福津市勝浦の字「  新原 」と「 奴山 」 地区に跨ることによる。

また、2017年 ( 平成29年 ) には、
 「 神宿る島 」 宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、
世界遺産に登録された。
古墳が世界遺産に登録された国内最初の例である。

新原・奴山古墳群は、東西800メートルの丘陵地上に前方後円墳5基、
方墳1基、円墳41基が現存し、便宜的に通し番号が付されている。
この他、過去の記録や発掘調査・地形測量により、
周囲の田圃開削により失われた古墳が18基あったことが確認されており、
それらにも通し番号が付されている。

古墳造営当時は丘陵地の西側に接して
入海 ( 現在の津屋崎湾が深く入り込む入り江 ) があったが徐々に後退し、
江戸時代に干拓され塩田となり、明治時代以降水田となった。
古墳群の周辺にはため池が点在するが、
これは近世以降に作られた灌漑用であり、
古墳とは無関係。丘陵地は国道495号によって分断されている。
古墳石室に使用された玄武岩は玄界灘の相島から船によって運ばれたと推定されている。



福岡県福津市 / 新原・奴山古墳群 「 21号墳 新原の百塔板碑 」

2018-11-11 18:29:07 | 古墳・ 遺跡



最大級の22号墳の全景









21号墳には8基の板碑が木々の間に建っている



























新原の百塔板碑 ( ひゃくとういたび )  


5世紀前半につくられた新原・奴山21号古墳の上に8基の石塔が建っている。
この21号古墳は宗像君 ( むなかたのきみ ) 一族が、
この近辺に古墳を造る前に地元の小豪族が造った古墳と考えられ、
新原・奴山古墳群 ( しんばる・ぬやまこふんぐん ) の中で
一番古い古墳ということになるが、
通常は隣の大きな古墳である22号古墳が一番古く
一番大きな古墳と言われている。

板碑 ( いたび )はここから約400m離れた
渡 ( わたり ) 地区から切り出された玄武岩が用いられており
14基ある中で8基に梵字 ( 古代インド文字 )と
観音菩薩(かんのんぼさつ)、
金剛界大日如来 ( こんごうかいだいにちにょらい )、
文殊菩薩 ( もんじゅぼさつ ) 、
薬師如来 ( やくしにょらい )  等の仏像が細い線彫で描かれている。

 「 願はくは諸の衆生と共に安楽国に往生せんことを 」、
 「 勧進僧行円」、「文永十一年八月日改め立つ 」 の銘文がある。
ちなみに文永11年は西暦1274年ですから板碑 ( いたび ) は
鎌倉時代 ( 1185年頃-1333年 ) 中頃に建てられたものである。


福岡県福津市  「 ふくつ古墳馬車停留所 」

2018-11-06 11:24:12 | 古墳・ 遺跡























1 ふくつの古墳めぐり馬車
2017年夏に沖の島と関連して世界文化遺産に選ばれた
 「 新原奴山 ( しんばるぬやま ) 古墳群 」 。
見晴らしの良い古墳展望所発着で、
約40分の馬 車ツアーを楽しめます!
発車時刻は10時・11時・13時14時・15時(事前にご確認ください)で、
ご予約のある時間帯のみ運行します。
日本最大級の馬オーロ君がパカポコとゆっくり巡る
四季折々の古墳群を見ることができる。
また、観光ガイドが同乗して古墳やオーロ君の秘密など案内します!

開催日 : 土曜日・日曜日
実施場所: 古墳展望所 ( 福津市奴山616 昭和学園バス停前 )
料金  : 中学生以上大人2,000円。子供1,000円(税込み)。
膝抱っこの幼児は無料。
条件など : 馬車は大人で最大10名様がご乗車できます。
相乗りです。

2 ふくつの古墳めぐりプレミア馬車
新原奴山古墳群を巡る大型馬車を1組貸し切りでご利用できます!
発着はオーロ君の厩舎のあるホースプランから。
通常の古墳めぐりから30分長く、約70分のツアーとなります。
ホースプランにはおとなしくて可愛いポニー兄妹がいるので、
ツアーの前後にエサをあげたり触れ合いができます。

また、貸し切り特典として1組にひとつオーロ君の特大馬蹄をプレゼントします。
ドイツ製の馬車にゆっくり乗って最高の気分を味わってみてはいかがですか。
プロポーズなどの特別な記念に
馬車をお花で飾るサービスもあります ( 無料・応相談 ) 。

開催日: 月 曜日~金曜日(祝日を含む)
 


熊本県和水町  「 江田船山古墳 」

2018-05-13 14:21:18 | 古墳・ 遺跡













































墳丘の規模は、墳丘62m、後円部直径41m、後円部高さ10m、
前方部幅40m、前方部高さ7.5mの前方後円墳である。
造り出しが、左右の括れ部付近にあり、
右造り出しの突端部の長さ8m、幅5m。
左造り出しの突端部の長さ8m、幅3mとなっている。

墳丘の周囲には幅7.5~13mの周溝が巡っており、
周溝を含めた全長は約77mとなっている。
清原古墳群に現存する古墳の中で一番大きい古墳で、
築造年代は出土遺物からみて5世紀後半と推定される。





墳丘上部の管理室の中にある石棺






埋葬施設は、後円部のほぼ中央に阿蘇凝灰岩の切石を組み合わせた
横口式家形石棺(長さ2.2m、幅1.1m、高さ1.45m)で、
入口の両側に2枚の切石を並べ羨道となっている。
また、石棺内部や縄掛突起の一部などに朱色の塗料が残っており、
築造時期には石棺全体を朱色に塗っていたことが想像できる。



