“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

第11回 日本美術展覧会(日展)を観てきました。その2

2024-11-10 15:01:00 | Weblog

 その1では、日展会員 篆刻家 柳 濤雪先生(佐渡出身、同級生)の作品について紹介させていただきましたが、その2では、今回の日展に会員として展示されている佐渡出身の先生方の作品や、私が目に留まった入選作品等を3階の「書」の展示室から順にご紹介します。

 各展示室の入口には、下記のようにその部屋に展示している作品の種別を表示してありますので、大変多い作品を全部見ようとすると大変な時間と動力を必要とします。したがって、自分の興味のあるもの又はお知り合いの先生の作品を目的にして、探すことが必要かと思います。

 2階の入口の表示です。

 まず、3階の篆刻と同じ展示階「書」の部屋には、家内の書道の先生の作品が出品されているとのことで、案内図と名簿で探し出す。

下段の横長の書。先生は「日展会友」となっている。

記念に家内を入れ、写真に収める。 作品の評価は、私にはわからない」。

「書」の展示会場だけで3階の半分を超える面積を占めている。作品も多い。

 廊下に出て一服する。

3階ロビーから1階ロビー方面を見下ろす。内側から観るガラスの外観が素晴らしい。

 次いで、2階の「彫刻」の展示会場へ。皆さんと反対まわりで奥から入る。

たくさんの作品が並んでいる。

 案内人に、「案内表示されている<2>とは、どのあたりでしょう? 会員の 親松英治先生の作品を見たいんですが・・。同郷のものです」とお聞きしたら、その作品展示場所まで案内してくださった。案内人「親松先生は、初日にいらしてくださいました」と教えてくださった。

 案内人にお礼を言って別れた。

 作品材料は、石膏。 均整の取れた美少女。「勝利」と表示されている。

 親松先生は、佐渡市両津出身。

 昨年の日展では、本人に展示現場からお電話したら、本人も当日日展にいらしていて、作品の前で記念写真を撮らせてもらった記憶があります。

(2023.11.09のブログ参照) 久しぶりの石膏作りです。

 親松先生の作品は、佐渡市真野地区新町の森元医院のロビーにたくさん展示されてあり、帰郷するごとに見学させてもらっていました。

 その他の作品で家内が、「自然にあふれていていい作品だね」と申したものの一つがこれ。

 手前の作品。

 続いて「洋画」に廻る。

洋画は好きなんですが、一つ一つ見ていると大変疲れる。

 私が目に留まった作品を2点ほど。

題目「祈る」 沖津 信也 (山形県 入選)

題目「優しい時」 前川 ひろこ 神奈川県 入選)

今回は、人物画が多いように思いました。

 洋画では、佐渡出身の方は存じあげませんので、1階の「工芸美術」に下りる。

2階から1階に下りるときのエスカレータからパチリ。1階奥は、喫茶店となっている。

 工芸では、日展理事長で佐渡出身の宮田亮平先生がまず浮かぶ。

 毎年同じ場所辺りにあるので、すぐにわかる。

 

今回の作品は、珍しい。イルカが四方八方を向いている。周りのわっかが何か池須を表わしているのだろうか? 理解が難しい。

 入口の方に 佐渡市畑野出身(在住?)の竹細工 会員 本間秀昭先生の作品が見える。

 正面から写真を撮ろうとしたが、光線の関係で竹細工とはわからないほど黒くなってしまうので、後ろ側から撮ってみた。

 2~3年前に、本間先生の作品が「特選」に選ばれたことがある。毎年、見ごたえのある竹製品で、いつも心を引かれる。

 壁側には、立派な作品が掲げられているのでパチリ。

題目 「円舞'24」 漆。 岩瀬 浩之 (福島 無鑑査)

 とてもきれいなものとして仕上がっていた。

 展示室から出て一服する。持参のOS-1飲料水や菓子等を貪り、少し休む。もう、5000歩を超えている。

 毎年のように「日本画」は素通りすることにしようと意見が一致。

遠くから日本画の展示室をパチリ。素通りとなった。

玄関を出ると、もう夕日が木々を照らしてきれい。

欅だった。紅葉が始まっている。

 六本木駅に急ぐ。無事、自宅に帰りついた。 

 

 

 

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第11回 日本美術展覧会(日展)を観てきました。その1

2024-11-09 18:17:34 | Weblog

 11月8日(金曜日)、快晴。佐渡高校同級生で日展会員の篆刻家 柳 濤雪先生の招待状により、家内と大江戸線六本木駅まで乗り換えなしの一本故、正午過ぎ、大江戸線中井駅を出発した。

 

 

 本年の日展案内パンフレット。

 毎年柳先生から案内状を頂き、見学に伺うが、本年は特に柳先生から「本年、展示場に展示している作品(篆刻の印を押した作品)と同じものを良かったらHさんにあげるからよく見て置いてください。額が手に入ったらお送りします」と先日お電話を頂いた。「いゃ~,ありがとうございます。よく見ておきます」とお礼を述べてある。銀座・鳩居堂でグループの個展を開催するときにお祝いを持参していくお礼だそうです。本当にありがたいことです。

