不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

鹿児島県徳之島  「 明眼 ( ミョウガン ) 山グスク 」

2017-11-23 11:57:18 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



按司の隠れ屋敷?とされているが墓の方の性質に近いと思われる










鳥居の横に立つミョウガン公園の説明板








鳥居が立っているグスク入り口








グスク内にあるミョウガン山の中にある自然公園説明板







隠れ屋敷までは大きな岩の下(窟墓?)を通る









グスクの頂部にある拝所には琉球王国から授かった首飾りの玉がガラスの中に入っている。
 









崖の横にある窟墓








農協横の道から見たグスクの遠望








ミョウガン山の下にあるJA徳之島犬田布支所








闘牛の開催と報せる闘牛場の看板








グスクの近くにある犬田布闘牛場





ミョウガン山グスクは、徳之島の南に位置する伊仙町の西、
犬田布小字明眼にある標高120mの自然石灰岩で出来た
丘陵上に築かれたグスクである。
ミョウガン山自体が伊仙町指定名勝史跡で、
町立自然公園として整備されている。

グスクは東犬田布集落の西北部に位置し、
犬田布貝塚の人々が12世紀ごろに
この丘陵を中心とした場所で生活していたと考えられる。
伊仙町ではタテの洞穴をガマと呼び、横の洞穴をヨウ呼んでいる。
したがってミーは新しい横の洞穴のグスクで、
ミーヨウグスクの転訛が時代を経て、
ミョウガンとなり、この地の名(明眼)にもなったと考えられる。
見張り所だったと思われるグスク頂部の縦岩には
琉球王国から授かった首飾りの玉がガラスの中に入っている。
グスクの中腹の洞穴には点々と窟墓 ( 風葬墓 ) があり、
さらに隠れ屋敷といわれる洞穴が存在する。
 
言い伝えによると、徳之島が琉球国に統治され、
按司が居たころ犬田布のミョウガングスクの城主に
ノロの二人の美しい娘がいた。
妹のコイは美しいため琉球王国の使者の目に止まり、
使者は琉球国の嫁に薦めたが、
ミョウガングスクの城主は娘のコイが
琉球王府に仕えることを好まなかったため、
コイの顔にお灸の跡(傷)をつくり、
わざと嫌われるようにしたという。



ミョウガン山グスクへのアクセス
ミョウガン山グスクへは、徳之島の伊仙町犬田布闘牛場の横の道を
左に150mほど入ったところに鳥居がある。
そこがミョウガングスクの入り口になる。
駐車は、入り口の農協にお願いして駐車した。


沖縄県読谷村  「 瀬名波グスク 」

2017-11-18 13:37:50 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



グスク頂部にある拝所








グスクの頂部付近







グスクの入り口から頂部へ続く道







津波重機の後ろにある瀬名波グスクの全景





瀬名波グスクは、
読谷村教育委員会から出された 「 文化財めぐり 」 には、
カクリグスクがシナハグスクとなっているが、
地元の人たちはこちらがグスクで、
向こうは按司墓だと言っていた。
どちらも聖域には違いはなく、
双方ともグスクとして位置づけられるものだと思っている。



瀬名波グスクへのアクセス
瀬名波グスクへは、カクリグスクより
100mほど長浜よりになるため
カクリグスクを参考にしてもらいたい。


沖縄県宮古島  「 クバカ城跡 」

2017-10-31 13:21:17 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



城門の石積み








入り口にある説明板







城門






外から見ても石垣が確認できる







累々と積まれた石垣













クバカ城跡の遠望










クバカ城跡は入江の西側入口にあり、
久場嘉按司の居城の跡で 「 雍正旧記 」 ( 1727年 ) には、
「 長さ31間 ( 56.4m ) 横25間 ( 45.5m ) 」 、
門は未方 ( 南西 ) に向かうとある。
その由来は城主クバカ按司は強力無双の人であったと伝えられている。
また、 「 宮古島記事 」 ( 1752年 ) には、
「 宮古島洲鎌村小ばか按司、
八重山島にぎやものと勇力くらべ由来の事 」 という記事が見える。
クバカ城は、宮古で城と呼ばれる遺跡で
野面の石積みをほとんどもとの形で残している。
その他、宮国の好善ミガガマと喜佐真按司にまつわる話等がある。



