あしや砂像展の帰りに立ち寄った「マキマキ屋」
毎回ここでロールケーキを買うのが恒例になっている。
この日はハーフのロールケーキを4本買ったが、
色んなロールケーキが味わうことが出来るので、
いつも楽しみにしている。
あしや砂像展の帰りに立ち寄った「マキマキ屋」
毎回ここでロールケーキを買うのが恒例になっている。
この日はハーフのロールケーキを4本買ったが、
色んなロールケーキが味わうことが出来るので、
いつも楽しみにしている。
今日の舞いあがれ!で、連絡が取れなかった貴司を探して、
舞が貴司に電話を入れると、しばらくして貴司から電話が入る。
その貴司がいる場所は、小学生のころ舞が貴司に送った絵葉書に載っていた
大瀬埼灯台だった。
それで舞と久留美は貴司に会いに五島に向かい、
大瀬埼灯台で夕陽を眺める貴司に会う。
そのシーンになったのが五島市玉之浦の大瀬埼灯台である。
灯台表番号 / 6161
ふりがな / おおせさきとうだい
標識名称 / 大瀬崎灯台
所在地 / 長崎県五島市 ( 大瀬埼 )
北緯 / 32-36-45.8
東経 / 128-36-00 ( 35-59.9 )
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度3700カンデラ
光達距離 / 12.0海里
地上~頂部の高さ / 15.9m
平均水面上~灯火の高さ / 83m
地上~灯火の高さ / 12.9m
業務開始年月日 / 明治12年12月15日
現用灯器 / 高光度LED灯器
手水所にコスモスが浮かべられていた
本殿の柱に天狗槍が立てられていた
今日は11月15日、七五三である。
七五三の由来には諸説あると言われているが、
平安時代の頃から宮中で行われていた三つの儀式が基になっているそうです。
現代に比べて医療の発達が未熟で衛生面もよくなかった昔は、
子どもの死亡率がとても高く「7歳までは神のうち(神の子)」として扱われ、
7歳になって初人として一人前であると認められていました。
子どもが無事に育つことは大きな喜びであり、
親として健やかな成長を願わずにはいられないものでした。
それゆえ、3歳、5歳、7歳の節目に成長を神様に感謝し、
お祝いをしたことが七五三の由来とされており、
やがて江戸時代に現在の七五三の原型として
武家や商人の間に広まったといわれています。
それが明治時代には「七五三」と呼ばれて庶民にも広まり、
大正時代以降に現在のような形ができあがったとされる説が有力です。
3歳・5歳・7歳を節目とした理由は、
暦が中国から伝わった際に奇数は陽、つまり縁起がいいとされたためで、
「3歳で言葉を理解し、5歳で知恵がつき、7歳で乳歯が生え替わる」という
成長の節目の歳のためともいわれています。
なかでも7歳は「神のうち(神の子)」から人間として
現世に完全に誕生する大きな祝いの歳とされていたため、
七五三のなかでも7歳の儀式を重視する地方が多かったようです。
航空自衛隊芦屋基地の作品「空を守る」
ボートレース芦屋の選手による作品 「モンキーターン」
有名な砂像アーティストの作品を見るのも楽しみだが、
それ以外にも芦屋町に根付いた人たちの作品を毎回楽しみにしている。
アロー号(アローごう)は、1916年に製作された自動車で、
現存する国産自動車としては日本最古(2014年現在)である。
1912年、芦屋町で生まれた矢野倖一は、後に矢野特殊自動車の創業者となり、
地元の実業家である村上義太郎から所有していたフランス車の修理の依頼を受ける。
当時は、自動車自体が珍しいことであった。
その矢野が手掛けたアロー号を製作した豊福寛子さんは砂像展の常連として
毎回作品を展示している砂像アーティストである。
今日から紹介して行く砂像作品の最初は蒸気機関車と電車である。
どちらもレールから出て来そうな雰囲気が感じられる。
先週の遠賀川河川敷に咲くコスモスのようすだが、
この日は暑いくらいの気温のなか、
多くの人がウォーキングやジョギングで秋の日を楽しんでいた。
コスモスも見納めだと思うので、画像で愛でてもらいたい。
砂像アーティストの紹介ボード
砂像作りの実演会
3年ぶりに開催された「あしや砂像展」。
これまで楽しみにして来ただけにありがたい開催となった。
砂像展の開催も明日までとなったのだが、
これから砂像アーティストの作品を紹介していきたいと思います。
