古博多町の祇園車
古魚町の祇園車
中津祇園では、山車のことを「祇園車」と呼んでいます。
天和3年(1683年)、豊後町有志から
「京都の祇園にならって美麗な山車を出してはどうか」との発意があり、
当時の藩主である小笠原長胤が、
美しい山車を京都から取り寄せて豊後町に与えたのが「祇園車」のはじまりです。
京都の祇園祭の山鉾とは違い、車軸(芯棒)を折れにくくして強度を確保するために、
樹齢数百年の松等を輪切りにした大きな車輪(グル)を取り付けるスタイルとなっています。
また、路地の狭い中津の町に、できるだけ大きな祇園車を御神幸させるため、
屋根の両端を上向きに折り曲げた「折り屋根」も特徴の一つです。