鹿児島県奄美大島  「 マツノト遺跡 」

2017-10-24 11:44:51 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



遺跡の入り口立つ路標








入り口の奥は雑草が生い茂って中に入って行けない





マツノト遺跡は、県道601号線を挟んで
喜子川遺跡の反対側に位置する。
入り口には白い路標が立っているが、
中は雑草が背の高さ以上に伸びて
それらしきものは確認できなかった。
調査発掘により、この場所からたくさんの夜光貝の加工品が出土している。


マツノト遺跡へのアクセス
マツノト遺跡へは、喜子川遺跡と県道601号線を挟んだ向かい側になるので、
喜子川遺跡を参考にしてもらいたい。
なお、駐車も同じ場所になる。



鹿児島県奄美大島  「 喜子川 ( きしがわ ) 遺跡 」

2017-10-19 11:47:34 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



県道沿いにある喜子川遺跡の路標









説明板を埋め込んだ石碑







草が刈られ整備されている遺跡







広く刈られた平地には二つの土盛りがある





喜子川遺跡は、奄美大島の北部にある笠利町の
「 あやまる岬 」 の手前で発見された遺跡である。
この遺跡は1982年に発見されたもので、
当時は南島でも古い遺跡だと位置づけられていた。

発掘調査は1次~7次まで行われ、
『 爪形紋土器 』 ・ 『 アカホヤ火山灰層 』 ・ 『 集石遺構 』などが
層をなして発掘確認されている。
この遺跡は、南島の古い時代を代表する遺跡として貴重なものである。
出土品は、旧・笠利町歴史民俗資料館において展示・保管されている。


喜子川遺跡へのアクセス
喜子川遺跡へは、途中まで宇宿貝塚を参考にしてもらいたい。
その宇宿貝塚からさらに北にあやまる岬ぬ向かって行くと、
岬の入り口の手前左側に路標が見える。
駐車は、喜子川遺跡の横の脇道に駐車した。


沖縄県恩納村  「 ガジャグスク 」

2017-10-16 11:16:08 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



お椀を返したような小高い丘に築かれたガジャグスク





ガジャグスクは、読谷村の真栄田集落と山田集落の中間に位置する、
お椀を返したようなこんもりとした小高い丘に築かれたグスクである。
道路を挟んで東側には山田グスクやアンナーグスクがあり、
グスクの形状からいって出城的な城ではなかったかと思われる。
グスク入り口は工事のため中には入れなかったので、
石垣や拝所などは確認出来ていない。


ガジャグスクへのアクセス
ガジャグスクへは、国道58号線を
ルネッサンスホテルがある読谷村山田交差点から左へ入り、
久良波信号機から約300mほど行った左側になる。
駐車は、グスク近くの空き地に駐車した。



鹿児島県奄美大島  「 土浜ヤーヤ遺跡 ( イヤンヤ洞穴 ) 」

2017-10-11 11:28:44 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡


鬱蒼とした樹々の奥に風葬墓の遺跡がある
















遺体を寝かせていたと思われる祭壇型に石が並べられている






とにかく、この地に足を踏み入れただけでも
霊気が侵入を拒むオーラが漂っていた。
遺体や遺骨が置かれていたであろう祭壇石から
洞穴の中は入ってしまったことを後悔しそうなくらい、
ブワァーっと襲ってくる霊気だった。


鹿児島県奄美大島笠利町土浜のイヤンヤ洞窟には、
「 1975年頃までは洞窟内が風葬墓として利用されており、
その名残の人骨などがかなり散乱していた 」 (「イヤンヤ洞窟遺跡」)。

ここのことは、茂野幽考も、死者はここを通って
「 あの世 」 へ行くと信じられていると書いていた(「奄美大島葬制史料」)。

そして、其洞穴に入ると、
あの世で織る機の音や鶏の聲などが聴こえてくるといってゐる。
凡ての心象を精神科学で解釈しようとする自分の心に、うっかりすると、
島の人の熱烈な信仰に釣り込まれて、岩屋の奥に極楽がありそうな、
不可解な気持に囚はれることがある。
島の人の考へでは、後生極楽の世は土濱の洞穴から一里先位にあると考へてゐるのである。