 その理由で、特に本年の案内状は、柳先生の達筆な筆さばきのハガキなので、先日、日展に電話して、記念に返してもらえるか問い合わせたところ、「受付でその旨を申していただければ、印を押して、お返しします」とのことでしたので、本年は、ハガキが記念に残りました。

表は勘弁ください。

 地下鉄大江戸線六本木駅ホームから40mほどエスカレータを上がってやっと表に出る。久しぶりの六本木。

地下鉄大江戸線六本木駅8番出口。

長いエスカレータでやっと地上へ。久しぶりの六本木。

 直ぐに交差点を渡って、細い路地に入って歩くこと約8分、会場の国立新美術館へ。

 国立新美術館入口前から会場全景。

  余談だが、入口門を入って5~6mの広場で、公明党山口前代表が4~5人のSPを従えて、会場出口方面に歩いてきた。頭を下げると山口さんも丁寧な挨拶をしてくれました。ご立派な方ですね。

 ビル入口正面の真ん前には、田名網敬一作「金魚の大冒険」の説明立札が。

 1階の入口で柳さんからもらったハガキを受付にお見せして、電話でお聞きした旨を伝えると、直ぐに対応して、2枚の入場券をもらった。

 私共は、まず、書の部門内に展示してある篆刻の展示室を見学することとし、3階に上がった。

 篆刻の作品も3室に分かれていて会員の方の作品は、いつも奥の部屋となっている。柳先生の作品を探す。

 あった、あった。

ガラスの反射できれいに撮れないので、脇側から撮る。

 

 

柳先生の作品に見入る自分。

 今日9日、柳先生に早速見学に行った旨を報告しました。

 柳先生は、中国の「居今稽古」の由来を私によく説明くださり、文字の容取りの難しさや外枠の品質表現などを説明してくださった。

 そして「額が見つかり次第お送りします」とおっしゃってくださいました。 

 ありがとうございます。心待ちにしています。

 

 続く。

 他部門の作品や佐渡出身の方の作品等をご紹介したいと思います。

 

 

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第41回国分寺まつりに参加 その3。

2024-11-05 00:43:20 | Weblog

 正午から始まったまつりの開会式は、約15分ほどですべて終了、お開きとなった。

 渡辺佐渡市長が開会式前に私共に申したように、井澤国分寺市長を同行して、ステージ下の首都圏真野人会の有志一同がいる前に来てくれた。国分寺市長に皆でおめでとうのお祝いを述べる。とともに、お忙しい中をわざわざステージ下まで来てくれたので、早速一同集合して記念写真を。

中心の国分寺まつりの半纏を着ている方が井澤国分寺市長、その右が、渡辺佐渡市長、そしてその右が金子佐渡市議会議長。

シャッターは、佐渡市総務課長にお願いしました。総務課長も一緒に集合写真に入ってもらえばよかったのに、と終わった後、課長に失礼なことをした旨わびた。

 両市長らは、写真撮影後直ちに市庁舎の方に向かうこととなったので、その場で御礼の挨拶をして別れた。

 谷川佐渡市総務課長は、その場に残っていたので、挨拶をすると同時に、佐渡からいらした市長はじめ皆さんが佐渡島の金山世界遺産道遊の割戸の写真の入った立派な半纏を身に着けているので、「経費を払うから首都圏の方に分けてもらえないか」とお願いした。谷川課長「後で連絡します」との返事をもらった。

  私共は、ステージに於いて午後2時30分から行われる佐渡の芸能「鬼太鼓」と佐渡おけさなど佐渡民謡の披露を応援するため残ることとし、約2時間、公園内で開催の農業展や佐渡物産展示センターを個々に観ることとした。

 まず、公園の南側に位置する佐渡物産展に向かった。

佐渡の名物品がたくさん並んでいる。笹だんごが入り口にあったのでまず10個確保。そして、いくつか並べたテントをぐるりと一周する。

貝もたくさん持ち込まれている。

 反対側に行って、干し柿を注文して、どうも佐渡弁でないようなので、(国分寺市の国分寺市の職員の遠泳部の方が例年手伝っている)「佐渡の人はいる?」と声を掛けたら、奥から一人の女性が「私は佐渡から来ています」と。

 外に出て来て話をすると、なんと、同郷の方。お父さんは、いつも国分寺まつりで、日本酒の販売をしている知り合いのSさん、その娘さんとのこと。やぁ~やぁ~ となってしまい、「父に早速電話します」と。真野人会会長も隣の集落故、話が進み盛り上がる。

 一巡していると、佐渡物産展の広場で鬼太鼓の舞いが始まるようだ。

 青空の元、気持ちよく鬼が舞う。

佐渡市では、集落ごとに鬼太鼓の集団があり、全部で120集団もあるそうだ。

 今回上京して披露している集団は、その中でも動きの激しい新穂大野とのこと。

 

 

  約20分の披露でしたが、ステージよりいつもの感じが出ている。素晴らしい。

終了して、公園内の農業祭会場を観て廻った。

  

 

 

 

 

天候に恵まれ、皆さんピクニック気分で会場いっぱい。

 2日間で例年約7万人が集まるそうです。

公園はとても広い。憩いの場所です。

 間もなく、2時。ステージでは、若者の歌が続いている。

30分間の休憩。

 私が真野人会の皆さんより一足早かったので、前の席2席と、その後の席2席を確保した。

 前の席に会長と役員の一人が座った。私は後ろの席に座った。

 私が会長と話をしていると、私の席の一つ隣りのご夫婦で来ていた50歳前後の女性が、「佐渡の方ですか。なまりがありますので・・・。私、両津の出身です」と声をかけてきた。「あぁ~そうですか」と返事。こんなところで偶然佐渡出身の方に会うなんて!!

