この暖かさで庭の梅が満開です。
これを観るとほかの所に行こうとする気も薄れてしまいます。
きれいに花を付けてくれました。
大きな梅の実を付けてもらいたい。
昨年、大きな粒をたくさん付けてくれましたので、適当に熟し、”梅干しに” と待っていたら、夜の間に一粒残らず取られてしまいました。
取られた後「盗んだものを食べておいしいか?」と木にぶら下げましたが後の祭り。
今年は、やや大きくなったところで”注意の立て札”を立てようと思っています。
この暖かさで庭の梅が満開です。
これを観るとほかの所に行こうとする気も薄れてしまいます。
きれいに花を付けてくれました。
大きな梅の実を付けてもらいたい。
昨年、大きな粒をたくさん付けてくれましたので、適当に熟し、”梅干しに” と待っていたら、夜の間に一粒残らず取られてしまいました。
取られた後「盗んだものを食べておいしいか?」と木にぶら下げましたが後の祭り。
今年は、やや大きくなったところで”注意の立て札”を立てようと思っています。
2009年2月に産声を上げ16回目を迎えると言われる商店街の恒例のギャラリー「染めの小道」が、今日21日から3日間、妙正寺川をはさんで開催されました。
上記地図は、「染の小道」の会員たちの所在地と、右側には、店舗に飾られている作品の番号がわかれば、番号から作者がわかるというものです。終了後、作品の購入も可能となっています。
ここ西武新宿線、都営地下鉄大江戸線「中井駅」周辺は、東京の染色産業の中心地として発展し、現在もなお活動を続ける染色職人と住民が一体となって染色が盛んだった昭和30年頃の街の記憶を現代に引き継ぐにぎやかな3日間です。
私がふるさと佐渡から東京に出て来て、父がこの中井に家を構えてくれ、学校に通うときなど、妙正寺川の川中で反物を洗う姿をよく見かけたものです。
私共、午前11時ごろ家を出発。
まず、先日の庭の梅木の花の咲く度合いを観察。寒い日が続いたせいでしょうか。やっと開き出したようだがまだまだ。
ナンテンの葉っぱの赤はますます色合いを増していくようだ。
まず徒歩2分ほどの妙正寺川に。
川に行く途中のお店の前に飾られているのれん。
のれんの横に作者の名前と説明書きが添えられているのだが
風で読みとれない。(NO.がわかれば、パンフレットに作者の名前が載っている)
橋の上はご覧のように人が多く・・・。
絵を描いている人もいる。
川の上いっぱいに反物が張られている。とてもきれい。この場所が東の端っこ。
川に沿って駅の方面に向かって歩く。金曜日だというのに天気が良いので人が多く川を覗き込んでいる。
新宿のサッカーチーム「クリアソン新宿」がお店を開いていた。覗くと可愛いマスコットが飾ってある。「おいくら?」と聞くと、〇〇円。「ひゃ~」と言ってその場を離れたが、頭に残ってしまい、”会社に飾ろう” と独り言。駅の前を過ぎようとすると、染めの小道の半纏を着た息子(社長)がいたので、「あのマスコットを買おう」と連れ出す。そしたらその人たちと知り合いらしく、すぐさま、会社で購入、私が「会社に持っていくよ」と言ってマスコットを持っていく。
そのマスコットがこれ。「クリアニマン」と呼ぶそう。会社の一階店舗には、サッカーチームの選手からサインをもらった手ぬぐいや写真のようにチラシも貼ってある。あまり気に留めなかったが・・・。
さて、戻ろう。
事務所を出て、まず、林芙美子記念館に向かった。
林芙美子記念館。角から。屋敷が広くて全面一度に入らない。
角地で入口は坂の途中にある。
これが屋敷の入口ですが、現在の記念館の入口はさらに上の方。
ここが記念館の入口。
私共はもう数回入っているので今回は失礼し、のれんを観て廻った。
落合第五小学校うしろを流れる妙正寺川、その上につるされた反物。この場所が妙正寺川上に反物が吊るされた西の端っこ。先ほどの川の東の端っこから、長さとしておおよそ600mほどでしょうか。
以下は川沿いの商店街から駅までに飾られていた作品。
のれんの飾られている作品は、場所ごとに小道に名前を付けてグループ分けを、たとえば、次の場所・作品を「モダン紅型の小道」と名付けて区分けしている。
