"今日(3日)はいよいよ首記記念式典が開会される。友人たちに会えるかしら?" と胸が躍り、午前5時には目を覚ます。
6階の部屋からの展望は真野湾を一望でき素晴らしい。写真は3枚合成したもの。
2日、両津港着岸5分ほど前に記念事業実行委員の監事Sさんから携帯に、「明日朝8時に真野御陵で御祈祷があるので出席ください」との連絡が入った。船の中で更に車に乗っていたので電波状況が悪く、とぎれとぎれであったが、内容がほぼ掴めた。
御祈祷に参加するべくホテルを出発。家内とワンちゃんを実家で降ろし、午前8時前に真野御陵に着くと、もう、6~7名の実行委員の方々が観光センター前に集合していた。
御陵前の御祈祷が午前8時に始まった。祭司は二宮宮司とのこと。
御祈祷に参加した人たち。(手前の空席に私が座っていた)
祭司の指示で各人が榊をささげ、拝礼する。
約20分ほどで終了。全員 御陵を下り、真野宮を参拝。
今日の式典場所の「真野ふるさと会館 多目的ホール」に向かう。
家内に電話を入れると、すでに実家を出発したとのこと。
会場に到着すると、首都圏佐渡連合会の「ふるさと里帰りキャンペーン(1日~3日)」に参加した人の内20名余りの人が着席していた。
午前9時30分式典開催。式次第にのっとりまず順徳上皇の生涯と佐渡ヶ島のビデオが上映された。
以下、開会あいさつ、主催者挨拶、来賓挨拶と続き、基調講演前に渡津神社雅楽会による雅楽の演奏があった。
高野実行副委員長による開会挨拶状景。内容は略します。
山本修巳実行委員長の主催者挨拶状景。
佐渡市長渡辺竜五氏の来賓挨拶状景。
首都圏佐渡連合会会長山本顕男氏の挨拶状景。
続いて渡津神社雅楽会による雅楽演奏が始まった。
渡津神社雅楽会による雅楽の演奏。
雅楽演奏に聞き入る参加者の皆さん。約百数十名でしょうか。
しばらく休憩の後、基調講演が始まった。
山本実行委員長による演題「佐渡の順徳上皇」として約30分話された。
順徳上皇はいわゆる「承久の変」で、承久3年(1221年)7月、24歳で佐渡にご遷幸となったこと、とても知徳で和歌を愛し、いくつかの歌を残していること、45歳で崩御。真野の丘で火葬され、遺骨は京都に収められたこと等について話された。
次いで、記念講演として新潟大学人文学部准教授中本真人先生の講演が始まった。
演題は、「順徳上皇『禁秘抄』について」。
『禁秘抄』の内容はよく知らなかったが、天皇の日常生活に関わることが多いとのこと、そして慣習の乱れた部分については必ず正すようにと訓戒めいた言辞がみられるとのこと。『禁秘抄』の執筆の時期は不明のようですが、順徳天皇の御在位中から譲位後にかけて書かれたものとのこと。
この中で特に記憶に残った言葉(現代語訳)『第一はご学問である。学ばなければ古来の道理に暗くなる』。すごい言葉ですね。耳が痛い。
中本先生の講演を聞くだけでもこの記念事業に参加した価値があったと思った。
基調講演、記念講演は、持参したレコーダーに納めたので、後でゆっくりと聞いてみようと思う。
次いで、順徳上皇は、学問に優れていたこと、百人一首の百番目に歌が入っていることから、この800年記念事業として短歌を募集。応募数は、小学生から卒寿を超えられた方まで600余首あったとのこと。
その中から小学生の部、中学生の部、高校生の部、島外一般の部、島内一般の部のそれぞれについての優秀作品について高野実行副委員長から表彰状と記念品が手渡された。
その中で私が特に心に響いたものを紹介します。
いずれも素晴らしい歌ですね。
午後1時前、これから試食する「稗の粥について」実行委員会顧問豊原久夫氏による説明があった。順徳上皇に対する地元の人の好意として振る舞われたものとのこと。
「これほどに身の温まる草の実を ひえの粥とは誰かいふらむ」
順徳院物語より。
「稗の粥」が試食として出席者の皆さんに振る舞われた。
「稗の粥」。
出席者の皆さん、「稗の粥」を試食する。
最後に閉会の挨拶として実行委員会顧問三浦基裕氏(前市長)が立たれ、参加者に対して御礼を述べられた。
すべてが終了、解散となった。
私は、ワンちゃんが車に居たので、皆さんと別れ車に走った。
実家に立ち寄り、しばらく雑談。
佐渡滞在2日目も八幡館に宿泊の予定。
八幡館に帰る途中、国府川の橋で太陽が沈む直前の様子、空が赤く染まっているのに気付いた。八幡館のロビーを小走りに走り6階に上がる。
二見半島の山に沈む太陽。
今日の800年記念事業は参加してよかった。ご無沙汰している方々に会うことも出来たし・・・。
(文字数オーバーのためこれ以上かけません)