佐渡文芸の時間が始まった。

まず鬼太鼓。

 先ほどの青空下の方がよっぽど雰囲気が良い。

 佐渡民謡が始まった。関東在住の佐渡出身者たちで組織化している民謡組織「若波会」の出演だ。

 初めに両津甚句から始まり、相川音頭、佐渡おけさと披露された。

 

佐渡の郷土民謡はやはり観ていて落ち着きますね。

 先ほど話しかけてきた方に、「歌っている若波会リーダーのS氏は両津の方ですよ」、女性「母に知らせなくては・・」 と会話が進む。

 終了時には、ご夫婦で挨拶して帰られた。とても気持ち良い方でした。

 毎年、首都圏真野人会の有志は、この国分寺祭りに参加し、応援。

 以前、開会式典で、国分寺市長の挨拶の中で、聴衆の皆さんに「今日は、姉妹都市である佐渡市の国分寺史跡のある真野地区の首都圏に在住の真野人会の方々がこの席に応援に駆けつけてくださっています」と紹介されたことがあります。私共は、当時の真野町と姉妹都市提携が結ばれた時から、この祭りに応援に駆けつけています。

 末長く続いてほしいものです。

 

 

 

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第41回国分寺まつりに参加 その2。

2024-11-04 11:36:02 | Weblog

 正午前、ステージ上には、まつり実行委員長初め関係者二十数名が着席。

 司会者から国分寺まつり実行委員長が紹介され、開会を宣言された。

 国分寺まつり実行委員長のあいさつ。「ひろげよう市民の輪」をテーマとして始めた祭りが、もう第41回目を迎えたことの喜びを述べ、2日間の成功を祈った。

 続いて、井澤国分寺市長、渡辺佐渡市長並びに国分寺市の友好都市の長野県飯山市江沢市長が紹介され、それぞれ挨拶された。(内容は省略)

井澤国分寺市長のあいさつ。

渡辺佐渡市長のあいさつ。 市長は、今年佐渡金山が世界遺産登録の運動を始めてから22年ぶりに世界遺産登録されたことを報告し、新らたに作られた法被に描かれた金山の道遊の割戸を紹介して拍手をもらっていた。

 江沢飯山市長のあいさつ。

 続いて、各市議会議長ら関係者による鏡開きが行われた。

調子に合わせてアルコール共和国(佐渡市)の大樽を打つ皆さん。

 以上をもって、開会式は無事終了した。

  井澤国分寺市市長と渡辺佐渡市市長は、ステージの前に駆けつけてくれ、応援に駆けつけた首都圏真野人会の有志他と記念写真に納まった。

左から、井澤国分寺市市長、渡辺佐渡市市長、金子佐渡市議会議長。

シャッターを切ってくれたのは、佐渡市総務課長。

 佐渡市の市長はじめ職員の皆さん、ありがとうございました。また、首都圏真野人会の有志の方他応援くださった皆さんありがとうございました。

 渡辺佐渡市市長は、直ぐに国分寺市長に挨拶ののち、用事があり佐渡に帰られるとのことでした。ご苦労様です。

 

 祭りの状況、佐渡市物産展の状況は、その3へ。

 

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第41回国分寺祭りに参加 その1。

2024-11-03 21:30:42 | Weblog

 令和6年11月3日、4日の2日間、都立武蔵国分寺公園において、第41回国分寺まつりが開されるとのことですので、今日3日開会式に合わせて、首都圏真野人会の有志の一員として参加しました。

 国分寺市と佐渡市とは、佐渡市真野地区に国分寺史跡があることから旧真野町の時から姉妹都市として提携、今年で37年となるとのことです。

 国分寺まつりが開催される際は、佐渡市から市長や市議会議長、総務課長その他職員たちが祭りに参加するとともに佐渡の海産物や農産物をトラックで運び、国分寺公園の一角にテント張って佐渡物産展を開きます。

 また、姉妹都市の関係から、3日の開会式後、午後2時30分からステージ上で、佐渡各地区の祭りで現在でも一軒一軒廻り、厄払いが行われる鬼太鼓の舞いや郷土芸能の両津甚句、相川音頭並びに佐渡おけさの民謡が紹介されるとのこと。

 私共首都圏真野人会の有志は、開会式が正午12時からとなっているので、11時30分にステージ前に集合となっていた。

 定刻には、出席予定の10名ほどが集合。ステージの傍らに佐渡市長の姿が見えたので、真野人会会長と私が、挨拶に向かった。

 市長「やぁ、やぁ~、ご苦労さんです」。小生「真野人会の連中が応援に駆けつけました」と。市長「どこにいるの? みんなに挨拶しよう」とみんなが座っている席まで足を運び、挨拶する。

 私から「挨拶が終わった後、国分寺市長が入って皆で写真を撮っているので、お願いします」と申したら、「OK、私から国分寺市長にお願いしておく」と言ってくれた。

 市長「まあ、今の写真を撮っておきましょう」と言うので、直ぐに市長の周りに集まった。

佐渡市長と首都圏真野人会他の有志。

 

 疲れたので休みます。

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人間国宝「故佐々木象堂」の作品をオークションで!!