グループごとに出来が違うように感じられた。
次は、上落合商店街に飾られていたもの。
中井駅前商店街。
染の小道 駅前案内所。
時計屋さんに飾られているのれん。
弊事務所に飾られているのれん。
自転屋さんに飾られているのれん。
レストランに飾られているのれん。
お風呂屋さんに飾られているのれん。
文房具屋さんに飾られているのれん。
いずれも番号がわかれば作者がわかるのですが、2~3が解かり他がわからないとしては失礼なので、すべて載せませんでした。
パンフレットには、作品数97点が展示されていると表示されています。作品すべてを載せきれませんでした。あしからず。
この染の小道は23日まで開催していますので、興味のある方はぜひ足を延ばして西武新宿線中井駅までお出かけくださり、作品をご観賞いただければ・・・。
確定申告の提出期日が近づき、毎日、机に向かって計算機を左手に挑戦していましたが、昨日やっと家内のものと2件を完成させました。
賃貸収入や支出金は小まめに記述しているつもりですが、年一回の決算故、忘れてしまっていることもあり、また、医療費も小まめに記帳していなければ控除ミスが生じてしまい、大変。
でも何とか提出期日一週間前に完成。ホッとしている。
今日11日建国記念日は、正午過ぎから久しぶりに駐車場後ろの庭を観て廻る。
西側から東側を望む。
ナンテンの葉っぱが赤く色づき、きれい。
梅は杏のようで普通の梅より遅い。咲く花は、ピンクできれい。
五葉松が手入れしてなく、込み入っている。これはいけない。
早速、駐車場から剪定ばさみを持ちだし、松の剪定をした。1時間ほどで、大きなごみ桶に半分ほどの松葉を切り落とすことができた。
疲れてしまって剪定した五葉松の写真を撮るのを忘れてしまった。明朝、写真を撮って載せますね。
<続き>
五葉松の剪定後のものです。
まだまだ松葉が多くて・・・。
剪定したのがわかるでしょうか。
玄関ロビーにあるカネノナルキとシュロチクです。
カネノナルキは、名前が良いので20数年ほど前から在りますが、日当たりが良くないせいか花を付けたのを観ていません。一か月ほど前に鉢を一回り大きなものに替えました。
シュロチクはビル新築祝いに頂いたものです。もう30数年になりますか。
天気予報通り、1日~3日は関東も低気圧の通過で、天候が崩れるとの予報でしたので、私共は、31日にやや無理の行程で銭洗弁財天をお参りした。
翌2月1~3日は、曇りで雨が時々降り寒かったので、ほとんど一日床温水暖房のスイッチを入れて室内を暖かくして、確定申告の書類等を整理して過ごした。
4日、5日両日の朝は、風もほとんどなく快晴。午後から曇りだすという天候。
朝の逗子海岸散歩は、穏やかで気持ちよい。
4日朝。
鎌倉方面から半島を廻ってウインドサーフィン仲間が荷物を背負って参加してくる。
何かの団体かしら? 挨拶している。
5日朝のウインドサーフィンの仲間たち。昨日の人たちと違うようだ。
昨日よりやや少ないよう。
海岸から帰り、ワンちゃんの朝食の準備をしていると、リビング内から見える逗子湾には、先ほど海岸に集まっていたサーフィン仲間たちが一斉に出発したのが見えた。
窓を開けてパチリ。
私共は、マンション前のなぎさ橋珈琲へ朝食に出発。
家内が先月の食事の時、席が良くなかったので、今度はあらかじめ機械で注文するときに「窓側の席」と予約。
10分ほど待たされたが、窓側の良い席が取れた。
富士山も江の島も見える。
午前11時前だったので、モーニングサービス品を受けることができた。マグロとネギトロの月見丼定食、ドリンク付き。
ご飯に手を付けてしまってから撮ったのですみません。
なぎさ橋珈琲店は、コロワイド系列なので、優待サービスカードを使うことができる。ありがたい。
昨日と同じように、午後から天候が崩れてきた。
午後1時過ぎ、東京に向かった。
個人の確定申告が迫っているので、今回は時間を有効に使ったように思う。
先日1月30日午前10時過ぎに、佐渡赤泊出身で首記篆刻家、同級生の柳 濤雪先生から、昨年“日展” に展示された作品と同一のもの(柳先生曰く)と言われるものが自宅に送られてきた。
