“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

逗子海岸の散歩とベランタの清掃

2024-12-15 17:54:42 | Weblog

 14日の逗子海岸は、穏やかな朝を迎えました。

海岸では、ヨガの練習も始まっています。静かな風景。

 帰り道でなぎさ橋から東側を観ると、川岸の雰囲気がやはり “逗子~葉山の雰囲気だなぁ~” とついシャッターを押してしまっていた。2~3軒先の横長の広告看板のあるところが、コロワイド系の「なぎさ橋珈琲店」。

 今日は、大掃除でベランダを洗うこととなっている。

 朝食後、直ぐに車から高圧洗浄機を下ろして来て、掃除のできる準備をする。

 家内から「寒いから、今日は、お湯を使ったら・・・」の提案。「そうだね。汚れも落ちやすいかも・・・」と応じる。

 何のことはない。ホースをつなぎ、お湯側にコックを廻せばよいこと。設定済みの43℃の熱いお湯が出る。

 まず、お茶碗等を洗う洗剤を水で薄め、高圧洗浄機の上にある小さなタンクに入れる。出口の先を回し、洗剤液が出るようにし、ハンドルを握る。

まず、ガラスから始め、床の順に高圧で洗剤液を流していく。

 そのあと、ホースの先を回してお湯の出るようにしてコックを握る。

空気の混ざった高圧で洗い流していく。

 いやいやお湯を使用しているため、足や手は暖かいし、それ以上に汚れが以前水を使用していた時と比べてとても落ちて、びっくりするほどきれいになっていく。

 ベランダに立ち上がっている場所にシミとなっている雨しずく跡もきれいに落ちる。

西側のベランダ、北側のベランタ―と今までより時間がかかったが、お湯の力は抜群。

 玄関の方は、15日に廻してしまったが、疲れて今日はこれまで、と終えてしまった。

 15日の今日、玄関側の清掃を終え、今回の大掃除はこれまでとした。部屋内は荷物もなく、いつも何とかきれいにしているので、これで終了とした。

 夕方、海岸に犬の散歩に行くと、初冬の富士山らしくきれいな姿を見せていました。

 その姿をカメラに収めようと、カメラの一群は、ご覧の通りでした。

石原裕次郎記念碑のまわりにはご覧のように・・・。

 

15日の落日。

 今日は風が強く、とても寒かった。

 

 

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逗子に来ました。

2024-12-13 22:35:52 | Weblog

 正月前に部屋の大掃除をしなければと思い立ち、午後1時過ぎに新宿・中落合を出発して、逗子に来ました。

 金曜日午後でありながら道路は空いており、混まずに逗子に到着。陽が射している。

「蘆花記念公園・西斜面の紅葉は、今頃の時間が良いから、荷物を車から下ろす前にもみじ山といわれる蘆花記念公園を見にゆって来よう」と。

 蘆花記念公園まで、レオちゃん連れてゆっくり歩いて8分ほど。

 蘆花記念公園の由来は、文豪徳富蘆花が逗子のこの土地近くに数年住んでいて ”不如帰”  などを書き上げたことからとったもののようだ。

 この場所は「桜山」と名前がありますが、この近くは別名「もみじ山」といわれています。

 公園の入口はいくつかありますが、私はその一つ南側から現在閉館になっている逗子市郷土資料館まで上りました。家内とレオちゃんは、向こう側の下る時の階段がきついと申し、むこう側に行って待っているといい、上らなかった。

 それでは、資料館まで登った間の紅葉と向こう側の下りの紅葉をご紹介します。

 まず、蘆花記念公園に入りますと、大きな銀杏の木が、

 

陽にあたって黄色が金色に輝いている。 ここから一人で登り始めました。

 

もみじが陽に当たってきれい。

 

逗子市郷土資料館入口。

郷土資料館は閉館となっています。

資料館の西庭から望む富士山、江の島と逗子湾。

資料館はすべて雨戸が閉まっていましたので、ご紹介は致しません。

 東側の庭です。

陽も陰ってきました。

ここから下り、出口に向かいます。こちら側の下りは、すべて階段で急。しかし、手すり等最近、あたらしく手入れしたようだ。

新しく手入れした階段。

階段途中西側のもみじ。

 

廃校になった青年館前の運動場に下りる。

 ここから東側を望むともみじ一杯だがもう時期は過ぎたようだ。

 家内とレオちゃんはこの運動場で待っていた。

 約300mほどかしら? 上下がきつい。足ががくがくする。休むベンチがないので、家までゆっくりゆっくり歩きたどり着いた。

 

 

 

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六本木・毛利庭園へ

2024-12-07 12:20:03 | Weblog

 昨6日の午前中、家内と「今年は、秋の紅葉を見にどこも行かないね。今日、レオちゃんのトリーミングでお店に預けるとその足で、深大寺の紅葉を見に行ってくるか」、「ちょっと遠すぎるね。明日にしようよ」等々話していた。

 昨夕、NHKテレビを見ていたら、6時30分過ぎに、六本木・毛利庭園からの紅葉中継を2~3分流していた。

 家内が用事から帰って来て、夕食の支度をしようとした。私「今ね、NHKテレビで、六本木の毛利庭園の紅葉を中継していたよ。とてもきれいだった。ここからならば、乗り換えなしで、行けるからこれから行こうか?」と声をかけた。家内「よし、行こう」。

