内堀奥の石積みが天守閣跡
城内にある 「 毛利輝元の像 」
天守閣跡に続く石段
天守閣跡
束が遺る天守閣跡
天守閣跡から見た内堀
萩城は慶長9年 ( 1604 ) に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、
別名・指月城とも呼ばれ、山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、
本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。
本丸には高さ14.5mの五層の天守閣がありましたが、
明治7年 ( 1874 ) に天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、
現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されています。
旧本丸跡に歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建された際、
総面積約20万㎡の境内が指月公園として整備されました。
城跡の構造をよく残していることが特徴で、
園内には天守閣跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡があります。
また、幕末13代藩主毛利敬親が安政年間に藩主別邸・花江御殿に増築し、
家臣とともに茶事に託して時勢を論じた茶室 「 花江茶亭 」 が、
明治22年に園内に移築されています。