いやいやびっくりというか。
早速、先生に御礼の電話をするがお留守。
“昨日、お電話いただいた作品が無事到着しました。作品を開いてみて、大変興奮しています“ 旨の留守電を入れておく。
素晴らしい。
明日から逗子に行くんで、同日午後、会社に持って行き、社長以下社員に見せ、貰うことになった経緯を説明する。みんな「すごいね」と。目を丸くしている。
柳先生との関係は、先に申したように高校同級生であり、大学も学部が違うが同一、サラリーマン生活後、40数歳の時会社を興して独立。その時、柳先生も篆刻家を目指して有名先生に師事、間もなく、有名先生の師弟として跡を継ぐ。柳先生のお住いは逗子市街。
ほぼ20年前に柳先生の住まいの近くに私が保養施設としてマンションを購入した関係で、お互い行き来する。高校同級生グループでの小旅行にはいつも一緒。
令和元年7月、彫刻家・親松英治先生の藤沢工房に伺った時の写真。右から、柳先生、親松先生、高野元佐渡市長。
親松先生の工房に伺った時観た製作中の聖マリア像。長崎県南島原市に贈られるとのことでした。(一昨年、同市に贈られたとのこと)
柳先生は、現在、日展の会友。特選2回受賞後永久会員となり、審査員等を歴任、作品は、無審査通過。
日展開催時には毎年、入場券を二人分お送りくださる。また、コロナ禍を除く毎年銀座鳩居堂で開かれるグループ展には案内状が送られてくる。
鳩居堂で開催のグループ展。
昨年6月、鳩居堂で開かれたグループ展に伺った時、「柳先生の特選時の作品写真や、以前に筆で書いてもらったものがありますが、篆刻作品の本当の印影作品はまだ持っていないです」と申したら、柳先生から「考えておきます」とのご返事だったのを覚えています。
第43回(2011年)日展 特選作品。 (柳先生2回目の特選)
柳先生が書いてくれた家内の名前の一字「祥」。
昨年の日展の始まる前に柳先生から入場券が送られてきて、私から御礼の電話をした時、柳先生から「本年、日展に出品する作品と同じものをPegasusに上げようと思っているので、よく観ておいてください」との内容の電話をいただきました。
昨年11月、日展に出品されていた柳先生の作品。
それから2回ほど柳さんと電話の機会がありましたが、「額のいいのがみつからない・・・」などのことでのびのびとなっていた。
それが今回、送られてきました作品です。開いて目の前にすると、興奮する。 そのまま、柳先生に電話。留守でしたが、折り返し電話が来る。
興奮のあまり、言葉がうわずって、そのままの雰囲気を柳先生に伝える。「ありがとう。ありがとう」。
以上が柳先生との今までの関係と作品の経緯です。
これからも末永くお付き合いいただけますよう努力したいと思います。
逗子マンションの防火設備の点検を行う旨の連絡があったことを利用して、今日1月31日、某テレビ局で先日放映紹介していた鎌倉・銭洗弁財天 宇賀福神社をお参りした。
私は、「この歳になって、また逗子に来るようになってから20年になるのに、まだ一度も銭洗弁財天を参拝したことがない。こんど行く機会に参拝しよう」と話し合っていた。
Google マップを見ると、JR鎌倉駅から徒歩でも行けそうだが、今の体調では無理。
土曜、日曜日は、参拝者が多くて車の通行が無理のようですので、″今日金曜日、東京を出発して逗子に立ち寄り、ワンちゃんを下ろして出発″ の計画で自宅を午前10時30分ごろ出発した。
“月末、金曜” で渋滞か? と心配したが、通常と同じ。
逗子をすぐに出発。ナビゲーターでは、25分ほどで銭洗弁財天に到着と表示されている。
ところが、鎌倉駅を過ぎて午後1時過ぎと時間をづらしていたが、修学旅行生が銭洗弁財天から帰る時間帯とかち合い、細い道路は学生でいっぱいだった。それでもノロノロと走り、銭洗弁財天駐車場までたどり着き、運良く、駐車することができた。
駐車場から7~8分上り坂を とのことだったが、休み休み入口までゆっくり上り、たどり着いた。
銭洗弁財天 宇賀福神社 入口。
鳥居をくぐると隧道が始まる。約30mぐらいかしら?
