健軍神社本殿
健軍神社から見た健軍神社杉馬場 ( 八丁馬場 )
神社の鳥居と楼門 ( ろうもん )
神社側から見た楼門
本殿から見た参道
大きなクスノキ
境内にある大きな銀杏の木
健軍神社は熊本時代に1日、15日はもとより、
競輪の参加前と参加後にお参りしていた神社である。
健軍神社 ( けんぐんじんじゃ ) は、
熊本県熊本市東区にある神社である。
阿蘇神社 ( 阿蘇市 ) 、甲佐神社(こうさじんじゃ、甲佐町)、
郡浦神社 ( こうのうらじんじゃ、宇城市 ) と共に
阿蘇四社とも称せられる神社で、
健磐龍命、天之御中主大神、仲津彦神、仲津姫神、神渟名川耳命 ( 綏靖天皇 ) 、
阿蘇津姫命、草部吉見神、速甕玉命、彦御子命、比咩御子命、
新彦命、若比咩命、若比古命、新比売命、弥比咩命等を祀るが
( 天御中主神、仲津彦神、仲津姫神の3柱以外は全て阿蘇神社祭神 ) 、
もともとは境内にある国造社の神、
火 ( 肥 ) 国造 の祖である健緒組 ( たけおくみ。健緒純にも作る ) と見る説もある。
健緒組は 『 肥前国風土記 』 や 『 肥後国風土記 』 逸文によれば
景行天皇の時代に肥(火)君 ( ひのきみ ) の姓を賜ったといい、
『 国造本紀 』 によれば崇神天皇朝に火国造に定められたという。
健軍神社は、熊本市内で最古の神社と言われている。
社伝によれば欽明天皇19年 ( 558年 ) に
阿蘇神社の大宮司が同神社を勧請して創祀し、
異賊征伐の為に社号を 「 健軍 」 と称したといい、
後に阿蘇四社の一として阿蘇神社の別宮とされた。
初め 「 健軍宮 ( たけみやぐう ) 」 や健軍村竹宮 ( たけみや ) と呼ばれ、
または十二社大明神とも称せられて、
健軍荘 ( たけみやしょう ) ( 現在の日赤病院周辺や小峯や新外、
江津湖周辺の広い地域 ) の産土神社であった。
明治6年(1873年)に郷社に列し、
昭和以降「たけみや」が「けんぐん」と音読されるようになり、
地域名も託麻郡健軍村から熊本市健軍町となった。
地域の基礎とも言える神社である。
また、八丁馬場は、表参道の通称である八丁馬場にちなむ。
健軍神社表参道の正式名称は健軍神社杉馬場という。
加藤清正が杉並木を植え軍馬の調練をしたことに由来する。
そのことから競輪選手間では ” 勝負の神様 ” として知られていた。