さらに茂野はこう言っている。
「 精神科学で解釈しようとする自分の心に、うっかりすると、
島の人の熱烈な信仰に釣り込まれて 」 というところだ。

三宅宗悦が1933年に人骨調査を行う。
1963年には、永井昌文、三島格が続く。
ここが 「 ヤーヤ遺跡 」 と言われることがあるのには、理由があった。
ヤーヤ洞窟遺跡を 「 イヤンヤ洞窟遺跡 」 としたのは
イヤンヤを ” 岩屋 ” と方言で呼んでおり、
三島格にも確認をした。
方言でイヤンヤと発音出来ずにヤーヤと記述したとのことである。

 「 岩屋 」 を 「 イヤンヤ 」 という。
それは直接、「岩」を指す言葉ではない。
この「イヤ」は、中四国や関西に分布するイヤ山、
イヤ谷と同じ意味だと考えられる。




鹿児島県奄美大島 ・ 龍郷町  「 円グスク 」

2017-10-05 11:41:24 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



円小学校の校庭の向こうにグスクが見える









鹿児島県大島郡龍郷町立円小学校








西側の山の裾野からの遠望








深く掘られた堀り切り








中腹にある岩穴








頂部にある10畳ばかりの平場








頂部周辺に囲まれた石垣








石垣は高さは低いがしっかりと残っている








中腹から大きな石がゴロゴロと転がっている








南側の中腹にある大きな岩穴








グスク山の中腹から見た円集落







グスクのある場所を教えて頂いた円小学校の先生






円グスクは、奄美大島の北西海岸沿いの
龍郷町字円集落の東、円小学校の横にある、
標高約80mに立地した石組み、掘り切りの現存するグスクである。
円グスクは、東の高い深山から降下した、
標高数十mあたりから西に舌状に延びる場所を選定し、
高い山との間を掘り切ってある。
グスクの頂部付近には石組みがあり、
一段低い東側平場との間に石段が残っている。
また、山の中腹には大きな岩で囲まれた岩穴が2ヶ所あったが、
何のために使われていたかは定かではない。

この探訪に際して、グスクの場所を教えて頂いた先生に感謝しております。
本当にありがとうございました。


円グスクへのアクセス
円グスクへは、県道81号線を名瀬から大熊方面に入り、
海岸沿いを30分ばかり走ると円集落がある。
その入り口に黄色い看板の円小学校への案内板が立っているので
それに従って行くと小学校へ行き着く。
グスクは小学校の裏手にあたり、
集落から急斜面を300mほど登れば頂部へ行ける。
駐車は、集落の外れの空き地に邪魔にならないように駐車した。


沖縄県うるま市  「 フニグスク 」

2017-09-29 12:13:48 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



小さな丘になったグスクの全景









削られて平坦になったグスク跡







グスク下にある 「 勝連総合グラウンド 」







グスク横にある 「 B&G海洋センター 」





フニグスクは、旧・勝連町の「勝連総合グラウンド」に隣接する
「B&G海洋センター」の横の丘に築かれたグスクであったが、
現在では土地の改良にともなう造成で、
電信柱ほどの高さの小高い丘だったものが平坦に削られ、
その姿を変えてしまっていた。
そのため、グスクと呼ばれるような物は何ひとつ残っていない。

ちなみに勝連半島のグスクは、半島の付け根の川田から与那城に向かって、
カチ ( 勝連 ) 、ウフ ( 大城 ) 、フニと並んでいる。


フニグスクへのアクセス
フニグスクへは、与勝半島の旧・勝連町にある 「 勝連総合グラウンド 」 の上の
公園化された場所がグスク跡であるため、
隣接されたB&G海洋センターを目指して行くと良い。
駐車は、海洋センター内に駐車できる。