2024-10-30 13:10:27 | Weblog

 いやいやびっくり。最近オークションをあまり見ていないのにどうしたことでしょう。

 この26日夜10時ごろ、以前に落札したことのあるYAHOOのオークション古物欄を覗いていると、ふるさとの人間国宝故佐々木象堂翁の作品が10点ほどオークションにかけられているではないか。えっえっ・・・。ふるさと真野新町の旧家の床の間に飾られていたものも載っている。その旧家は、昨年、おばあちゃんがなくなっているからもしかしたら・・・。

 気になって翌日朝、私の実家に電話して事情を話すと同時に、その旧家に電話するが留守。

 意を決して27日、オークション出品者に問い合わせ。出されている作品には、消費税が別にかかるのかとか、飾り台は付属として付けてもらえないか等。

 納得の上、締切り28日当日午前に入札。と同時に出品者が「新潟」となっていたので、もしやふるさと真野の人ではないか?と出品者に問い合わせをした。

 出品者は、最初から気の良さそうな人。メールで問い合わせしていてもそれが伝わってくる。サービスもしてくれていたので、問い合わせの時、私が佐渡出身者である旨を伝えていた。

 入札者は私一人。発表は午後8時43分。締め切り時間まで落ち着かない。

  その間、出品者から「佐渡の関係者ではございません。ご実家の父が佐々木象堂の作品収集家でして・・・」との返事が届く。と同時にふるさと真野の旧家の人から折り返しの電話が入る。「相続で古物品を処分したという話はしていません。先代も作品がバラバラにならないように博物館などしっかりしたところにまとめておくように・・・」と。私から「今メールが届いています。佐渡の人ではないそうです。お父さんが、佐々木象堂の作品収集家だったとのことです」と伝えておきました。真野新町の人も一安心の様子でした。

 午後8時43分、締切りと同時に「あなたが落札者です」とのメールが表示された。

 29日午前10時過ぎ、カードでは金額が大きすぎて払えず、銀行へ直接行き、指定された口座に振り込む。

 PCでは、受領済みの連絡とともに、出品者が発送の手続きに入っている旨の知らせが入った。しばらくすると「発送」との知らせ。なんと手際よいのでしょう。28日午前10時過ぎに入札して夜8時40分に落札。29日午前に新潟・見附市から発送、30日午前10時過ぎに東京・新宿に品物が到着とは、時代が変わったものですね。

 到着と同時に荷物を開いてみました。以下写真の通りです。

30日午前10時過ぎ、玄関前に到着。しっかりと梱包されている。

 

居間で開封する。

飾り台も同梱されている。

早速、和室の床の間に飾ってみる。素晴らしい威圧感。(フラッシュあり)

フラッシュなし。

箱全景。

蓋の裏側。

文字を拡大。

 威圧感が素晴らしい。今までいろんな作品を飾っているが、こんなに威圧感がない。

 末永く保存してゆきたいものです。

 新潟の出品者〇〇〇さん、いろいろとありがとうございました。

 

  <補足>

◎ 佐々木象堂の紹介

 1882~1962

  昭和2年  帝展工芸部出品 特選

  昭和33年、34年 日本伝統工芸展 最高賞

  昭和35年 人間国宝(蝋型鋳造)に認定

 

◎ 作品の紹介

  〇 鋳銅獅子

  〇 大正末期作

  〇 高さ 20.6cm、幅 26.4cm

 

★ 昨日まで床の間に飾っていたものは下記のものです。

40歳前後に都内の古物店で買ったものです。  

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14日も午前中は良い天気とのこと。

2024-10-15 21:13:59 | Weblog

 14日午前4時過ぎにトイレに起きて、リビングから覗くと、逗子湾の対岸の明かりがとてもきれい。寝ぼけながらシャッタースピードを1/2にしてシャッターを押す。

ボケるが何とか映る。空には雲一つない。

 朝9時頃に家族で海岸を散歩する。

 伊豆の山々や富士山がかすんで見える。

 海岸は水が引いてとても広い。気持ちよい。

レオちゃんと家内はいつものところまで行って来るとのこと。私は砂浜に腰を下ろして、沖のSUP等をぼんやり眺める。

何とも言えない時間です。

 予報では午後から曇ってくるようだ。

 連休中どこにも出かけなかったので、遅い朝食をとり、正午前に車で鎌倉駅近くの妙本寺に伺おうとなった。この妙本寺は、車で長い境内の奥まで入ることができ、歩きが少ないからとの理由だった。紅葉にはまだ早いことは承知済みだった。

日蓮宗本山 妙本寺 総門。

 二天門の右手側の「現在位置」の右手にある駐車場まで車で上がることができる。総門から200メートルはあるかしら?

