ボクのためにわざわざ作ってくれた立石先生の「登呂井」
馬のお知りに 「1955大河亜」とサインが彫られている
目の前でサラサラと描いたエンドレスタイガー
今日の日曜美術館で立石先生の作品が紹介された。
テレビの画面を通して20年以上もの前に戻った。
立石先生と出会ったのは今から25年ほど前になる。
筑豊の田川出身という事で田川市の美術館で知った。
そんな先生とは、まだ携帯が主流ではない時代にメールではなく、
手紙やハガキでやり取りをしていた。
ペダルをこぎ漕ぎ、ハンドルや絵筆やを握っていた時代である。
ガスで鉄を切り、アークで溶接した鉄で造った虎の花瓶を送ったら、
ボクのためにトロイの馬をわざわざ作ってくれた。
そんな先生の永遠の旅立ちは奥様からのハガキで知った。
「アンデス行きの列車に乗って旅立った」と書いてあった。