隧道をぬけると視界が広がり右側に手水舎が・・・。
正面から木造の鳥居が10数mほど。
斜め右側に社務所、その奥に本宮が見える。
さて、鎌倉随一の金運スポットの歴史は、鎌倉・観光公式ガイド等で説明されていますので、参考にしてください。
鎌倉・観光公式ガイド から
銭洗弁財天は、巳年の文治元年(1185年)巳の月・巳の日に、人頭蛇身の水神・宇賀福神が源頼朝の夢枕に立ち「この地に湧く水で神仏を供養すれば、天下泰平が訪れる」と告げ、そのお告げに従い、源頼朝が社を建てたのが起源とされています。
その後、源頼朝の信仰を受け継いだ鎌倉幕府5代執権・北条時頼が、奥宮の霊水で銭を洗い、一族の繁栄を祈ったことから、「洗うとお金が増えて戻ってくる」という民間信仰になったといわれています。洗ったお金は有意義に使いたいですね。
私たちは社務所に寄らず、左手の石の鳥居をくぐってから社殿に入ってお参りした。
もう一方向から上る時にくぐる石鳥居のようだ。
本殿。手を合わせた。
左側の洞窟の中に奥宮が。
奥宮。鎌倉五名水の一つである奥宮の銭洗水で、お金を洗うとお金が増えると言われる。
私共は、社務所を通らなかったので、お金を洗うざるがどこにあるかわからず、人の使用したものをお借りして銭洗水をしゃもじで汲んで洗った。
”ご利益がありますように” と手を合わせる。
洗ったお札や銀貨は、ビニール袋に入れて大事に持ち帰った。
本殿の右側に廻り、「下之水神宮」、「七副神社」をお参り。
それぞれの神社に手を合わせて、銭洗弁財天を後にした。
やはり、いままでこの神社にはお参りしたことがなかった。今年も良きことがありますようお祈りいたします。
5日(日)午後1時過ぎに、逗子を出発。
横横高速道路ー一部国道16号線ー第三京浜ー首都高とほとんどが高速道路です。正月明けで明日から仕事始めなので、道路は混雑するだろうと予測しますが、もう経験済み。
月曜日に帰る予定を5日(日)に変更して、この時間に出発した。 予測通り、首都高西池袋インター出口までほぼノンストップ。首都高用賀インター入口で2秒ほど並びで止まっただけ(そういえば第三京浜高速の料金所を出て環八道路に入るところで一時停止があったので停止。直ぐに発車した)。
信号待ちも一度もなし。奇跡に近い。こんなことは20年間で初めて。1時間10分ほどで自宅に到着した。今年はいいことがありそう!
珍事だが、以前にも正月明けやお盆明けの時、「一番混むだろう」と 誰もが思う時間を選んで帰ると、かえって空いていることがあります。経験から・・・。
会社は例年通り、5日から始まっていたが、私は、6日正午ごろから出社した。
まず、やらなければならないのは、従業員みなさんの令和6年の源泉徴収書、支払調書の作成。年末調整した明細書作成して渡さなければならないのと、源泉徴収した税金を期日までに納付しなければならない。その書類作成に取り掛かった。
会計士に「今年は、まだ頭がぼけていないので私がやります」と宣言した以上、私の義務。
今年は、各人へ3万円の所得減税がありましたので、年末調整事務が忙しかっただけで、6,7の2日間で作成して皆さんに手渡ししました。
あとは、各人のものを各区役所や税務署に送付するだけとなっています。
今朝の朝日新聞記事にも ″24年分確定申告ご注意「定額減税」記入欄忘れると無効に? ″ というものが載っています。
皆さん、昨年は、特に税金等が変更させていますので、よく勉強して漏れのないようにしてください。
8日(水)は、会社が定休日。ホッとして寝坊してしまいました。
パソコンの具合が悪く、投稿が遅れてしまいましたことすみません。
昨日は、愛犬レオちゃんの10歳の誕生日でした。
毎年、逗子にいて誕生日を迎えるので、孫たちのお祝いの同席がなく、さみしいようだが、これも運命です。
しかし、私たちの力一杯の努力で誕生会は盛り上がりました。
ケーキはないが鶏のから揚げの上に蠟燭を立て、また、肉がいっぱいのなべ料理を用意して、
レオちゃんはもう我慢ができず、鍋料理の中の肉にクンクンと声を出して要求です。
から揚げに目が行っています。
行儀よく自分の席で待っています。
「10歳の誕生日おめでとう」と祝杯を挙げました。
人間でいえば、60歳程度でしょうか。これからさらに我々に楽しい余暇を与えますとともに、レオちゃん自身も楽しい犬生でありますよう願いたいものです。
今日4日、夕方散歩から帰って来た時のレオちゃんです。
可愛いでしょう。(親ばかな一人から)
新年正月を神奈川県逗子市で迎えましたが、天候は風もなくすこぶる穏やかでこの3日間を過ごしています。