二天門。

 両サイドには、仁王像が寺院を守っているのだそうです。

左が多聞天(毘沙門天)

右が 持国天 と記されています。

 暗い中ですので、カメラの感度を2400ぐらいにあげてシャッターを切っています。

 二天門から祖師堂を望む。

水屋。

 祖師堂に上がって手を合わせ、左手側に廻ってみる。

境内は広い。

 レオちゃんたちが左のもみじの木の下の方から現れた。もみじはまだまだ。

 階段を下りてレオちゃんを引き取り、家内が祖師堂に上がり、参拝。

二天門を出て、右手の鐘撞堂に向かう。

 小山の中腹にある鐘撞堂。

階段の下の方で上がれないようになっている。鐘の大きさは大きい。建長寺にあるものと大きさは変わらないようだ。

 これで日蓮宗 本山 妙本寺は一応廻った。 車に帰って一服する。

 車で来ているので、鎌倉の街並みを見ていこうとわざわざ八幡宮前に廻る。もちろん車の止めるとこなんかない。

 「今日はスポーツの日の休日だから、うるさくないでしょう。路肩にちょっと止めるね」と止め、大路の中央歩道に上がって1枚パチリ。

 歩いている人も少ない・・・。

 車の止めたところでもう一枚パチリ。 ごめんなさい。

 すぐに走り出し、逗子に帰った。

 家に帰ってスマートフォンを覗いたら、歩いた歩数は、1270歩ほどだった。

 15日は、東京に帰ります。

 

  

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昨日、今日の逗子海岸は、やや靄がかかっています。

2024-10-13 12:56:44 | Weblog

 気温が上がっているのでしょうか、やや靄がかかっており、富士山は顔を出していません。

 

 昨日の午前は、味の素(株)の毎日を好きなスポーツに取り組み、楽しくするための会員サービス「アミノバイタル パートナーズ」による競泳大会でした。

 レオちゃんの散歩に出かけると、もう競技が始まっており、男女共通の往復3000mが行われていた。

ゴール寸前の姿。

海岸に上がって約50m先にあるゴール地点。

 水泳競技に興味のある会員も多いですね。

 

 今日13日(日)、団体の貸し切りはないようで、海岸には海の家もなくなり、広々としています。

 

6人乗りのボートを組み立て、出かけるようです。

 いつもとは反対の川の堤防方に来て,石に座ってレオちゃんを膝に座らせ、しばらく瞑想にふけりました。何とも言えない時間。

 

 

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久しぶりに逗子に来ました。

2024-10-11 19:00:36 | Weblog

 ブログを書こうとして夕方散歩の写真を整理していたら、2024年のノーベル平和賞の発表実況がテレビに映り、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれた旨流れました。おめでとうございます。世界に紛争が多い今日、この上ない注意喚起です。二度とこんな悲しいことが起きてはなりません。

 今日正午に新宿を出発して逗子に来ました。3連休前とのことで首都高速は渋滞。通常35分ほどで第3京浜に入るのが1時間ほどかかってしまった。

 もう追い越し車線には入らずと決めているので、その後も最高速度で85KM/ℍほど。逗子まで2時間ほどかかってしまった。高速から下りると、気温は2℃ほど低くなり、21℃となる。

 しばらく部屋で休んだのち、夕方、犬の散歩に海岸に行った。

 久しぶりの夕景。素晴らしい。富士山も頂上は顔を出している。

 

 なぎさ橋から。

石原裕次郎の「太陽の季節、ここに始まる」の碑から海岸を・・・。

 以下、太陽が沈むまで堪能してください。

 

 

 

 

 

 

どうでしたか。最近、雨ばかり時には太陽が顔を出すがぼんやり。やはり、秋になったことですね。空気が澄んでいる。

 これから一週間ほど、この天気が続くようです。

 

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地元の「御霊神社」礼祭が・・・。

2024-09-29 12:52:50 | Weblog

 28日(土)、29日(日)の両日、地元新宿区中井・中落合地区の守神「御霊神社」の礼祭が昨年に引き続き、開催された。

 コロナのためここ数年開催されていなかったが、昨年数年ぶりに開催にこぎ付け、盛大に行われた。今年は、天候を心配したが崩れることなく、神輿も通過して神社に向かった。

 今年は、約1kmの距離がある神社まで行くのが難儀で勘弁してもらった。

 まず、昨日の子供太鼓の状況をお伝えする。

中落合1丁目商店街を進む子供太鼓集団。

 新築マンションが建てられたので、そこに入居した家族の子供たちのようだ。

  今日29日11時30分から、ここ中井睦の大人の神輿が始まるとの電話が息子から入った。先ほど午後1時からと聞いていたので慌てて着替えて外に飛び出した。

 もう、役員の挨拶が始まっていた。

他の街からの応援4~5隊ほど駆けつけているようでとても多い。

さぁ~、出発だ。道路いっぱいになって神輿をかつぎあげる。

中井睦が出発。

車は一時停止してもらっている。

 