 夕食は外で食べることにして、直ぐに出かける用意をする。午後7時過ぎに家を出発。

 地下鉄大江戸線に乗って六本木駅で下車。予めマップで観てきた出口方面から毛利庭園方向に急ぐ。

この大きな看板あたりからどちらに行ったらよいかわからない。下にくぐってはいけないと思ってまっすぐに進んだのがいけない。 わからなくなって人に聞く。

 親切に教えてくれた人がいて、元に戻り階段を下りて、ビルに入ってやっと1階の毛利庭園に到着した。

 

 毛利庭園に入る前の道路わきのイルミネーション。

 人がいっぱい。「きれい、きれい」。

 

池を回遊となっている。

NHKテレビが放映していた紅葉。

照明を当ててとてもきれい。

 

池を回遊後、左手に進んでみた。ミュージアムコーン。一種のステージです。

まっすぐに進むと、車通りですが、イルミネーションがきれい。

 

東京タワーもイルミネーションの中にきれいに収まっている。

クリスマス前の夜の街に出たのは何年ぶりだろう。久しぶりに見る光景。

 家を出発したのが遅く、ここ毛利庭園に到着したのが午後8時前。お腹も空いてきた。「食事をしよう」。

 先に歩いたビルの中に中華料理店があるか探す。B-1の標識を覗くと1階に「中華料理店 “梅蘭六本木ヒルズ店” が表記されているのを見つける。

 エスカレーターで1階に上がりお店を探し、入る。

 「エビ野菜中華、辛い揚げ物、コーラー」等食べきれないほどの料理を注文。

 食べている途中に「これが最終オーダーの時間ですが、ありませんか」と注文に来る。もうそんな時間か? と時計の見る。午後9時30分。さあ大変、こんなに遅くなってしまった。

 “お汁がとても美味しい” と二人が声をそろえる。

 でも、どんぶりが大きくて食べきれない。

 お店を出たのが午後10時ちょっと前だった。こんなに遅くなったのはここのところない。レオちゃんが首を長くして待っているだろうね と地下鉄大江戸線六本木駅に急ぐ。

 もう、足が進まない。家内に腕を抱えてもらい、ゆっくりと進む。

 何とか大江戸線六本木駅に到着。

 ホームに入っていると、これまた親切な女性(30歳過ぎ)に助けられた。10mほど離れた椅子をわざわざ空けて迎えに来てくれたり、電車に乗ると、自分が座ろうとした席をわざわざ空けて、私を座らせ(隣に家内も座らせる)、自分は都庁前駅まで6駅ほど立ちんぼしていた。そして、都庁前駅を降りるときには、自分から挨拶をしてきたので、私も女性に「ありがとうございました」声を上げて御礼を伝えました。こんなにやさしい人がいるなんて本当にうれしかった。家に帰ってから家内と「本当にやさしい人だったね」と想いだしていました。

 疲れた格好をしていたとはいえ、普通にできることではありません。離れた椅子まで連れて行ってくれるとか・・・。ありがとうございました。

 

 

 

 

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「御金荷の道」(金の道)ウォーク、江戸到着を応援に!!

2024-12-01 14:13:19 | Weblog

 佐渡で産出された金は、佐渡・相川を出発して小木港、出雲崎港、柏崎、高田を通る北國街道を通って江戸まで運ばれた。

 かって佐渡の金や銀が運ばれた街道は「お金荷の道」と呼ばれ、そのなごりを今に伝えます。

 今年は特にこの7月、「佐渡島の金山」が世界遺産に登録」されたことでもあり、佐渡金山を盛り上げようと佐渡市が主体となって、この10月5日に佐渡相川を出発して、上越市、長野県、そして11月30日に最終区間である板橋区役所前ー東京・江戸日本橋までの約11㎞の「金の道ウォーク」を計画実施された。

 参加者数は、募集定員100名を締め切り日前に超え、早々と締め切った状態だったようです。

 主催 佐渡市 協力 佐渡を世界遺産にする会、同新潟の会及び同首都圏の会。

 今回の「御金荷の道」のルートは、概ね下記のようです。

11月30日 10:00 板橋区役所 出立式 ⇒ 国道17号線 ⇒ JR巣鴨駅 ⇒ 森川宿追分 ⇒ 鳳明館森川別館 ⇒ 神田明神 ⇒ 須田町交差点 ⇒ 日本橋三越店(南東角40mほど先にお江戸・日本橋)右折 ⇒GOAL(TOKYO TORCH Park) 到着式

 参加者には、前もって参加証が送られたようだ。

 私は、首都圏の会事務局に、「同首都圏の会が、“この金の道ウォークへの参加で解散決議″ となっているので、会の最後となるのだからGOAL地点には参加するかも・・・」と伝えてある。

 ところが当日の足の具合は芳しくない。お昼になっても決心がつかない。

ウォークのゴール時刻は、午後4時となっている。

 「よし、車で行こう」となって、午後2時30分ごろ、新宿・中落合の自宅を出発。

 須田町交差点でウォークの一行と会う。追い越す。

 最初は、日本橋三越デパートの駐車場に入れようと並んだが、列を作っている。整備員に聞くと、「15~20分ほど掛かる」とのこと。「そりゃ~だめだ」とあきらめ、GOAL近くの道路のパーキングに止め、三越デパート前まで駆け付けた。

 

日本橋三越デパート正面入口。

 

三越デパート南東入口正面。この正面前40~50m先に「日本橋」がある。現在は高速道路の真下になっている。

高速道路の真下に「日本橋」がある。

 新潟日報のカメラマンもいたので一緒にカメラを構えてしばらく待つ。

先頭が来た・・・。左端の方は右折を案内している。

金荷を背負って “江戸″ に到着した。

「長い長い道のりご苦労様でした」

我が「佐渡を世界遺産にする首都圏の会の役員の方」も到着する。

 一団約100名が通り過ぎたので、私もこ一団の後に従って会場まで、歩を進めた。

 約300m歩く間に知り合いの佐渡市職員の方やその他の方々と挨拶を交わした。 その間に私も下記のような貴重な参加証を頂いてしまった。

 表  (95mm✖65mm) GOLDの色が出てなくすみません。

 裏 。

GOAL会場に到着。

 渡辺佐渡市長が一行を待ち構えていた。握手をする。

もう、会場では、太鼓の演技が始まっていた。

 