今朝、食事を摂らず、尿と便を採って健康センターに向かった。
8時半からの受付だったが、
すでに多くの人が待機して番号を呼ばれるのを待っていた。
呼ばれたのが35番目。
それから必要書類を持って2階の受付に行き、
検査服に着替えて検査室の前で名前を呼ばれるのを待った。
健康センターで約1時間半の検査を終えて次に向かったのが一般病院である。
今度はそこで肝機能を検査してもらった。
「検査結果は水曜日に」ということで帰路に就いたが、
どっちにしても検査結果が待ち遠しい。
昨日、息子が帰って来た。
あしや砂像展に行ったとき、
最中をあしや釜本舗で買おうと思って岡湊神社の先にある店の前に行くと、
車を停める場所が無くて断念したが、
砂像展の中にある観光協会の店で売っていたので迷わず買って帰った。
せっかくなら息子がいるときに食べようと取っておいた。
最近は最中を食べることが少なくなったので、
たまには洋菓子以外もいいだろうと思う。
橋の欄干の赤が空の青と水面の青に映える
埴生神社の鳥居
橋へと続く参道
朱が目を惹く参道橋(延寿橋)
埴生神社の石段
中間市垣生公園と書かれた大きな看板
公園の横を筑豊本線が走る
自販機に「元気な風が吹くまち なかま」と書かれている
高校の同級生に中間東中学校や水巻南中学校の卒業生がいた。
仲の良かった水巻の友達は伊左座のみずほ団地に住んでいたので、
よく泊まり込みで遊びに行ったものである。
話が逸れたが、中間市の名所といえば、市内最大の公園である「垣生公園」であろう。
自然が多く残り四季折々の植物が生い茂っており、
池に架かる赤橋を渡ると、埴生(はにゅう)神社の境内に通じている。
また、県指定文化財の「垣生羅漢百穴」もここにあり、
これは、古墳時代の横穴群集墓である。
垣生公園は桜の名所として知られており、
3月末頃には中間市の三大祭りの一つ「筑前中間さくら祭」も開かれ、
花見客で賑わう筑豊屈指の名所でもある。
県道73号線の中央分離帯に立つ大銀杏
大銀杏の右下に永源寺の屋根が見える
下り線を走る自動車と比較してもその大きさが分かる
堤の下から見た大銀杏
大銀杏を挟んで上下線が分かれている
県道73号線を左右に分ける遠賀川の堤に立つ大銀杏。
この大銀杏は扇天満宮の御神木であったが、
県道の改修のため伐採しようとしたが、
その人が死んだり、その親族まで災いが降りかかるため、
そのまま残したこの区間だけが上下の車線が分離されている。
思えば人間よりも遥か長い年月を生きて来ている大銀杏である。
「たかが40年50年の人間に伐られるわけにはいかない」と思うのは、
数百年もの歴史を見て来た大銀杏からすれば、当然といえば当然であろう。
左下からだんだん欠け始める
遠くに欠け始めた月が見える
先ほどから皆既月食が始まった。
日ごろ月をじっくりと眺めることは無いが、
今日は皆既月食だということで、
「まだか、まだか」と、
その時間が来るのをカメラを持って待っていた。
刻々と欠けてゆく月は神秘的だった。
国道201号線沿いの銀杏並木
これから黄金色に色づく頃
行橋から仲哀トンネルを抜けて香春町に出ると、目の前に香春岳が見える。
そこから一気に京築から筑豊色へと景色が変わる。
国道201号線を香春岳を右手に見ながら進むと金辺川沿いに銀杏の木が連なる。
黄金色した銀杏の葉がひらひらと舞い落ちるには早かったが、
それでも確実に季節は冬に向かっていることを感じた。
3グラムが30包入っているので使いやすい
このひと月ほど飲酒していない。
と言うのも、むかし武雄競輪で落車した時に左肩の腱板を損傷した。
その古傷が無理をすると再発する。
そのため病院でもらったロキソプロフェンとエペリゾンを服用したら、
手のひらと足の裏が痒くて痒くてたまらないほどになった。
そんな症状が出たのは飲酒した翌日の朝だったので肝臓が疲れていたのだろう。
今まで服用しても何の症状も出なかった薬なのに・・・
それでカロナール錠とレバミピドに替えてもらったが、
今度は痒みは出ないが胸やけがしだしたので、
あれ以来くすりの服用はしていない。
もちろんずっと禁酒である。
そのことを同僚に話すと、「えごまが良いですよ。」と言われので、
さっそく注文した。
まだ数日しか試していないが、胸やけが和らいだ気がする。
11日に健康診断があるので、どんな結果が出るのか楽しみである。
その結果によっては治療や対処しなければならないと思っている。