途中、街の有志のところでご馳走になったりして休みながら、御霊神社に4睦が集合してお祓い拝礼し、集落を廻って午後8時まで街中を神輿を担いで歩く。

弊会社前を神輿が練り歩いてゆく。

 昨年は、私も神輿を追って御霊神社まで足を運んだが、今年は、この先10mほどのT字路駅前道路で神輿を見送った。

 弊会社の真ん前には、各人からの奉納内訳板が掲示されているが、神社やお寺との関係が薄れているこの世を映しているのでしょうか、奉納板に張られる人数が年々少なくなってきているように感ずる。

 

 <追記>

 今年は、御霊神社まで同行できなく残念だった。そこで、昨年の写真を探したら、見つかったので、神社の写真を載せておきます。

御霊神社 入口。

 御霊神社 本殿。

 

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NHK連続テレビ小説「虎に翼」最終日を迎えてしまいました。

2024-09-27 11:59:13 | Weblog

 今年4月1日から始まった首記連続テレビ小説「虎に翼」は、今日9月27日で最終回を迎えました。

 皆さん如何でしたか。

 小生、毎週月曜日8時から15分間、土曜日まで毎日早起きして、テレビの前にかじりつきました。見落としたときは、正午過ぎの再放送を見るか、PCに録画したものを観るなどしてほぼ全部を見ました。

 NHKの連続テレビ小説にこんなにかじりついたのは初めて! 

 このテレビ放映が始まった4月には、モデルとなった弁護士三淵嘉子さんの紹介雑誌を買い求め、大略のことを勉強した。(4月5日付、このブログで紹介)

 

4月に当ブログで紹介した平凡社発行の「虎に翼」主人公モデルの三淵嘉子さんの紹介誌。

 どうしてこんなに深くのめりこんでしまったんだろう。登場した寅子(伊藤沙莉さん)他の名演技に引っ張り込まれたというのはありますが、今思うと、中学時代から法律に興味があったこと、高校時代も歴史は嫌いだったが何故か法律関係の時間になるとしゃきっとして聞き入っていたように思う。六法全集も高校の時に家にあったのを読んだことを覚えている。 

 しかし、それ以上に化学が好きになってしまい、大学は化学方向に進んで、卒業後は大手製薬会社に就職し、総合研究所で研究生活を10年ほど過ごしました・・・。そして新潟県出身の田中総理の時代、家に帰っては、もともと好きな民法、不動産法を勉強し、不動産取引主任者免許を取得、研究所を退社、見習いのため某不動産会社に入り、しばらくして地元で会社を興す。曲がったことが嫌いな性格から、皆さんから信用を得て、経営は順調。若いうちに息子にバトンし、現在に至っている。

 今でも性格は、理屈っぽい。法にのっとってのように曲がったことが嫌い。

 今回の寅子さんや他の弁護士たちのように、筋が通らないとだめ。横には勧められない人たちの集まりですので、私の性格に会っていたのかしら?

 

 今日のNHKテレビから。

 

 

もうこの顔が見られないと思うと‥‥。

最終回は、PCに録画しておきました。もう一度、時間を見つけてゆっくりと観たいと思います。

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写真家T・T・TANAKAさんの佐渡風景写真展に!!

2024-09-22 23:56:59 | Weblog

10日ほど前、新潟日報・佐渡版を覗いていましたら、下記のような小さな記事 『静岡県熱海市のT・T・TANAKAさんの写真展が原宿竹下通り入口から50mほど入ったところで、昨日21日から28日まで開催する旨の記事』を見つけた。

  静岡県熱海市の写真家、T.T.Tanakaさん(68)が、新潟県佐渡を被写体にした写真展を9月21日から東京都内で開く。海岸の奇観に出合い、夕日に魅せられた。この島の美しい姿を全国に知らせたいのだという。

 Tanakaさんは兵庫県出身で、本名は田中廣(ひろし)。パキスタンや軍事侵攻を受ける前のウクライナなど広く世界を撮影してきた。

 新型コロナウイルス禍のため渡航できなかったとき、日本地図を広げていて...

 ★写真展は9月21日〜28日の午前11時半〜午後5時半、渋谷区神宮前1のギャラリーハセガワで開く。入場無料。

静岡県熱海市の写真家、T.T.Tanakaさん(68)が、新潟県佐渡を被写体にした写真展を9月21日から東京都内で開く。

 となっていた。

 小生も若い時から風景写真を趣味としていろんなところを撮したり、佐渡出身で同級生のMさん(元富士フイルム役員)の写真展等を見に行ったりし、興味を持っている。” 佐渡生まれ以外の人が島内の風景をどのように捉えるのだろう?″ と興味を持ってここ1週間期待していた。

 今夏の猛暑で、外に出かけるのを避けていたが今日は、やや秋風が吹き出し、歩きやすくなったので、家内を引っ張って久しぶりに原宿詣でとなった。

JR山手線原宿駅、竹下口に。日曜日正午過ぎのせいで人はいっぱい。

竹下口方向を観ると、人がいっぱい。 

 あらかじめマップで確認し、竹下口から50mほどの左側の小道を入ったところと目途をつけ歩き出したが、判らず、途中で出会った佐川急便配達員に聞く。とても親切で、スマホで確認して教えてくれた。