元旦の朝の散歩はのんびりと9時過ぎに出かけましたが、流石に人影はなく、静かなものでした。
が、夕方の夕日の時間にはご覧のように海岸には、すごい人でした。
愛犬レオちゃんの写真を撮った後、砂浜に勾配があったため後ろ向きに転んでしまい、砂地だったが、後頭部を打ち、一時立てず、近くにいた大人二人が抱えて立ててくれました。頭がジーンとし、脳震盪を起こしたかと思いました。「救急車を・・・」という声も聞こえましたが、家に帰ってベットで休み、当日は風呂にも入りませんでした。元旦は災難の一日でした。
2日は、昨日と同様、静かな穏やかな朝を迎えました。
散歩には、昨日のこともあるので怖くなり、レオちゃんは家内に預け、私は車から杖を下ろして海岸までゆっくりと出かけた。
2日夕方は、富士山が雲にさえぎられて頭を出さず、残念。
ただ、夕日は、昨日と同様、伊豆の山に沈んでゆきました。
夕陽を眺める人人・・・。
レオちゃんは、今日が9歳の最後の日となりました。明日は10才。誕生日です。 ささやかなお祝いをしようと思っています。
明けましておめでとうございます。
新年は、大変穏やかな朝で迎えました。
逗子海岸から眺める富士山もきれいな姿を見せています。
逗子海岸(午前8時30分)
皆々様、健康で良き年でありますよう祈念いたします。
<追記>
新年、皆様方にお送りしました年賀です。
旧年に「年賀はこれを最後にしたいと思っています」とのお知らせを3~4枚戴きました。やはり寂しいことです。
弊社は、今年29日をもって終了する旨を先月末から関係各位に連絡、用意周到していた。
問題を起こすことなく、無事経過したようでしたので、私共は、今日30日14時過ぎ、逗子に向かって出発。道路の込みもなく、何時もの時間で到着した。
駐車場に車を入れ、荷物を下ろす前に海岸に散歩に出かけた。
風もなく、海岸は穏やか。
田越川河口にはヨットが係留されている。江の島は見えるが、富士山はうっすらと観える程度。
逗子海岸は穏やか。
いつものステーキ宮店の前まで歩く。とても気持ち良い。
富士山がうっすらと顔を出している。
明日大晦日も今日以上に暖かくなるようだ。
家に帰ると、家内が「正月飾りは一日前飾りはよくないといわれるから今日飾って」と申すので、持ってきた飾りを玄関に飾る。
正面玄関。
正月前に逗子に来たことは今までなかったかしら? 例年は、紅白歌合戦を聞き終わると年越しそばを食べ、近くの神社にお参りに行き、就寝。
元旦は午前中に明治神宮に行くのがルールだったが、この歳になって長く歩くのが難儀となったので車で移動が先になってしまった。致し方ないこと。
でも体調を見て鶴岡八幡宮に行きたいと思っていますが・・・。
皆さん、くる年も良き年でありますよう祈念いたします。
<追記>
12/31
リビングから望む本年最後の富士山の夕景と逗子海岸です。夕方風が強いので、海岸に行くのをあきらめ、蘆花記念公園方面に行ってきました。
12月31日午後4時39分、リビングから望む富士山。
同時刻の逗子湾。風が強く、荒れています。
白波が打ち寄せています。
この10月、太鼓芸能集団『鼓童』の12月特別公演2024「山踏み」文京公演招待を受け、2名の申し込みをした。
今回は、文京シビックホール25周年記念公演ということで、一般公開の前日に、文京区の方を中心に招待をしたようで、それに合わせて鼓童関係者や関係外国大使等を同時に招待したようだ。
一般公演は、今日19日から始まる。
私は、20年程前に大学同窓との繋がりで現在鼓童集団の専務理事Sさんと知り合いになり、佐渡に帰郷した時、お茶をご馳走になったり、時々鼓童集団へ寄付をする関係で、定期発行誌をいつも送付してもらうし、毎年の東京公演には、招待を受ける。
昨年寄付した関係と思われるが、今回2名の招待があった。家内に話したら、『ぜひ、行きたい』ということなので、先のように2名の申し込みをして了承となった次第です。
パンフレットでは、18時の開演ですが、早めに地下鉄大江戸線で出かけることとした。大江戸線ならば、都庁前駅で隣の線に乗り換えだけなので、早い。大江戸線春日駅まで30分弱で行けそう。
早めの16時30分過ぎに出発。都庁前駅で隣の線に乗り換えて春日駅まで。予定通り30分弱で到着。文京シビック大ホールに通じている通路を通り、ホール前に出る。
玄関に出て、写真をパチリ。
開演40分前ほどですが、もう来ている。
受付は二手に分かれている。
さぁ~、どこの受付に入ればいいのかしら?
