3日式典終了後は、実家に帰り雑談。朝5時から目を覚ましていたので疲れがどっと出る。ホテルに行って休む。
ホテルの部屋でしばらく休んでいると、部屋の電話が。フロントから「Nさんがお見えになっています」。
一階のフロントに下りると同級生Nさんの奥さんが。「昨日はわざわざおいでいただきありがとうございました。主人は、足が悪いので椅子から動けなかったが、会えてとても喜んでいます。これは佐渡のお米なんでお持ち帰りください」と差し出す。大変恐縮してしまった。
四日の朝食は昨日と同じく七階レストラン。
食べきれないほどの料理が並んでいる。
朝の朝食。
おお窓から金北山が輝いているので、部屋にカメラを取りに下りる。
七階レストランからみる金北山。快晴の空に大佐渡山脈の山々がくっきりと姿を現している。
朝食をすますと、9時前、ホテルのフロントに。鍵を返すと、ホテル側から「佐渡のお米です。わずかですがお持ち帰りください」と数キロ入り二袋を差し出した。こちらから「大変お世話様になりました。犬は持ち込み禁止となっていることを知っていましたが、車の中では・・・と思いわがままを言ってすみませんでした」と言って、持ってきた缶ビール10本入りの袋をフロントに渡した。大変恐縮していた。 車で出発の時は、二人の従業員が見送ってくれた。
一昨日立ち寄ったN建具屋さんから昨夕「車で来ているから、家で作っている野菜を持ち帰ってくれ。明日出発前に事務所に寄ってもらいたい」との連絡をもらっていたので、先にその事務所に立ち寄った。奥さんも来ていた。
しばらくすると、Mスーパーの会長も見える。今は引退して息子にバトン、「会長」となっているとのこと。N建具屋さんの主人と従兄。佐渡に4店舗の大型スーパー店を出しているとのこと。
5人で話が弾む。共に首都圏真野人会総会に出席してくれた仲。完成ほやほやの東京スカイツリーに佐渡から出席の十数名の皆さんを私が予約招待して登った(佐渡人としては最初)こと、話が尽きない。
出発の時間が迫っているので話を打ち切り、「またお会いしましょう」と。主人が車の後席に箱いっぱいの野菜を運び入れてくれた。
失礼して、実家に向かう。もう、時間が迫っているので、二人は仏壇に向かい、手を合わせる。
義姉もお酒等たくさんの土産を用意している。もう車に乗せきれないほどとなった。
義姉、甥っ子に礼を述べて別れた。
両津港に着くと、来た時と同じ船が港に入ってきた。
来た時と同じ「ときわ丸」。
着岸して前部が開きだした。
前部が開く。見ていると車が乗っているところまでに三重の鉄板が。
一番最初のトラックが下りてきた。
しばらくすると、私共が乗船開始。ワンちゃんがいるので、来るときと同じく4階のペットコーナーに上がる。
12時40分離岸。
今は岸壁で見送る人がいないが、私が学生時代父母が岸壁で見送ってくれたのを思い出し目頭が熱くなる。
この歳になっても両津港を離れるときは、目頭が熱くなる。特に岸壁が遠くなっていくとたまらない。
「この景色を視るのはこれが最後かなぁ・・・」と考えたりして・・・。
さょうなら!!
来た時と同じく私は2等客席に入り毛布をかぶって休む。
午後3時10分頃新潟港に着岸。車は順次船から降り、走り出した。
約20分ほどで高速道路に入り、東京に向かう。最初のサービスエリアで、これからの長い走りの用意を整える。
4時前にサービスエリアを出発。
東三条を過ぎたあたりで、家内に向かって「社員Sさんのご実家はあの辺りだよ。ガスのタンクが見えるでしょう」と知らせる。
走りは順調。
その後、道路も混んでなく順調に進み、寄居サービスエリアで休憩。
所沢インターもスムーズに下りられ、午後8時15分ごろ、自宅に到着。
早速実家に電話を入れ、無事に到着した旨を伝えた。
今回の順徳上皇ご遷幸800年記念式典に参加できたことは、一生忘れないと思う。
佐渡の皆さん、本当にありがとうございました。お元気で!!またお会いしましょう。
またの機会と思うが、もう車では無理かと思う。危険だから・・・。
<追記>
車のガソリンは、東京を出発する前に満タンとした。1日から4日東京着までの4日間往復で、メモリの区画8メモリ中、なお3メモリが残っていると表示されている。
以前乗っていたクラウンマジェスタでは、満タン(約70リットル)にして出発して佐渡に渡り、帰りの新潟港を上がるとガソリン補充が必要であったが、今度のプリウスPHVでは、満タン(約50リットル)にして佐渡に渡って、東京に帰って来てもなお、残っている。マジェスタでは、高速利用で約10㌔/リットルだったが、今回のプリウスPHVは約40㌔/リットルと表示されており、消費がとても少ない。
今後のために記しておきたい。