「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

山口県萩市  「 三条實美卿遺詠 」

2020-07-06 16:32:44 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣

 

 

 

三条實美卿遺詠

この国の濁らぬ水にすむ魚は

 游ふさまさへ勇ましきかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萩市越ヶ浜笠山の麓、明神池の大池と小池の境に架かっている石橋を渡ると、

北側正面の山麓に高さ一七〇センチメートル、幅八〇センチメートルの石碑が建っている。
 

文久三年(一八六三)八月十八日の京都での政変によって、

七卿の一人として長州に下った三条実美は、

山口湯田の高田御殿に隠棲していたが、

同年十一月十一日、萩藩主毛利敬親に誘われて萩の御客屋に宿泊した。

この歌は、その時越ヶ浜明神池畔の御茶屋に遊び、

その旅情をなぐさめられた際に、

池中に遊ぶ魚の群を見て、即興に詠じたものである。
 

昭和十一年  (  一九三六  )  王政復古七十周年に当たり、

元衆議院議員国重政亮が自ら筆をとって卿の偉業を偲び、

遺詠を彫って建立したのである。
 

三条実美は幕末から明治初年にかけて活躍した公卿で、

尊王攘夷運動に加わり、長州藩と密接に提携、攘夷実現に努めた。

文久三年の政変によって七卿の一人として長州に逃れたが、

王政復古に際して帰京し、新政府の議定となった。

明治元年( 一八六八 )には副総裁、

輔相の要職、関東監察使のち鎮将として江戸開城後の東国経営にあたった。

のち右大臣、太政大臣の職にあり、内閣制度新設以後は内大臣を務めた。

 


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