15号墳
22号墳
30号墳
25号墳
20号墳
24号墳
去年の10月の終わりに訪れた 「 新原奴山古墳群 」 。
もっと早くから、ひとつ、ひとつ小分けに掲載したかったが、
面倒臭さにかまけて正月の福袋のように
ド~ンとまとめて掲載することをお許しいただきたい。
以前、部分的に数回に渡って掲載をしたが、その全貌を紹介していなかった。
新年になってサスガに期限切れになってしまった感が否めないので、
それで急きょファイルを見い見い古墳別に掲載したわけである。
新原・奴山古墳群 ( しんばる・ぬやまこふんぐん ) は、
福岡県福津市の対馬見山系にある、津屋崎古墳群の一角を成す古墳群。
国の史跡に指定されている( 史跡 「 津屋崎古墳群 」 に包含 ) 。
5世紀後半~6世紀後半の古墳時代中期後半に造営され、
被葬者は宗像氏関係者と推定される。
古墳群の名称は、福津市勝浦の字「 新原 」と「 奴山 」 地区に跨ることによる。
また、2017年 ( 平成29年 ) には、
「 神宿る島 」 宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、
世界遺産に登録された。
古墳が世界遺産に登録された国内最初の例である。
新原・奴山古墳群は、東西800メートルの丘陵地上に前方後円墳5基、
方墳1基、円墳41基が現存し、便宜的に通し番号が付されている。
この他、過去の記録や発掘調査・地形測量により、
周囲の田圃開削により失われた古墳が18基あったことが確認されており、
それらにも通し番号が付されている。
古墳造営当時は丘陵地の西側に接して
入海 ( 現在の津屋崎湾が深く入り込む入り江 ) があったが徐々に後退し、
江戸時代に干拓され塩田となり、明治時代以降水田となった。
古墳群の周辺にはため池が点在するが、
これは近世以降に作られた灌漑用であり、
古墳とは無関係。丘陵地は国道495号によって分断されている。
古墳石室に使用された玄武岩は玄界灘の相島から船によって運ばれたと推定されている。