トッキっキーも来ている。

 しばらくすると、佐渡市名誉市民で前文化庁長官の宮田先生も姿を見せる。

 宮田佐渡市名誉市民と渡辺佐渡市長。

しばらく太鼓の演技が続く。この団体は東京の一団とのこと。

縁台の前には、運ばれてきた金荷が積まれている。演技が終われば、奉行への引き渡し式が行われる予定です。

鬼の舞い。

 友人と話をしている間に引き渡し式は終了してしまったようです。短時間のようでした。

 会場で、首都圏の会役員から、下記のような名刺大の表裏金色の「金の道」を頂きました。記念品として保管したいと思っています。

裏。

 終わりにあたって、宮田佐渡市名誉市民と渡辺佐渡市長のウォーク成功の挨拶が行われ、到着式は無事終了した。

 私は、皆と別れ、車を置いてあるパーキングに急いで戻った。時間超過でしたが、駐車違反の紙は、貼られていなかった。

 

 

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天候がすぐれず、晴れが長続きしない。

2024-11-22 17:57:03 | Weblog

 ここのところ、通常の気温に戻ったようだ。最低気温が一桁となってきた。

20日には、正午ごろ逗子を出発して東京に戻った。

 家内が19日の夕方、「今回は、天候がすぐれず家にごろごろしていたね。私「海岸のいつものところまで行ったのは1回だった。今回は天候がすぐれなかったね」、家内「今晩は、久しぶりに “ステーキ宮 “ に行こうか? 前回、肉の焼き方がうまくいかず失敗したが、頼み方をもうすこしうまく言えば、美味しいんでは・・・」と。「よし、行こう。あんたの誕生日祝いもやっていないから、ちょうどよい」と相成って午後7時前に出発。レオちゃんには、「お留守番」と言えば、もう、理解して玄関に出てこない。

 久しぶりに先日買った杖をもって二人で玄関を。

 杖の効果はテキメン。姿勢も良くスタスタと歩く。家内も「姿勢がいいね」と後ろから褒める。

 10分ほどでステーキ宮に到着。

杖を持っていると写真を撮るのを忘れてしまった。昨年11月8日の写真です。

 そうそう、ステーキ宮の右手側にある同コロワイド系の「カンテーナ」は、この11月から来年の3月いっぱいリニューアルのため休業とのことです。改築オープンは、2025年4月となっていました。

 ステーキ宮は、火曜日のせいか左手側は、ガラガラで電気もつけていない。

 がやがやしている右側の客室に案内しようとされたが、「こちらはダメなの?」と申すと、電気を付けて案内してくれた。

 前回の料理とは別の肉とハンバーグ料理を依頼。歩いてきたので、ワインを二人で一杯。その他、サラダやスープその他を依頼。

 料理の来るのが早い。

 まず、ロボットがサラダを運んできた。家内が引き取る。一人分お願いしたが、量がとても多い。「ひぇ~これが一人分? 二人でも食べきれないほどだね」と。お酒はふたりとも飲めなく直ぐに赤くなってしまうので、何時ものようにワイン一人分を取りコップで分ける。

先ず、ワインで「誕生日おめでとう」と乾杯。

 箸を動かす。

 肉類は、女性が運んできた。ジュウジュウ、音を出している。

 二人が声を合わせて「今日の肉や野菜は味がいいね」と。大満足。

 ここのハンバーグはとても美味しい。

 レオちゃんへのお土産も肉を二人で出し合ってビニール袋に入れる。いつもそうして喜んでもらっている。

 約1時間30分、楽しい時間をステーキ宮で過ごし、午後9時前に帰宅した。

 玄関では、私たちの帰るのを待っていたようにレオちゃんが座って出迎えた。

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久しぶりに鎌倉・長谷寺に。

2024-11-19 11:48:48 | Weblog

 16日(土)午後に逗子マンションの排水設備の清掃を実施する旨の連絡が先日あった。春の排水管設備清掃をキャンセルしていたので、今度はぜひ実施してもらいたい思いから、15日午後、東京を出発。

 土曜日の排水管清掃は、二人で手分けして洗面台排水、洗濯機排水口、風呂排水口及び台所排水口以上4点を高圧洗浄ホースで奥まで突っ込み洗浄。

一か所にかかる時間は2~3分だが、洗面台排水はやや長かったように思った。どうしてだろう。 終わった後、各所をそれぞれ流してみると、洗面台排水は確かに流れが良くなっているような気がする。気のせいか?