沖縄県読谷村  「 カクリグスク ( シナハグスク )  」

2017-09-20 11:16:22 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



カクリグスクの全景









グスクの左側にある 「 按司墓 」




















このグスクも何度も足を運んだグスクである。

カクリグスクグスクは読谷村瀬名波にあり、
別名【 シナハグスク 】 とも呼ばれている。
県道6号線川平交差点から
残波岬方向へ約500mほど進むとゆるやかな
左カーブにさしかかった道路の右側に小高い丘がある。
この丘の北側の岩山が瀬名波グスクである。
尖った岩山の中腹の岩陰に古墓がある。
この地域を支配していた按司の墓だといわれている。
 
一説によると、 「 石垣で囲まれた神の住まい。
あるいは天降る聖所と神を礼拝する
拝所とをひとつにした聖域だと定義付けられている。

カクリグシクには古墓があるが、
山に入っていないのでどうなっているか解らないが、
周囲の環境から考えると
グスクの丘自体が墓場になっているのかも知れない。
グスク自体も雑木林となって
ほとんど人に手を加えられてない状況であった。
そんなグスクの城主や築城も定かではないし、
まして興亡についても明確なことはいえない。



カクリグスクへのアクセス
カクリグスクへは、残波岬から恩納村へ向かって海岸線を行くと、
左手に瀬名波集落がある。
その瀬名波集落の入り口に写真のような丘がある。
それが瀬名波グスクである。
駐車は路上駐車になる。


鹿児島県徳之島  「 トラグスク 」

2017-08-31 12:22:18 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



グスクの敷地はほとんど墓が占めている








坂道の途中から見たトラグスクの全景








こんもりとした丘になったグスク跡







グスクの東側の斜面にわずかに石垣らしき物が見える




トラグスクは伊仙町上検福集落を走る町道の横にある
独立した丘に築かれたグスクである。
現在は、その丘のほとんどが墓地になっており、
墓地の東側の斜面にわずかに石垣らしき物が見られるが、
それがグスク時代の遺構かどうかは定かではない。
グスクの内部は墓地になっているため撮影はしなかったが、
おそらくカムィヤキなどの土器片が出土するのではないかと思われる。
グスクについて按司などの口碑伝承もなく、詳細は不明である。


トラグスクへのアクセス
トラグスクへは、県道80号線を亀津から伊仙町役場に向かって行くと
目手久を過ぎると検福のバス停がある。
そのバス停から右の山手に向かって1キロほど行くと
坂を登って下った所に、写真のような墓がある場所がグスクになる。
駐車は、グスクの下の広場に駐車出来る。


沖縄県大宜味村  「 喜如嘉グスク 」

2017-08-26 11:21:18 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



喜如嘉グスクがある山の全望








グスク下の喜如嘉集落にある殿 ( どぅん )





喜如嘉グスクは、喜如嘉集落の後方の山に築かれたグスクであるが、
入山未見のため、その形体は定かではない。
ただ地元の長老からその場所を教えて頂いたが、
とても入山できるような場所ではなかった。
グスク下の喜如嘉集落の中に殿 ( どぅん ) があり、
グスクと関連性が高いと思われる。


喜如嘉グスクへのアクセス
喜如嘉グスクへは、国道58号線を名護市から大宜味村へ入り、
大宜味村役場を過ぎてから
辺土名高校の先を右に入った 「 芭蕉布会館 」 の先になる。
駐車は、路上駐車になる。


沖縄県北中城村  「 大城グスク 」

2017-08-24 11:36:55 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



グスク主郭には奇岩の拝所が立ちはだかる








拝みがあるのか?お香やお供えの瓶がある







あたりの灌木がグスクを覆う








グスク主郭へ続くグスク路







目印になる貯水タンク





大城グスクは、大城集落から荻堂集落へ延びる
石灰岩の丘陵地城に築かれたグスクであり、
英祖王の第三子・中城王子の居城であったと伝えられる。
また、15世紀前半には護佐丸の弟・安里大親(あさとうふや)が大城掟となり、
安里大親家賀氏が護佐丸の行政・礼式の顧問となって
ここに居住したという伝えもあるが、
一説には、台グスクの城主であった護佐丸の兄・伊寿留按司の
居住跡であったともされている。
そんなグスク内は、石灰岩の立ち岩が点在し、
幻想的な岩に囲まれた各所に拝所があった。



