サンゴの砂利が敷き詰められた墓庭からの玉陵全景
王や王妃、世子などが納骨されている東室
王家親族が納骨されている西室
玉陵に入る最初の門
玉陵 ( たまうどぅん ) は、西暦1500年前後に、
第二尚氏王統の陵墓として第三代である尚真王が父の “ 尚円王 ” の遺骨を
西裏側の見上森 ( みあぎむい ) から移葬して造ったものである。
岩山を背に横穴を掘り、前面を破風造りにした破風掘り込み墓である。
墓域は約6000坪で、規模といい、壮麗さといい、沖縄随一の墓である。
墓室は三基に分かれ、中央はシルヒラン(洗骨前の遺体を入れる墓)で、
向って左側の東室には、洗骨後の王・王妃・世子・世子妃を、
右側の西室には、それ以外の家族が納骨されている。
最後の納骨は、昭和9年の尚典夫人であった。
玉陵は内郭と外郭があり外郭は石垣で出来、玉陵を囲んでおり、
中央に一つ目の門があり潜り抜けると正面に石垣があり、中央に第二の門がある。
ここから先が内郭になっており墓堂があり、その墓堂は東室・中室・西室と三つに分かれている。
王族が崩御すると中室に安置され、時がたった頃洗骨を行い、
厨子甕(ずしがめ)に遺骨を納めて葬られていた。
第二尚氏王統の陵墓として語り継がれているが、歴史を読み解くと不可解な部分もあるようである。
その時代の跡継ぎ問題などが垣間見える内容の碑文が玉陵内にあるというが・・・
まぁ、その時代に生きた者でなければ解らないこともあるだろう。
4月の清明祭には、第二尚氏王統の子孫分家の門中が 「 神御清明 」 として拝んでいる。
ここ玉陵も第二次世界大戦・沖縄戦の際に大きな被害を受けたが、
戦後に復旧された現在に至っている。
沖縄県那覇市首里金城町1丁目