迷った挙句、大使館 右下の「鼓童国内宣伝部受付」と書かれている所から入った。そしたら、左端の「鼓童関係者」受付口まで連れられてきた。「鼓童関係者なんだ~」と・・・。
入って10mほど進むと、S専務理事がいた。「しばらくです。夏のアースセレブレーションには、会えなくて残念でした」等のあいさつ。
Sさん「全席、自由席ですので、自由に入ってください」と申され、会場入り口へ。
17時30分からのオープンらしく、1階の入口には15名ほどが並んでいた。
15時30分になったので扉が開く。
自由席なので、一般のSS席と思われる辺り13-24に座る。ステージより、やや高く、真正面。
観客席は、空席が目立つ。外国人がとても多い。
開演前の情景。
予定通り18時開演。 開演中は、カメラ撮影は禁止。
太鼓演奏と横笛 総勢13名による演奏、前半と後半に分かれ、あいだに15分間の休憩。
アースセレブレーションは屋外演奏だったので、マイクを使用していたが、今回は、生の太鼓の音。前半の終わりの中太鼓を8名で連弾する情景と太鼓の音は心に響き、すばらしい。2名の横笛もよく響く。
休憩にロビーに出た時、S専務理事がいたので、「この演奏はマイクを使用していないですよね」と。本人も使用していないと申されたが、再度関係者に確認、「使用しておりません」とのこと。「今年のアースセレブレーションの時、屋外だったからしようがなかったが、音が割れ残念だった。今回は、生の音、素晴らしい」と。感激していることを伝えた。彼も喜んでいた。
後半開始。
中間頃だったか、二人の小太鼓がステージから観客と手拍子を合わせる共演があった。観客も慣れたものでうまく合っていた。
後半中ごろから前半以上に大太鼓が入る。
ふんどし一枚の大男がステージ中央に置かれた大太鼓に上がる。下側には小太鼓と鐘を持った人。大太鼓のばちがこれまた野球のバッターを大きくしたようなもの。これを全身で振り回して大太鼓にぶつける。
ここから観ていても「もう力が尽きて来るのでは?」と思うような・・・。
肩からは汗が流れ落ちているのがよ~くわかる。光っている。
最後には13名全員が勢ぞろいして共演。 素晴らしい。素晴らしい。
最後には、横笛も入り13名全員でステージ一杯演奏。
拍手が鳴りやまず。アンコール。
全員で小合奏を演奏。フィナーレ。
素晴らしかった。
退席の時、後ろにいた人がステージに置いてある太鼓をカメラに収めていたので、私もついパチリ。
これも撮ってはいけなかったのかしら? 演奏が終わった後だからいいのではないかと思いましたが・・・。
大ホール出口方向に向かっていると、S専務理事がいましたので、太鼓の生の音に大変感激した旨を報告し、御礼を伝えますとともに、「佐渡出身関係者に会いませんでしたが、どなたかいらしていましたか?」とお聞きしましたところ、「D社のTさんが来ていましたよ」と教えてくださった。お会いできなくて残念。
首都圏の皆さん、公演は、22日まで行われます。お時間が取れましたら、生の大太鼓の音を体に染み込ませ、年末・新年をお迎えできましたら、この上ない新しい慶びの年となることでしょう。
15日は、洗ったガラスのサッシ枠や避難梯子の蓋等の金属部分にKURE5-56を噴霧してタオル切れで油液を伸ばし錆びないように配慮する。
大変な面積なので大変。疲れてしまい一服。もう午後もだいぶ廻ってしまった。
17日(火)は家内がインフルエンザの予防注射予約日、18日(水)は、東京・文京シビックホールで開催される佐渡・太鼓集団〈鼓童〉の演奏を見に行くこととしているので、16日(月)は、東京に帰らねばならない。いつもより短く、忙しい滞在だった。
そこで、16日の朝食は、前のなぎさ橋珈琲で摂ることとなった。
海岸を散歩したのち、私は、そのまま珈琲店前で椅子に座って待ち、家内は、レオちゃんを家まで連れて一度帰って行き、駆けつけた。