大城グスクへのアクセス
大城グスクへは、県道146号線を中城城方面から北中城方面に向かい、
左の新垣商店の前にあるチブガーの横を入ると鎖がかかった道の上の左にあり、
貯水タンクが見える反対側に大城グスクがある。
駐車は、鎖のかかった路上に駐車した。


鹿児島県奄美大島  「 戸口ひらき山グスク 」

2017-08-19 10:44:24 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



お椀を伏せたように こんもりとした戸口ひらき山グスクの遠望








グスク下にある 「 戸口小学校 」







グスクの裾にある菩薩像の拝所







体育館の向こうに見える 「 戸口ひらき山グスク 」







グスクから300mほど離れた行盛神社の鳥居







平 行盛が祀られている 「 行盛神社 」







行盛神社の説明板






戸口ひらき山グスクは、奄美大島の東北の海岸沿いの
標高30mに立地した土塁グスクで、
東西約150m、南北の西側50m、東側25mの長さのグスクである。
グスクの下には戸口小学校の体育館が並ぶように建てられており、
そのすぐ上に菩薩像を祀った殿がある。

また、ここから西に300mほど行った場所には、
平 行盛を祀った神社が建立されている。
一説には、この神社が行盛の居城ではないかという説が伝えられているが、
どちらが居城だったのかは定かではない。
これは個人的な発想だが戸口といえば、
読谷村の渡具知泊グスクを想像してしまう。
今帰仁世の主を含めての関連があるのではないかと思っている。


戸口ひらき山グスクへのアクセス
戸口ひらき山グスクへは、国道58号線を龍郷方面に進み、
本茶トンネルを出て、
ショッピングセンターの 「 ビッグツー 」 の先の信号を右折して
1キロほど行った右側になる。
駐車は、グスクの前の道路を隔てた脇道に駐車した。



沖縄県石垣島  「 フルストバル遺跡 」

2017-08-16 13:05:55 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



まるで万里の長城のように築かれた城壁










道路から入り口にある路標








この道の奥にグスクがある








右側に4つある郭の最初の郭









郭入り口の城門








崩れ落ちた郭との境









石垣の向こうに宮良方面の集落が見える









累々と積まれた城壁は沖縄本島の今帰仁城や糸数城を思わせる








ガジュマルの根が石垣をさえぎる左側の郭








草に覆われた左側の城壁


























































フルスト原遺跡は、石垣島で一番めぐりたかったグスクである。

八重山(石垣)地方には、
八重山式土器、パナリ焼き、中国製陶磁器、鉄鍋などが出土する村跡が
小高い丘に形成されたものを八重山ではスク ( グスク ) といい、
フルスト原遺跡は ( フースク ) の転訛?ではないかといわれている。

フルスト原遺跡は石垣空港の北側に位置し、
標高20mの石灰岩の台地上に築かれたグスクである。
南北に900m、東西に200mと
広大な敷地に郭を思わせる石塁が野面積みで区画別に築かれており、
その石積みに驚かされるばかりである。

言い伝えによると、オヤケ アカハチの居館跡だといわれている。
そのアカハチは尚真王のころに貢納を3年間に渡りおこたったため、
大里按司を総大将とする琉球王府軍に攻め込まれ戦となる。
王府軍はアカハチの激しい抵抗にあい、なかなか攻め切れずにいたが、
「 夜を待ってイカダに火をつけて流せ 」 と、
久米島の女神宮の君南風 ( ちんぺー ) の陽動作戦にかかり、
王府軍に挟み撃ちにあい強力な戦力を誇ったオヤケアカハチも
ついに底原 ( すくばる ) で最期を遂げたといわれる。



フルスト原遺跡へのアクセス
フルスト原遺跡へは、石垣空港から国道390号線を大浜・磯部方面に進み、
大浜バス停の先の左側に写真のような案内板がある。
その案内板から左に入って、
右へ土道を250mほど進んだところに位置する。

※ 案内板は、意外と小さいので見落とさないようにしなければならない。
 駐車は、写真にあるようにどこでも止められるが、
ときどき地元の農業車が通るので道以外のところに止めること。