初の重賞制覇となった小倉記念にて・・・(1991年)
91~93年有馬記念で3年連続3着に入るなど、
個性派として人気を集めたナイスネイチャが30日、
北海道浦河町の渡辺牧場で死亡した。35歳だった。
現役時代は松永善晴厩舎に所属して通算41戦7勝(重賞4勝)だった。
主戦の松永昌博騎手(現調教師)が手綱をとり、90年12月にデビュー。
3歳時(当時表記4歳)の翌91年8月に小倉記念で重賞初制覇を果たし、
同年の菊花賞(勝ち馬レオダーバン)では4着に好走した。
同期のダービー馬はトウカイテイオー。
重賞4勝を挙げる活躍を見せた一方で、G1では惜敗が多く、
有馬記念では91~93年に3年連続3着。
勝てないながらも懸命に走り、上位に食い込む姿が、
多くのファンから支持されるきっかけとなった。
G1には通算16回挑戦。3着4回、4着4回、5着1回と合計9回も掲示板に載った。
96年のアルゼンチン共和国杯(15着)がラストランとなった。
ナイスネイチャの父ナイスダンサー、母ウラカワミユキ。
母のウラカワミユキはナイスネイチャが生まれた渡辺牧場を支えた
竈馬(かまどうま)だった。
竈馬とは繁殖牝馬のことで生産牧場の経営を支えている。
高値で売れる仔馬を生む肌馬は、牧場の台所を支える基盤となっている。
それをカマドに例え、竈馬(かまどうま)と呼ばれている。
生産者は牝系の血統を重んじており、
その馬から牝馬が産まれると競走後に引き取っては肌馬として
竈馬の血統を絶やさないように考えられている。
ブロンズコレクターと呼ばれたナイスネイチャともども、
渡辺牧場に貢献した馬である。