鎌倉時代の初めに七名の平家の落人が海を渡って来て、
ここに住み着き、島の始祖となったと言われている。
その子孫たちの努力によって大島の礎が築かれたとされる。
七名塚には五輪塔、宝篋印塔などが残されている場所があり、
1440年頃の寺と墓地の跡ではないかとみられている。
夜に鐘が鳴るという言い伝えから、
この場所を 「 チンチキ堂 」 と呼ぶようになったといわれている。
ちなみに流れ着いた七名は、豊田、貞光、池部、国光、長岡、刀祢、吉光の七姓で、
現在でも萩大島には多い苗字である。