「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

なかにし礼さん逝く

2020-12-25 19:39:28 | 文学・文化・映画作品

なかにし礼さんの著書 「 長崎ぶらぶら節 」 と 「 兄弟 」

 

 

 

 

 

 

「 北酒場  」や 「 石狩挽歌 」 など、昭和を代表するヒット曲の作詞家で、

直木賞作家のなかにし礼さんが、23日、心筋梗塞のため東京都内の病院で亡くなった。

82歳だった。

なかにし礼さんは、昭和13年に旧満州、今の中国東北部に生まれ、
終戦後、日本に引き揚げた。

東京の大学に入学してからシャンソンの翻訳を始め、大学卒業後に作詞家となり、
 
由紀さおりさんの 「 手紙 」 や、
 
いしだあゆみさんの 「 あなたならどうする 」など、
 
男女の複雑な恋愛感情を情感豊かにつづった作詞で数々のヒット曲を生み出しました。

このほかにも、北原ミレイさんの 「 石狩挽歌 」 や、
 
菅原洋一さんの 「 今日でお別れ 」 、細川たかしさんの 「 北酒場 」 など、
 
なかにしさんが作詞した歌は4000曲以上に上ります。

昭和60年代に入り本格的に小説やエッセーなどを書き始め、
 
明治から昭和初期の長崎の花街を舞台にした 「 長崎ぶらぶら節 」 で、
 
平成12年に直木賞を受賞した。


 
その 「 長崎ぶらぶら節 」 の中にこう書かれている。
 
 
 
「 人間は歌の魔力ばよう知っとっとたい。知っとるけん歌ば粗末にし馬鹿にすっとたい。
 
馬鹿にせんと落ち着かんとたいね。人間は歌に弱みば握られとっとたい 」
 
 
愛八の人生でも、なにかつらいことがあると、いつもそばに歌があった。
 
そしてその歌が愛八を支えてくれた。
 
「 歌は人間に勇気を与えてくれます 」
 
「 そいは、人は泣きたい時に歌ば歌うとということですたい。
 
 声をあげて泣くかわりに歌ば歌う。歌うたあとはすっきりして、
 
また生きてみようかと思うとたい。 」 
 
 
上文は個人的に、この本の中でも特に心に残る文面である。
 
その文は、なかにし礼さんの言葉としても心に残る。

 

文学以外にも、なかにし礼さんが手がけた昭和音楽の主な作詞曲が

 

知りたくないの     /  菅原洋一

恋のフーガ       /  ザ・ピーナッツ

エメラルドの伝説    /  ザ・テンプターズ

知りすぎたのね     /  ロス・インディオス

天使の誘惑       /  黛ジュン

花の首飾り       /  ザ・タイガース

君は心の妻だから    /  鶴岡雅義と東京ロマンチカ

人形の家        /  弘田三枝子

ドリフのズンドコ節   /  ザ・ドリフターズ

港町ブルース      /  森進一

今日でお別れ      /  菅原洋一

恋の奴隷        /  奥村チヨ

夜と朝のあいだに    /  ピーター

雨がやんだら      /  朝丘雪路

あなたならどうする   /  いしだあゆみ

手紙          /  由紀さおり

別れの朝        /  ペドロ&カプリシャス

夜が明けて       /  坂本スミ子

サバの女王       /  グラシャラ・スサーナ

グッド・バイ・マイ・ラブ  / アン・ルイス

心のこり       /  細川たかし

石狩挽歌       /  北原ミレイ

フィーリング    /  ハイ・ファイ・セット

ANAK ( 息子 )  /  杉田二郎

時には娼婦のように  /   黒沢年男

北酒場       /   細川たかし

まわり道     /    琴風豪規

まつり      /   北島三郎

ホテル      /   島津ゆたか

わが人生に悔いはなし /  石原裕次郎

AMBITIOUS  JYPAN   /  TOKIO

いつか、その日が来るまでに・・・  /  矢沢永吉

 

 


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