 17日(日)、久しぶりに晴れて、富士山が顔を出している。

日曜日のせいで、海上は人が多く賑やか。

海岸は風もなく静か。

 ここの所、家に閉じこもっていたので、久しぶりに鎌倉に遊びに行こうとなって、歩くのが苦手なので車でレオちゃんも一緒に正午ごろ出掛けた。

 海岸通りを進んで、長谷寺前左の長谷寺専用駐車場に入る。正午を過ぎていたせいか運よく3台ほど空いていた。

 犬の入場の可否を確認すると、バックの中に入れれば良となっている。しかし、今日は、バックを忘れてしまった。気温が低いので、4窓全部を5cmほど開けて置けば大丈夫と考え、レオちゃんを車に置き、二人で入場した。

 鎌倉・長谷寺(正式名:長谷大観音)の正面。入口は左手の方。

 観光バスが3台ほど止まっていたので、団体客が多い。

まず下を観てから上がることとした。

放生池。紅葉にはやや早いがとてもきれい。

隣りの池には大きな鯉がいっぱい泳いでいる。

紅葉は一部の所だけでまだ早い。

書院・写経場の庭。空堀の池が手入れされておりきれい。心が落ち着く。しばらく眺める。

左側の庭。きれいとしか言いようがない。落ち着くね。

弁天窟 入口。洞窟に入る。

弁天窟内。カメラの感度を最大(12800)にして、カメラを柱にくっつけてシャッターを押す。なんとか撮れた。ロウソクの明かりがこんなに明るく撮れるとは・・・。

弁財天も・・・。とても薄暗い光だけなのに良く撮れた。

和み地蔵。この地蔵さんを観ると、「あぁ~、思い出したなぁ~。もう、10年ぐらいになるかしら?」と。

 耳を澄ましていると、皆さん立ち止まり、「いい顔しているね」。そんな声が聞こえてきます。

 いよいよ左手の石段から上がる。

途中に地蔵堂がある。その右手には、千体地蔵が・・・。

千体地蔵。皆さん立ち止まって手を合わせている。

手を合わせる。

さらに上がって行くと、「鍾楼」。

 さらに石段を上がり広場へ。阿弥陀堂 長谷観音 観音ミュージアム と進む。

右手側から 阿弥陀堂。

観音堂。観音堂内は撮影禁止となっていたので、本尊は撮ることができない。

 本尊; 十一面観音菩薩 高さ 9.18mを誇る日本最大級の木彫仏とのこと。見上げると素晴らしい。手を合わせる。

 横の観音ミュージアムに進むが入場はしなかった。ミュージアムを出たところに本尊の小型の像が置かれていたので、シャッターを切った。

観音ミュージアム前に置かれている偽大仏。

遠くから撮った観音堂。

 観音ミュージアムを出ると広場右手は見晴らし台、休憩場所となっている。

 見晴台から観る鎌倉の街。海岸に近い方向。鎌倉の街は奥が深い。

 持参した水物を口にいれ、一服する。

 なお山頂があるが、私共は、ここで引き返すこととした。

 来た階段を下りる。

 途中、先ほど見落とした石藏「良縁地蔵」に出くわす。「これは大変」と石地蔵の前に行き、手を合わせた。

 下まで降りて、出口に向かい右手の駐車場に急ぐ。レオちゃんは助手席で眠っていた。音を聞いて窓に飛んできた。ホッとする。午後3時を廻っていた。

 広い駐車場も空いてきていた。

 今度は、来るときに通った海岸通りでなく、国道を通り、逗子に向かう。

 一日、久しぶりに良い天気で楽しい一日だった。

 

 

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竹製 ステッキ を手に入れました。

2024-11-18 12:21:36 | Weblog

 最近、歩くのが難儀になって、へこへことゆっくり歩くようになってしまった。姿勢もやや前こごみとなっているようで、家内に、「もうちょっと威厳のあるように背を伸ばして歩くように!!」と言われてしまう。この歳になってしまえば、だれも似たり寄ったり。

 頭の衰えを防ぐために、週2~3回、会社に足を運んで、2時間ほどPCをたたいてくるが、それもだんだん遠くなっている。

 最近、PCでステッキを探すようになってきた。

 選ぶ条件は、① 手に持つところが尖っていないこと。倒れた時に危ない。② 軽いもの ③ 折り畳みでないこと。など。

 先日、オークションを覗いていると、とても素敵なステッキが新品同様で出品されていた。

 竹製で軽そう。上品。

 締切り数時間前に入札する。デパートで買うよりうんと安い。

 締め切り時間を待っていると、「おめでとうございます。あなたが落札しました」との表示。入札者は一人しかいなかった。最低価格での入札だった。早速、カードで送金の手続きをする。

 翌日、出品者から「送金、ありがとうございます」との連絡が入る。

 そして、その翌々日、「発送しました」との連絡。15日午前10時前に物品がゆうパックで送られてきた。

 早速、パックを開いて確認する。

  商品:竹製 杖 ステッキ 竹根 手杖 長さ約88cm 古美術 古道具 中古

 

早速、出品者に「物品が無地到着した」と知らせるとともに、「とても上品で末永く使用してゆきたい」旨のメールを入れた。

  竹の根っこ(手に持つところ)に制作者の刻印らしいものが見られる。

 中古品となっていたが、竹全体は、専門家が全般に無色のニスをきれいに塗っているようだ。そして、竹先のゴムは新品に取り替えられている。すべてがきれい。

 とても軽い、使ってみて、とても気に入っている。

 手に繋ぐ紐をつけて、使い方に慣れよう!!