 

ポールの上に「ギャラリーハセガワ」の看板を見つける。古着屋店の手前の道幅2m弱の小道を入る。

ギャラリーハセガワの入り口。

 昨日、新潟日報・佐渡版にあったこの記事を探したが今は見つからない。客が少ないのでは? と思ったが、案外入っている。

 ホッとしてドアを開け、記帳する。

 展示場は広くない。が、目に入ったのは、大きな画面、懐かしい<弁慶のはさみ岩>。

『懐かしい!!』 とついことばを発してしまう。

 ほかの方を案内していた田中さんが隣りに来て「いらっしゃいませ。ありがとうございます」とあいさつ。名刺を出してくれた。単なる一般の人とは違うと思ったのかしら?

私も「実は佐渡出身のものです。あそこにある妙宣寺の五重塔のある真野出身です」と言って名刺を出す。「会場の写真をカメラに撮っても良いですか」と聞くと、「あぁ~、どうぞ」の返事。

夕焼けの写真がとても素晴らしい。私も若い時から真野湾での夕焼けや大佐渡スカイラインからの夕焼け等をいっぱい撮っているので、趣味が共通しているようだ。一枚として同じ写真はない。一瞬の時。それがたまらない。

会場内をあまりぱちぱちと撮ってはいけないと思い、一方の部屋の写真は見るだけとして、遠慮して作品集を覗いた。

田中先生の写真集、366日日めくりのENCOUNTERS366が珍しいと、買い求めた。

田中先生に、「どうして佐渡の風景写真を撮るようになったんですか?」 と聞くと「私は佐渡と家系等の繋がりは全くありません。7年ほど前に佐渡の自然が好きになったこと、お能の本間家に興味を持ったことから毎年訪れるようになって、写真を撮り続けたんです。冬の写真もあります」とのこと。

 先生とお話ししていると、近くにいた客が、「本間家と耳にしたので・・・、私、相川の出身です」と話してきた。私、「どうしてこの写真展を知ったの?」と聞くと、「受付をしている人が友達だから・・・」と教えてくれた。

 〈弁慶のはさみ岩〉の写真の前で。 右端 田中先生。後列の左端、相川出身の女性。前列右側、相川出身の女性と知り合いで受付をしていた方。前列左、相川出身の方の友人。後列、私の隣り 家内。(田中先生と受付をしていた方の顔写真は出してよいとの先生からのメールがありましたので・・・)

 先生に「私、ブログをもう20年余りしているので、ブログに紹介してもいいかしら?」と聞くと、「ああ、いいですよ」と返事してくれた。

 佐渡出身者以外の人が、佐渡の風景写真展を開くことは珍しいこと。二見の夫婦岩の撮り方も私共は真正面から撮っているが、田中先生は、横からとらえている。写真を観た時の感じが全然違う。

 一枚一枚、味が違う。残された時間はあまりないが、ぜひ足を運んでご覧になっていただきたいと思う。

 原宿に出て来て、竹下通りを歩くなんて、今度が2回目かしら? 表参道通りは、佐渡市東京事務所があったので何度も来ているが・・・。

 竹下通りから大通りに向かって歩き、右に折れて交差点に向かう。

表参道通り交差点から元佐渡市東京事務所があった方向を望む。

四つ角のビルの屋上に緑地公園があるビルなんてあったかしら???

表参道商店会のお祭りだった。

 家に帰って携帯の歩数計を覗いたら、ゆっくりゆっくり歩いたので、歩数4800歩余りを3時間かけていた。

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今夜は、中秋の名月・・・。

2024-09-17 21:14:30 | Weblog

 今日17日夜から深夜にかけて「中秋の名月」。

東京の夜空は快晴となり、中秋の名月を眺めるには絶好の夜。

 私共も午後8時過ぎに屋上に上がり、快晴となった東の空に昇っている月を眺めました。

東に位置する東京スカイツリーの上に昇っている名月。

 大型のカメラを持ちだす。数年前に野鳥を撮りたいと思って購入した Nikon Coolpix P1000  24-3000mm という超望遠レンズのついたものです。宝の持ち腐れとなっていました。

 このカメラには、月を撮影できるようにもなっていますので、便利。

 早速、望遠で構えてみました。

 

 

 

 屋上の手すりの上で構えたもので手振れが入りましたが、三脚を使用して、遠隔シャッターを利用すればきれいに撮れるかと思います。

 きれいな中秋の名月となりましたね。

 なお、屋上から新宿の高層ビル群を覗いたものが次の写真です。

 こちらもきれいでした。

左手には西武新宿駅前の新しいビル〈東急歌舞伎町タワー〉、その右側の遠くにドコモビルもわずか見えます。以前は都庁ビルが見えたんですが、前にビルが立ち並んで隠れてしまいました。

 

 

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子供、孫たちから小生の誕生日祝いを!!

