昨日6月20日は、朝から久しぶりの晴天。
他県をまたいでの移動の抑制が解かれ、久しぶりにドライブを楽しんだ。
午前9時半過ぎに逗子を3人(?)で出発。出発するときは、自分もどこへ行こうと決めていない。竹林を観に鎌倉の寺院に行こうか、以前、道を間違えて箱根に上がってしまったので、その時の目標であった熱海方面に行こうかと・・・。
久しぶりに早く出発したので、海岸沿いに車を走らせた。
江の島がとてもきれいに。
行くときはのんびり走ろうと決め、有料道路を走らず、もっぱら一般道を。江の島の手前あたりでやや混んだがいつもよりスムーズに走れた。
海岸道路を走り、国道1号線に入ると、「旧吉田茂邸」の案内表示が目に入る。
大磯の海岸有料道路を走るといつも「このあたりが旧吉田邸のあるところだよ」と家内に話す。「そうだ、まだ一度も見学していないから旧吉田邸を観よう」となった。
午前10時40分ごろ県立大磯城山公園「旧吉田茂邸地区」の駐車場に到着。レオちゃんは邸内に入れないと思い、車の窓2か所を少し開けて休んでいてもらうことにした(真夏だと危ないが、外気温は25度ほどだったので…。帰り門外の案内板を観て判ったことだが、ワンちゃんはリードを付けていれば邸内に入れるとのこと)
入場門。
邸内の庭見学は無料とのことで、ここから入った。但し、建物内の入場は、コロナのため7月2日まで休止だった。
ここで、旧吉田邸についてちょっと。
この吉田邸は、資料によれば明治17年養父吉田健三氏が別邸を立てた時に始まる。吉田茂氏が昭和19年、戦況が悪くなり、平河町の自邸から大磯へ居を移す。 戦後昭和21年68歳で総理大臣になってから週末に大磯に帰る生活が始まったと記されている。昭和29年総理大臣を辞任。昭和42年10月、89歳で亡くなるまでここ大磯に住まわれた。現役時代は、多くの政治家の「大磯参り」が始まった。また、吉田氏が大磯に帰るために新しくバイパス道路をつくったのは有名(ワンマン道路という)。
昭和44年、吉田邸は、西武鉄道に売却、大磯プリンスホテル別館として管理されていたが、地元から吉田邸の保存・活用に向けた要望があり、平成18年神奈川県が大磯城山公園の拡大として隣の旧三井別邸地区と県立都市公園化決定。しかし、旧吉田茂邸は平成21年3月、火災により焼失。現在の建物は再建されたもの。
庭に入ると、こじんまりしているが、きれいに手入れされている。
庭のアプローチ部分から入場門方向を望む。
住居に上がる階段。非常になだらか。
居住建物の入口。 7月20日まで休止していた。
入口の左側。
建物前の日本庭園。心字池から望む吉田邸。
日本庭園を見学してから築山方面へ。
築山の頂きには、吉田茂氏の銅像。
伊豆方面を望む素晴らしい場所に銅像は建てられていた。
さらに邸内を廻ると、七賢堂。
伊藤博文邸にあった五賢堂を昭和35年本人がここに移し、後に西園寺公望を合祀、また、昭和42年本人が亡くなると佐藤栄作の名により合祀され、七賢堂となる。
築山から東側を一周すると菜園や竹林がきれいに整備されている。
これらを一周して先の日本庭園に。
管理棟に掲示されていた案内書。
先に述べたように旧吉田邸は初めて。我々が小学、中学の時の総理大臣として戦後の日本のかじ取りをした同氏の邸宅を伺って、当時を思い出し感慨深いものがあった。
約1時間20分のゆっくりとした見学を終え、車に帰ると、レオちゃんは眠っていたようで我々に気づくと飛び起き、元気。水を手に汲んで飲ます。
今度は、熱海に向かって海岸の有料道路を走る。
午後2時弱に熱海の海岸に着く。
見覚えのある人口なぎさ。
突堤から熱海のビル群を望む。海岸への人出も多い。
この景色が素晴らしい。日本のようでない。
ここで持ってきたパンで昼食をとる。
パンの切れ端を鳩に上げるとたくさん集まってきた。
しばらく休憩し、10数年前来た時満開だった「河津さくら」の植わっている場所に向かう。この河津さくらはどうしてか二人の脳裏に強烈に残っている。
釜鳴屋平七の銅像。
釜鳴屋平七とは、
ここの銅像の両脇に大きな「河津さくら」が植わっている。
それから熱海の温泉に浸かろう(家内は風呂に入ると疲れが出て運転できなくなるとあまり気乗りしない)、見える「ホテルニューアカオ」の頂上にある風呂から熱海の街を眺めよう。ニューアカオで日帰り温泉をしていなかったら、まっすぐ逗子に帰ろう」となって、ニューアカオに向かった。
到着するとボーイが迎えてくれ、車中からボーイに尋ねると、ホテルでは日帰り温泉がないとのこと。
がっかり。Uターンして帰路につく。午後3時弱。
帰路は、有料道路を常に使ったが、家内が申す通り道路も混んで疲れが出る。小さなスポンジ用のもので手を揉み、眠気を防ぐ。
午後5時過ぎに逗子に到着。シャワーを浴びてベットに潜る。
久しぶりの長時間運転。でもいい思い出をつくった一日だった。