10月下旬から11月上旬の期間限定で見られる一夜城
お城への登り口にも城が飾られている
登り口付近から見える一夜城
一夜城の裏側は丸鋼とクランプで組まれた足場に城が描かれたコンパネを固定している
一夜城のある場所から見た下界
筑豊地区には戦国時代、豊臣秀吉の九州平定ゆかりのいくつかの山城があります。
「秀吉の一夜城」として知られる嘉麻市の益富城もその一つです。
時は一五八七年四月、秀吉は九州征伐のため家臣、
浅野長政、加藤清正、石田三成らの諸将を従え、
三十余万の大群を率いて小倉に上陸しました。
その時の益富城には秋月種実がいましたが、秀吉軍のあまりの勢いに恐れをなし、
一戦も交えずに古処山にある本城に逃れていました。
種実は、秀吉の軍勢がいつ攻め込んでくるのか気が気ではありませんでしたが、
ふと向かいに見える益富城下の大隈町の方に目を向けると、
驚きの声を上げてしまいました。
眼下に広がる炎の群れは、満天の星のごとく輝き、
秀吉の軍勢で埋め尽くされたように見えました。
しかも、夜が明けると一夜にして見慣れぬ城が出来上がっていて、
そこから流され落ちる水はまるで滝のように見え、秋月の軍勢には大きな驚きでした。
これを見た種実は 「 一夜にして城を築くとは、
秀吉という人は人間に非ずして鬼神なり 」 と戦意を喪失し、豊臣方に下りました。
眼下に広がるキラ星の如き炎は秀吉がたかせた篝 ( かがり ) 火、
突如出現した城は戸板やふすま、畳を集めて作った見せかけの城でした。
また滝のごとく流れ落ちる水は、白米を流させたものだったと言われています。
秀吉は大いに喜び、協力した大隈町民に対し愛用の陣羽織と佩刀を与え、
お墨付きをもって永年貢税を免除しました。