店前は、広い駐車場ですが、10時過ぎなのにもうほとんどいっぱいとなっている。
家内が帰ってきたので、店内に入る。
運良く、海側の席が空いており、勧められた。
席から観る富士山並びに逗子湾。外の席は、寒いので空いていた。
料理が来るまでの間、隣のドアから外に出て、逗子湾や富士山をカメラに収める。とてもきれいに観られる場所。
手前は、田越川の河口。その向こう側は、いつもレオちゃんと散歩する逗子海岸。
メニューの注文は、いつも家内の大好きなものを選んでいる。
コロワイド(株)のカードを利用できるので・・・。長とろも付いており、とても美味しい。
食事中、横浜に住む高校同級生(A女性)のことが話題に出て「6月ごろだったか、ご主人さんから電話があって君が取り、『外国旅行から帰った後、おかしくなって、リハビリに通っている。痴呆症も見られる』と言われたんだよな」「それ以降、一切電話がない。こちらからも怖くなって電話していない。彼女の一番の友人に電話してみれば、知っているかもしれないよ」となって、B同級女性になぎさ橋珈琲店から電話した。
自宅にいて電話に出た。
二人とも逗子のマンション宅には、A女性の車で他の数人と一緒に2回ほど遊びに来たことがある。
B女性は、やはり度々Aさんに電話しているそう。Aさんのことを詳細に話してくださった。
Aさんは、外国旅行中の日本に帰る前日ニューヨークのホテルに滞在中、気持ち悪くなり戻したりしたそう。帰る前日なので病院に行かず、翌日,飛行機に搭乗して日本に帰ったそう。
帰ってすぐに近くの病院に行ったら、軽い脳梗塞を起こしていたのだそう。右手が動かないそう。足は動くとのこと。言葉はやや不自由とのこと。
Bさん「私は、時々電話しているんですよ」 とのこと。 安心した。
なぎさ橋珈琲店内だったが20分ほど話してしまった。
「また後で電話するね」と言って切った。
食事の後、二人でもう一度海岸べりに出てお互い写真を撮り合う。
この寒く低い気温であるのに外のテーブルに客が入っていた。
「さあ、帰ろう」と席を立ち、家に向かった。
午後1時30分ごろ、逗子を出発。
月曜日のせいか、東京・新宿に到着するまでに2時間30分ほど掛かってしまい、午後4時前となっていた。
車の中で考えたことだが、右手が動かず、言葉が不自由のようだが、入院とか寝たきりとなっていなく、元気なようですので ″恐れていなくやはりAさんに直接お見舞いの電話をしよう″ と決心し、Aさん宅に電話を入れた。
電話口にまずご主人さんが出てくれた。
「〇〇です。ご無沙汰しています」
「〇〇ですか。こちらこそお世話になっています。電話に出られますのでちょっと待っててください」
Aさんが電話に出られるようだ。よかった。安心した。
Aさん「ご無沙汰しています」
私「午前中Bさんに電話して、Aさんのことを聞いたんです。ご主人さんがあまりよく言っていなかったから怖くて電話できなかった。すみません」
Aさん「ほんとに怖かった。2か月ほど入院したんですよ。子供が心配して」
以下、手が若干不自由、足は不自由なく歩けること。言葉は話していても以前とは違ってやや発するのが遅れる程度。リハビリは続けているとのこと。
「よかった、よかった。これからは『神からもらったもの』として、ゆったりした心をもって過ごしてください」 と言って電話を切った。
電話を切ると、直ぐにBさんに電話して『今、Aさんと電話でお見舞いの話しができました。ありがとうございました』と伝えた。
家内もAさんのご主人から電話をもらってから、「Aさんはどうなったんだろうね。ご主人さんの言葉が気になって・・・」と言っていたのが、安心したようだ。
この歳ですので、何時どんなことがあってもおかしくない。お互い気を付けることは必要で、他人に迷惑をかけないよう注意しなければならないが、これからの日々は、天から与えられた時間と思い、前向きに考えることにしようと思う。
14日の逗子海岸は、穏やかな朝を迎えました。