出土遺物は、明治6(1873)年に地元(江田村)の池田佐十が、
夢のお告げにより丘を掘ったところ石棺を発掘し、
古墳であると発見された。
池田佐十は数多くの貴重で豪華な遺物を発見し補完しており、
すぐに国が一括して買い上げ、出土品92点は昭和40年に国宝に指定された。
現在、東京国立博物館に展示保管されている。

遺物の内容は、75文字の銘をもつ銀象嵌銘大刀などの刀剣類、
銅鏡6面、冠帽類、耳飾類、玉類、武具類、馬具類、鉄鏃類、土器類など、
92件に及ぶ豪華なものが出土している。

中国や朝鮮半島系の遺物も多く含み、
当時から広域的な交流を行っていたことが推測できる。


熊本県玉名市吐合  「 石貫ナギノ横穴群 」

2018-04-21 13:59:19 | 古墳・ 遺跡


















石穴の奥にある遺体を置く部分 ( 屍床 ) 































横穴墓入口の縁部分には赤などで円文様が描かれている








染みのように赤の円文などが装飾されている

































熊本県玉名市の繁根木川右岸には、
灰石と呼ばれる阿蘇溶結凝灰岩の崖面が多くあり、
その崖面250メートルほどの範囲にわたって横穴墓が造られている。
これらは古墳時代後半に造られた墓地で、
遺体を置く部分 ( 屍床 ) が多いもので一つの横穴墓につき
3ケ所設けられている。

石貫ナギノ横穴群の横穴墓入口の縁部分には、
赤などで文様が描かれており、
内部には屋根形の浮き彫りや太刀のレリーフなど、
多様な装飾が施されているものもある。
特に6号墓と8号墓の飾縁は赤の円文などで鮮やかに装飾されており、
横穴墓としての規模も大きく玉名市が全国に誇る装飾ある横穴墓である。


熊本県山鹿市  「 チブサン古墳 」

2018-02-07 16:13:05 | 古墳・ 遺跡












































チブサン古墳は大正11年 ( 1922年 ) に
国の史跡に指定された全国的にも有名な装飾古墳である。
古墳時代後期 ( 6世紀 ) に造られた墳丘長約44mの前方後円墳で、
鮮やかな幾何学模様の壁画は1500年前の
古代人の文化や風土を伝える貴重な遺産となっている。
事前に申し込みをすれば山鹿市立博物館の開館日に石室内部の見学が可能である。


所在地  /  熊本県山鹿市城字西福寺1785


熊本県山鹿市  「 オブサン古墳 」

2018-01-28 14:05:07 | 古墳・ 遺跡
























オブサン古墳は、チブサン古墳の近傍にある円墳である。
発掘調査の結果、直径22メートルで、
幅4メートル前後の周溝がめぐることが判明した。
葺石や埴輪は認められない。
石室開口部にはハの字にやや開く前庭部を設けているが、
墳丘内側だけでおさめるのでなく、
円形の墳丘から2つの矩形の突出部を張り出させることにより、
間口4.5メートルで羨門まで奥行8メートルの前庭部を確保している。
南に開く横穴式石室は複室構造で、
奥室には石材は残っていないが石屋形があったことが判明した。
石室の全長は、羨門から奥壁までで約8.5メートル、
前庭部の8メートルを加えると16.5メートルとなる。
奥室屍床を画する仕切り石に赤彩の連続三角文が、
奥壁にもかろうじて赤彩の小型の靭もしくは盾が認められたが、
痕跡程度になり肉眼では判読できない。
本来は奥室には装飾豊かな壁画が描かれていた可能性が高い。
鉄地金銅張りの馬具等が出土している。



所在地  /  熊本県山鹿市城字西福寺1785


熊本県山鹿市  「 西福寺第2号方形周溝墓 」

2017-12-20 12:52:32 | 古墳・ 遺跡





























西福寺古墳群で1番目立つのが第2号方形周溝墓である。
それはこんもりとした饅頭型の墳丘と違い、
一辺が12.5mの方形周溝墓で、
周囲には幅2.3m、深さ0.8m前後の溝がめぐり、
周溝の東側の中央部には幅2.5mの土橋が設けられている。
盛土中央から加工された板石状の凝灰岩片が出土したことから、
内部主体は箱式石棺である。
南側・西側周溝底より土師器壺が出土しており、
築造年代は古墳前期だと類推される。



福岡県飯塚市  「 川島古墳群 」

2017-06-14 16:15:37 | 古墳・ 遺跡



川島古墳石室の壁画と石棚










壁画が描かれている11号墳



















古墳群





























10号墳の全景








むき出しになった10号墳























2号墳








2号墳の玄室









玄室天井

















1号墳








1号墳の玄室






















竹やぶの中にある12号墳








12号墳の開口部






日本の弥生文化を代表する立岩遺跡に見られるように、
大昔から豊かな文化が栄えてきた飯塚地方。
その中で、飯塚市川島で発見された古墳群のひとつ(11号墳)は
市内で唯一の装飾古墳と言われており、
昭和62年に発見された円墳(装飾古墳)で、
壁画の奥壁に人物・三角文・円文が緑、
または青と赤の二種類で描かれ、
上部には石棚を持つ複室の横穴式石室で全長が6.7mとなっている。

11号墳は、毎年、春と秋の2回だけ特別公開されており、
その周囲の古墳も含めて現在は 「 川島古墳公園 」 として整備されている。



所在地  / 福岡県飯塚市川島407