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第11回 日本美術展覧会(日展)を観てきました。その2

2024-11-10 15:01:00 | Weblog

 その1では、日展会員 篆刻家 柳 濤雪先生(佐渡出身、同級生)の作品について紹介させていただきましたが、その2では、今回の日展に会員として展示されている佐渡出身の先生方の作品や、私が目に留まった入選作品等を3階の「書」の展示室から順にご紹介します。

 各展示室の入口には、下記のようにその部屋に展示している作品の種別を表示してありますので、大変多い作品を全部見ようとすると大変な時間と動力を必要とします。したがって、自分の興味のあるもの又はお知り合いの先生の作品を目的にして、探すことが必要かと思います。

 2階の入口の表示です。

 まず、3階の篆刻と同じ展示階「書」の部屋には、家内の書道の先生の作品が出品されているとのことで、案内図と名簿で探し出す。

下段の横長の書。先生は「日展会友」となっている。

記念に家内を入れ、写真に収める。 作品の評価は、私にはわからない」。

「書」の展示会場だけで3階の半分を超える面積を占めている。作品も多い。

 廊下に出て一服する。

3階ロビーから1階ロビー方面を見下ろす。内側から観るガラスの外観が素晴らしい。

 次いで、2階の「彫刻」の展示会場へ。皆さんと反対まわりで奥から入る。

たくさんの作品が並んでいる。

 案内人に、「案内表示されている<2>とは、どのあたりでしょう? 会員の 親松英治先生の作品を見たいんですが・・。同郷のものです」とお聞きしたら、その作品展示場所まで案内してくださった。案内人「親松先生は、初日にいらしてくださいました」と教えてくださった。

 案内人にお礼を言って別れた。

 作品材料は、石膏。 均整の取れた美少女。「勝利」と表示されている。

 親松先生は、佐渡市両津出身。

 昨年の日展では、本人に展示現場からお電話したら、本人も当日日展にいらしていて、作品の前で記念写真を撮らせてもらった記憶があります。

(2023.11.09のブログ参照) 久しぶりの石膏作りです。

 親松先生の作品は、佐渡市真野地区新町の森元医院のロビーにたくさん展示されてあり、帰郷するごとに見学させてもらっていました。

 その他の作品で家内が、「自然にあふれていていい作品だね」と申したものの一つがこれ。

 手前の作品。

 続いて「洋画」に廻る。

洋画は好きなんですが、一つ一つ見ていると大変疲れる。

 私が目に留まった作品を2点ほど。

題目「祈る」 沖津 信也 (山形県 入選)

題目「優しい時」 前川 ひろこ 神奈川県 入選)

今回は、人物画が多いように思いました。

 洋画では、佐渡出身の方は存じあげませんので、1階の「工芸美術」に下りる。

2階から1階に下りるときのエスカレータからパチリ。1階奥は、喫茶店となっている。

 工芸では、日展理事長で佐渡出身の宮田亮平先生がまず浮かぶ。

 毎年同じ場所辺りにあるので、すぐにわかる。

 

今回の作品は、珍しい。イルカが四方八方を向いている。周りのわっかが何か池須を表わしているのだろうか? 理解が難しい。

 入口の方に 佐渡市畑野出身(在住?)の竹細工 会員 本間秀昭先生の作品が見える。

 正面から写真を撮ろうとしたが、光線の関係で竹細工とはわからないほど黒くなってしまうので、後ろ側から撮ってみた。

 2~3年前に、本間先生の作品が「特選」に選ばれたことがある。毎年、見ごたえのある竹製品で、いつも心を引かれる。

 壁側には、立派な作品が掲げられているのでパチリ。

題目 「円舞'24」 漆。 岩瀬 浩之 (福島 無鑑査)

 とてもきれいなものとして仕上がっていた。

 展示室から出て一服する。持参のOS-1飲料水や菓子等を貪り、少し休む。もう、5000歩を超えている。

 毎年のように「日本画」は素通りすることにしようと意見が一致。

遠くから日本画の展示室をパチリ。素通りとなった。

玄関を出ると、もう夕日が木々を照らしてきれい。

欅だった。紅葉が始まっている。

 六本木駅に急ぐ。無事、自宅に帰りついた。 

 

 

 

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第11回 日本美術展覧会(日展)を観てきました。その1

2024-11-09 18:17:34 | Weblog

 11月8日(金曜日)、快晴。佐渡高校同級生で日展会員の篆刻家 柳 濤雪先生の招待状により、家内と大江戸線六本木駅まで乗り換えなしの一本故、正午過ぎ、大江戸線中井駅を出発した。

 

 

 本年の日展案内パンフレット。

 毎年柳先生から案内状を頂き、見学に伺うが、本年は特に柳先生から「本年、展示場に展示している作品(篆刻の印を押した作品)と同じものを良かったらHさんにあげるからよく見て置いてください。額が手に入ったらお送りします」と先日お電話を頂いた。「いゃ~,ありがとうございます。よく見ておきます」とお礼を述べてある。銀座・鳩居堂でグループの個展を開催するときにお祝いを持参していくお礼だそうです。本当にありがたいことです。

 その理由で、特に本年の案内状は、柳先生の達筆な筆さばきのハガキなので、先日、日展に電話して、記念に返してもらえるか問い合わせたところ、「受付でその旨を申していただければ、印を押して、お返しします」とのことでしたので、本年は、ハガキが記念に残りました。

表は勘弁ください。

 地下鉄大江戸線六本木駅ホームから40mほどエスカレータを上がってやっと表に出る。久しぶりの六本木。

地下鉄大江戸線六本木駅8番出口。

長いエスカレータでやっと地上へ。久しぶりの六本木。

 直ぐに交差点を渡って、細い路地に入って歩くこと約8分、会場の国立新美術館へ。

 国立新美術館入口前から会場全景。

  余談だが、入口門を入って5~6mの広場で、公明党山口前代表が4~5人のSPを従えて、会場出口方面に歩いてきた。頭を下げると山口さんも丁寧な挨拶をしてくれました。ご立派な方ですね。