海岸では、ヨガの練習も始まっています。静かな風景。
帰り道でなぎさ橋から東側を観ると、川岸の雰囲気がやはり “逗子~葉山の雰囲気だなぁ~” とついシャッターを押してしまっていた。2~3軒先の横長の広告看板のあるところが、コロワイド系の「なぎさ橋珈琲店」。
今日は、大掃除でベランダを洗うこととなっている。
朝食後、直ぐに車から高圧洗浄機を下ろして来て、掃除のできる準備をする。
家内から「寒いから、今日は、お湯を使ったら・・・」の提案。「そうだね。汚れも落ちやすいかも・・・」と応じる。
何のことはない。ホースをつなぎ、お湯側にコックを廻せばよいこと。設定済みの43℃の熱いお湯が出る。
まず、お茶碗等を洗う洗剤を水で薄め、高圧洗浄機の上にある小さなタンクに入れる。出口の先を回し、洗剤液が出るようにし、ハンドルを握る。
まず、ガラスから始め、床の順に高圧で洗剤液を流していく。
そのあと、ホースの先を回してお湯の出るようにしてコックを握る。
空気の混ざった高圧で洗い流していく。
いやいやお湯を使用しているため、足や手は暖かいし、それ以上に汚れが以前水を使用していた時と比べてとても落ちて、びっくりするほどきれいになっていく。
ベランダに立ち上がっている場所にシミとなっている雨しずく跡もきれいに落ちる。
西側のベランダ、北側のベランダと今までより時間がかかったが、お湯の力は抜群。
玄関の方は、15日に廻してしまったが、疲れて今日はこれまで、と終えてしまった。
15日の今日、玄関側の清掃を終え、今回の大掃除はこれまでとした。部屋内は荷物もなく、いつも何とかきれいにしているので、これで終了とした。
夕方、海岸に犬の散歩に行くと、初冬の富士山らしくきれいな姿を見せていました。
その姿をカメラに収めようと、カメラの一群は、ご覧の通りでした。
石原裕次郎記念碑のまわりにはご覧のように・・・。
15日の落日。
今日は風が強く、とても寒かった。
正月前に部屋の大掃除をしなければと思い立ち、午後1時過ぎに新宿・中落合を出発して、逗子に来ました。
金曜日午後でありながら道路は空いており、混まずに逗子に到着。陽が射している。
「蘆花記念公園・西斜面の紅葉は、今頃の時間が良いから、荷物を車から下ろす前にもみじ山といわれる蘆花記念公園を見にゆって来よう」と。
蘆花記念公園まで、レオちゃん連れてゆっくり歩いて8分ほど。
蘆花記念公園の由来は、文豪徳富蘆花が逗子のこの土地近くに数年住んでいて ”不如帰” などを書き上げたことからとったもののようだ。
この場所は「桜山」と名前がありますが、この近くは別名「もみじ山」といわれています。
公園の入口はいくつかありますが、私はその一つ南側から現在閉館になっている逗子市郷土資料館まで上りました。家内とレオちゃんは、向こう側の下る時の階段がきついと申し、むこう側に行って待っているといい、上らなかった。
それでは、資料館まで登った間の紅葉と向こう側の下りの紅葉をご紹介します。
まず、蘆花記念公園に入りますと、大きな銀杏の木が、
陽にあたって黄色が金色に輝いている。 ここから一人で登り始めました。
もみじが陽に当たってきれい。
逗子市郷土資料館入口。
郷土資料館は閉館となっています。
資料館の西庭から望む富士山、江の島と逗子湾。
資料館はすべて雨戸が閉まっていましたので、ご紹介は致しません。
東側の庭です。
陽も陰ってきました。
ここから下り、出口に向かいます。こちら側の下りは、すべて階段で急。しかし、手すり等最近、あたらしく手入れしたようだ。
新しく手入れした階段。
階段途中西側のもみじ。
廃校になった青年館前の運動場に下りる。
ここから東側を望むともみじ一杯だがもう時期は過ぎたようだ。
家内とレオちゃんはこの運動場で待っていた。
約300mほどかしら? 上下がきつい。足ががくがくする。休むベンチがないので、家までゆっくりゆっくり歩きたどり着いた。