2024-09-16 12:46:34 | Weblog

 私の誕生日(9月10日)は、平日だったこと、私共が家を空けていたことからのびのびとなっていたが、昨日曜15日に、子供、孫たちが近くのレストランに集まり、お祝いを挙げてくれた。

 地下鉄東西線落合駅近くのレストラン「夢庵」。午後6時開始。集まったのは計7名。残念ながら娘の子供2名は欠席した。

 娘からは、私たちが逗子から帰った11日当日に、お祝いの品(上品な帽子)をプレゼントされた。

あまりに上品すぎて、普通時にかぶれないようだ。家内は、「日よけ帽子だから使ったほうが良いよ」と勧めるが・・・。

 料理の出てくるのが遅い。一方の方ではもう終わりそう。

 こちらが息子一家。孫たち二人ともクラブ活動に精を出しているようだが、お祝いに駆けつけてくれた。

 私共と娘の方は、料理が出てこない。待ち遠しい。

 やっとそろったので記念写真となった。ご覧のように一方はもう終わりに近づいている。

 いろんな話が飛び出る。

 私から、「〇〇家の足跡」という私たちの生まれた時から現在までの歴史を綴ったものが、私のところに現在Aー4で20ページ余りとなって現在も続いているが、今日は、その抜粋したものを作ってきた。」と申して4ページほどの〇〇家の歴史ものを見せた。現在息子たちが住んでいる土地が、私の父が購入した当時、土地43坪全部で100万円ほどだったこと、犬、猫等がいたこと、名前を今日出席している孫たちが名づけ親であること等がまとめられていた。

 孫たちは興味津々だった。息子、娘たちは、自分の家の足跡を綴っていないとのこと、これからでも遅くないから残すようにと申しておきました。

 終わりに来て、孫たちから花束を頂いた。

「健康でありますように!!」

 私から、「今日が折り返し点です」と申したら、孫「世界一の長寿になりますね」だって。

 私「君たちの結婚式にはお祝いに駆け付けたいからね」と申して・・・。

 握手してお別れした。

  楽しい誕生日会でした。また来年も開くことができますように!!

 

 家に帰って飾りました。

 

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goo blog フォトに変更することができました。

2024-09-12 21:22:56 | Weblog

 8月末から従来のgoo blog がフォト満杯状態で投稿できない状態が続いていましたが、逗子から帰って、落ち着いて電話で暗証番号を受理しましたところ、goo blogフォト(有料)に変更することができました。有料と言っても月当り5百円程度ですので・・・。

 これからは、今までの400倍以上の写真投稿処理ができます。

 8月末に遡って箇条書き的に記録を残しておきたいと思っていますので、お許しください。

 1 8月28日 普通自動車運転免許更新 東京都庁第2庁舎に出け、事前に検査合格した書類を提出して更新を受ける。更新期限3か年。ゴールド免許。

 2 8月30日 私が使用している会社の車(プリウスPHV)の5年目の車検にトヨタ自動車中野支店に運ぶ。

 3 9月6日~11日 逗子滞在。

  ◎ 6日 東京・新宿発 12時過ぎ。

    夕方、海岸に散歩。

 

 

明日7日、明後日8日、何か行事があるようです。

 ◎ 7日

 

 日本財団 湘南OPEN  WATER  SWIMMING  の行事のよう。すごい参加者数の人たちだ。

  

今日は、江の島までの10km競泳があるとのことです。

 ◎ 8日

 

足にヒデを付けた人たちが2.5km競泳スタート。

1着がゴールしてきた。

3着は女性だった。4着も女性。 到着した女性に担当者がマイクを向けると「九州、福岡から参加」と流れていた。全国から参加している競泳会のようだ。

泳ぎ切った人が順次海岸に上がってくる。

今度は、何も身に着けない人たちの2.5kmの競泳が始まった。

90数名の一団が同時出発だ。 出場者は事前に申し込みが必要なようだが・・・。5分おきに90名ぐらいの一団が数組出発した。

 約1時間の見学で家に帰った。部屋に帰ってから海を見ると、行きと、帰りの一団がまだ泳いでいるのが見える。 「こんなに多くて事故がないものだ」と家内と話す。

 ◎ 9日

  明日10日が私の誕生日。逗子に来る前から家内が「誕生日には、葉山日影茶屋で食事を奢るからね」と言っていたのですが、調べてみたら、日影茶屋は火曜日、水曜日がお休みとのこと。そこで前日の9日の昼に行くこととなった。

日影茶屋の玄関。昭和天皇や皇族が立ち寄り食事をした由緒あるレストラン。歩いて行ける場所だが、まだ一度も入ったことがない高級レストランだ。

 予約しなくて直行した。月曜日なので、客も少なく、運よく窓際の席に座ることができた。

席から望む庭。

きれいな庭です。

お昼のお膳です

日影茶屋から50mほど手前の小海岸です。

 4 10日夕方、逗子海岸散歩時の光景です。

 

 

 

 5 11日は、マンション前のなぎさ橋喫茶で朝食をとり、11時過ぎ、東京に向かいました。

 6 12日は、1週間ぶりに会社に出勤。若干の残務をして1時間ほどで退社。

 

 以上が8月末から今日までの暮らしでした。

 運動不足気味ですので、歩く距離をもう少し伸ばそうと思っています。

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