 ビル入口正面の真ん前には、田名網敬一作「金魚の大冒険」の説明立札が。

 1階の入口で柳さんからもらったハガキを受付にお見せして、電話でお聞きした旨を伝えると、直ぐに対応して、2枚の入場券をもらった。

 私共は、まず、書の部門内に展示してある篆刻の展示室を見学することとし、3階に上がった。

 篆刻の作品も3室に分かれていて会員の方の作品は、いつも奥の部屋となっている。柳先生の作品を探す。

 あった、あった。

ガラスの反射できれいに撮れないので、脇側から撮る。

 

 

柳先生の作品に見入る自分。

 今日9日、柳先生に早速見学に行った旨を報告しました。

 柳先生は、中国の「居今稽古」の由来を私によく説明くださり、文字の容取りの難しさや外枠の品質表現などを説明してくださった。

 そして「額が見つかり次第お送りします」とおっしゃってくださいました。 

 ありがとうございます。心待ちにしています。

 

 続く。

 他部門の作品や佐渡出身の方の作品等をご紹介したいと思います。

 

 

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第41回国分寺まつりに参加 その3。

2024-11-05 00:43:20 | Weblog

 正午から始まったまつりの開会式は、約15分ほどですべて終了、お開きとなった。

 渡辺佐渡市長が開会式前に私共に申したように、井澤国分寺市長を同行して、ステージ下の首都圏真野人会の有志一同がいる前に来てくれた。国分寺市長に皆でおめでとうのお祝いを述べる。とともに、お忙しい中をわざわざステージ下まで来てくれたので、早速一同集合して記念写真を。

中心の国分寺まつりの半纏を着ている方が井澤国分寺市長、その右が、渡辺佐渡市長、そしてその右が金子佐渡市議会議長。

シャッターは、佐渡市総務課長にお願いしました。総務課長も一緒に集合写真に入ってもらえばよかったのに、と終わった後、課長に失礼なことをした旨わびた。

 両市長らは、写真撮影後直ちに市庁舎の方に向かうこととなったので、その場で御礼の挨拶をして別れた。

 谷川佐渡市総務課長は、その場に残っていたので、挨拶をすると同時に、佐渡からいらした市長はじめ皆さんが佐渡島の金山世界遺産道遊の割戸の写真の入った立派な半纏を身に着けているので、「経費を払うから首都圏の方に分けてもらえないか」とお願いした。谷川課長「後で連絡します」との返事をもらった。

  私共は、ステージに於いて午後2時30分から行われる佐渡の芸能「鬼太鼓」と佐渡おけさなど佐渡民謡の披露を応援するため残ることとし、約2時間、公園内で開催の農業展や佐渡物産展示センターを個々に観ることとした。

 まず、公園の南側に位置する佐渡物産展に向かった。

佐渡の名物品がたくさん並んでいる。笹だんごが入り口にあったのでまず10個確保。そして、いくつか並べたテントをぐるりと一周する。

貝もたくさん持ち込まれている。

 反対側に行って、干し柿を注文して、どうも佐渡弁でないようなので、(国分寺市の国分寺市の職員の遠泳部の方が例年手伝っている)「佐渡の人はいる?」と声を掛けたら、奥から一人の女性が「私は佐渡から来ています」と。

 外に出て来て話をすると、なんと、同郷の方。お父さんは、いつも国分寺まつりで、日本酒の販売をしている知り合いのSさん、その娘さんとのこと。やぁ~やぁ~ となってしまい、「父に早速電話します」と。真野人会会長も隣の集落故、話が進み盛り上がる。

 一巡していると、佐渡物産展の広場で鬼太鼓の舞いが始まるようだ。

 青空の元、気持ちよく鬼が舞う。

佐渡市では、集落ごとに鬼太鼓の集団があり、全部で120集団もあるそうだ。

 今回上京して披露している集団は、その中でも動きの激しい新穂大野とのこと。

 

 

  約20分の披露でしたが、ステージよりいつもの感じが出ている。素晴らしい。

終了して、公園内の農業祭会場を観て廻った。

  

 

 

 

 

天候に恵まれ、皆さんピクニック気分で会場いっぱい。

 2日間で例年約7万人が集まるそうです。

公園はとても広い。憩いの場所です。

 間もなく、2時。ステージでは、若者の歌が続いている。

30分間の休憩。

 私が真野人会の皆さんより一足早かったので、前の席2席と、その後の席2席を確保した。

 前の席に会長と役員の一人が座った。私は後ろの席に座った。

 私が会長と話をしていると、私の席の一つ隣りのご夫婦で来ていた50歳前後の女性が、「佐渡の方ですか。なまりがありますので・・・。私、両津の出身です」と声をかけてきた。「あぁ~そうですか」と返事。こんなところで偶然佐渡出身の方に会うなんて!!

佐渡文芸の時間が始まった。

まず鬼太鼓。

 先ほどの青空下の方がよっぽど雰囲気が良い。

 佐渡民謡が始まった。関東在住の佐渡出身者たちで組織化している民謡組織「若波会」の出演だ。

 初めに両津甚句から始まり、相川音頭、佐渡おけさと披露された。

 

佐渡の郷土民謡はやはり観ていて落ち着きますね。

 先ほど話しかけてきた方に、「歌っている若波会リーダーのS氏は両津の方ですよ」、女性「母に知らせなくては・・」 と会話が進む。

 終了時には、ご夫婦で挨拶して帰られた。とても気持ち良い方でした。

 毎年、首都圏真野人会の有志は、この国分寺祭りに参加し、応援。

 以前、開会式典で、国分寺市長の挨拶の中で、聴衆の皆さんに「今日は、姉妹都市である佐渡市の国分寺史跡のある真野地区の首都圏に在住の真野人会の方々がこの席に応援に駆けつけてくださっています」と紹介されたことがあります。私共は、当時の真野町と姉妹都市提携が結ばれた時から、この祭りに応援に駆けつけています。

 末長く続いてほしいものです。

 

 

 

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第41回国分寺まつりに参加 その2。

2024-11-04 11:36:02 | Weblog

 正午前、ステージ上には、まつり実行委員長初め関係者二十数名が着席。

 司会者から国分寺まつり実行委員長が紹介され、開会を宣言された。

 国分寺まつり実行委員長のあいさつ。「ひろげよう市民の輪」をテーマとして始めた祭りが、もう第41回目を迎えたことの喜びを述べ、2日間の成功を祈った。

 続いて、井澤国分寺市長、渡辺佐渡市長並びに国分寺市の友好都市の長野県飯山市江沢市長が紹介され、それぞれ挨拶された。(内容は省略)

井澤国分寺市長のあいさつ。

渡辺佐渡市長のあいさつ。 市長は、今年佐渡金山が世界遺産登録の運動を始めてから22年ぶりに世界遺産登録されたことを報告し、新らたに作られた法被に描かれた金山の道遊の割戸を紹介して拍手をもらっていた。

 江沢飯山市長のあいさつ。

 続いて、各市議会議長ら関係者による鏡開きが行われた。

調子に合わせてアルコール共和国(佐渡市)の大樽を打つ皆さん。

 以上をもって、開会式は無事終了した。

  井澤国分寺市市長と渡辺佐渡市市長は、ステージの前に駆けつけてくれ、応援に駆けつけた首都圏真野人会の有志他と記念写真に納まった。

左から、井澤国分寺市市長、渡辺佐渡市市長、金子佐渡市議会議長。

シャッターを切ってくれたのは、佐渡市総務課長。

 佐渡市の市長はじめ職員の皆さん、ありがとうございました。また、首都圏真野人会の有志の方他応援くださった皆さんありがとうございました。

 渡辺佐渡市市長は、直ぐに国分寺市長に挨拶ののち、用事があり佐渡に帰られるとのことでした。ご苦労様です。

 

 祭りの状況、佐渡市物産展の状況は、その3へ。

 

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第41回国分寺祭りに参加 その1。

2024-11-03 21:30:42 | Weblog

 令和6年11月3日、4日の2日間、都立武蔵国分寺公園において、第41回国分寺まつりが開されるとのことですので、今日3日開会式に合わせて、首都圏真野人会の有志の一員として参加しました。

 国分寺市と佐渡市とは、佐渡市真野地区に国分寺史跡があることから旧真野町の時から姉妹都市として提携、今年で37年となるとのことです。

 国分寺まつりが開催される際は、佐渡市から市長や市議会議長、総務課長その他職員たちが祭りに参加するとともに佐渡の海産物や農産物をトラックで運び、国分寺公園の一角にテント張って佐渡物産展を開きます。

 また、姉妹都市の関係から、3日の開会式後、午後2時30分からステージ上で、佐渡各地区の祭りで現在でも一軒一軒廻り、厄払いが行われる鬼太鼓の舞いや郷土芸能の両津甚句、相川音頭並びに佐渡おけさの民謡が紹介されるとのこと。

 私共首都圏真野人会の有志は、開会式が正午12時からとなっているので、11時30分にステージ前に集合となっていた。

 定刻には、出席予定の10名ほどが集合。ステージの傍らに佐渡市長の姿が見えたので、真野人会会長と私が、挨拶に向かった。

 市長「やぁ、やぁ~、ご苦労さんです」。小生「真野人会の連中が応援に駆けつけました」と。市長「どこにいるの? みんなに挨拶しよう」とみんなが座っている席まで足を運び、挨拶する。

 私から「挨拶が終わった後、国分寺市長が入って皆で写真を撮っているので、お願いします」と申したら、「OK、私から国分寺市長にお願いしておく」と言ってくれた。

 市長「まあ、今の写真を撮っておきましょう」と言うので、直ぐに市長の周りに集まった。

佐渡市長と首都圏真野人会他の有志。

 

 疲れたので休みます。

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人間国宝「故佐々木象堂」の作品をオークションで!!

2024-10-30 13:10:27 | Weblog

 いやいやびっくり。最近オークションをあまり見ていないのにどうしたことでしょう。

 この26日夜10時ごろ、以前に落札したことのあるYAHOOのオークション古物欄を覗いていると、ふるさとの人間国宝故佐々木象堂翁の作品が10点ほどオークションにかけられているではないか。えっえっ・・・。ふるさと真野新町の旧家の床の間に飾られていたものも載っている。その旧家は、昨年、おばあちゃんがなくなっているからもしかしたら・・・。

 気になって翌日朝、私の実家に電話して事情を話すと同時に、その旧家に電話するが留守。

 意を決して27日、オークション出品者に問い合わせ。出されている作品には、消費税が別にかかるのかとか、飾り台は付属として付けてもらえないか等。

 納得の上、締切り28日当日午前に入札。と同時に出品者が「新潟」となっていたので、もしやふるさと真野の人ではないか?と出品者に問い合わせをした。

 出品者は、最初から気の良さそうな人。メールで問い合わせしていてもそれが伝わってくる。サービスもしてくれていたので、問い合わせの時、私が佐渡出身者である旨を伝えていた。

 入札者は私一人。発表は午後8時43分。締め切り時間まで落ち着かない。

  その間、出品者から「佐渡の関係者ではございません。ご実家の父が佐々木象堂の作品収集家でして・・・」との返事が届く。と同時にふるさと真野の旧家の人から折り返しの電話が入る。「相続で古物品を処分したという話はしていません。先代も作品がバラバラにならないように博物館などしっかりしたところにまとめておくように・・・」と。私から「今メールが届いています。佐渡の人ではないそうです。お父さんが、佐々木象堂の作品収集家だったとのことです」と伝えておきました。真野新町の人も一安心の様子でした。

 午後8時43分、締切りと同時に「あなたが落札者です」とのメールが表示された。

 29日午前10時過ぎ、カードでは金額が大きすぎて払えず、銀行へ直接行き、指定された口座に振り込む。

 PCでは、受領済みの連絡とともに、出品者が発送の手続きに入っている旨の知らせが入った。しばらくすると「発送」との知らせ。なんと手際よいのでしょう。28日午前10時過ぎに入札して夜8時40分に落札。29日午前に新潟・見附市から発送、30日午前10時過ぎに東京・新宿に品物が到着とは、時代が変わったものですね。

 到着と同時に荷物を開いてみました。以下写真の通りです。

30日午前10時過ぎ、玄関前に到着。しっかりと梱包されている。

 

居間で開封する。

飾り台も同梱されている。

早速、和室の床の間に飾ってみる。素晴らしい威圧感。(フラッシュあり)

フラッシュなし。

箱全景。

蓋の裏側。

文字を拡大。

 威圧感が素晴らしい。今までいろんな作品を飾っているが、こんなに威圧感がない。

 末永く保存してゆきたいものです。

 新潟の出品者〇〇〇さん、いろいろとありがとうございました。

 

  <補足>

◎ 佐々木象堂の紹介

 1882~1962

  昭和2年  帝展工芸部出品 特選

  昭和33年、34年 日本伝統工芸展 最高賞

  昭和35年 人間国宝(蝋型鋳造)に認定

 

◎ 作品の紹介

  〇 鋳銅獅子

  〇 大正末期作

  〇 高さ 20.6cm、幅 26.4cm

 

★ 昨日まで床の間に飾っていたものは下記のものです。

40歳前後に都内の古物店で買ったものです。  

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14日も午前中は良い天気とのこと。

2024-10-15 21:13:59 | Weblog

 14日午前4時過ぎにトイレに起きて、リビングから覗くと、逗子湾の対岸の明かりがとてもきれい。寝ぼけながらシャッタースピードを1/2にしてシャッターを押す。

ボケるが何とか映る。空には雲一つない。

 朝9時頃に家族で海岸を散歩する。

 伊豆の山々や富士山がかすんで見える。

 海岸は水が引いてとても広い。気持ちよい。

レオちゃんと家内はいつものところまで行って来るとのこと。私は砂浜に腰を下ろして、沖のSUP等をぼんやり眺める。

何とも言えない時間です。

 予報では午後から曇ってくるようだ。

 連休中どこにも出かけなかったので、遅い朝食をとり、正午前に車で鎌倉駅近くの妙本寺に伺おうとなった。この妙本寺は、車で長い境内の奥まで入ることができ、歩きが少ないからとの理由だった。紅葉にはまだ早いことは承知済みだった。

日蓮宗本山 妙本寺 総門。

 二天門の右手側の「現在位置」の右手にある駐車場まで車で上がることができる。総門から200メートルはあるかしら?

二天門。

 両サイドには、仁王像が寺院を守っているのだそうです。

左が多聞天(毘沙門天)

右が 持国天 と記されています。

 暗い中ですので、カメラの感度を2400ぐらいにあげてシャッターを切っています。

 二天門から祖師堂を望む。

水屋。

 祖師堂に上がって手を合わせ、左手側に廻ってみる。

境内は広い。

 レオちゃんたちが左のもみじの木の下の方から現れた。もみじはまだまだ。

 階段を下りてレオちゃんを引き取り、家内が祖師堂に上がり、参拝。

二天門を出て、右手の鐘撞堂に向かう。

 小山の中腹にある鐘撞堂。

階段の下の方で上がれないようになっている。鐘の大きさは大きい。建長寺にあるものと大きさは変わらないようだ。

 これで日蓮宗 本山 妙本寺は一応廻った。 車に帰って一服する。

 車で来ているので、鎌倉の街並みを見ていこうとわざわざ八幡宮前に廻る。もちろん車の止めるとこなんかない。

 「今日はスポーツの日の休日だから、うるさくないでしょう。路肩にちょっと止めるね」と止め、大路の中央歩道に上がって1枚パチリ。

 歩いている人も少ない・・・。

 車の止めたところでもう一枚パチリ。 ごめんなさい。

 すぐに走り出し、逗子に帰った。

 家に帰ってスマートフォンを覗いたら、歩いた歩数は、1270歩ほどだった。

 15日は、東京に帰ります。

 

  

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昨日、今日の逗子海岸は、やや靄がかかっています。

2024-10-13 12:56:44 | Weblog

 気温が上がっているのでしょうか、やや靄がかかっており、富士山は顔を出していません。

 

 昨日の午前は、味の素(株)の毎日を好きなスポーツに取り組み、楽しくするための会員サービス「アミノバイタル パートナーズ」による競泳大会でした。

 レオちゃんの散歩に出かけると、もう競技が始まっており、男女共通の往復3000mが行われていた。

ゴール寸前の姿。

海岸に上がって約50m先にあるゴール地点。

 水泳競技に興味のある会員も多いですね。

 

 今日13日(日)、団体の貸し切りはないようで、海岸には海の家もなくなり、広々としています。

 

6人乗りのボートを組み立て、出かけるようです。

 いつもとは反対の川の堤防方に来て,石に座ってレオちゃんを膝に座らせ、しばらく瞑想にふけりました。何とも言えない時間。

 

 

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