16日付けの朝日新聞朝刊10ページの記事 “語りつぐ戦争“ の中に「守れなかった愛犬ポチ ごめんね」の記事を読んで、私も同じ経験をしたことを思い出してしまった。この歳になっても“忘れもしない“ 痛ましい。
朝日新聞の記事。
父は体が小さくて弱々しい私に「散歩が運動になれば」と雑種の犬をもらってきてくれた。私は名前を「ポチ」とつけて遊んだ。茶色の毛のポチは私によく慣れた。
父は地区のまとめ役だったので、役場の命令が出ると、一番に犬を供出した。ポチは首に縄を結ばれ、最後の別れになった。私は「ポチ」と声を掛けた。ポチは私の近くに来て悲しい目をした。「助けてくれ!」と言ったように感じた。思わず私は大粒の涙を流し、後ろに逃げた。ポチを守れなかったのだ。もう犬は飼わないと誓った。
今でも犬は飼わない。飼えないのだ。戦争は小さな犬まで殺してしまう。むごい話である。
記事の前段は省略しましたが、これと同じことを私も経験している。むごい話を思い出して・・・。
小学1年の時の記憶をたどって書いてみよう。
同級のナガイ君が「犬が生まれた。元気に走り回っているよ」と話したので、「私、その犬をもらいたい。相談してみる」と伝え、家に帰って皆にその旨を話した。
父母は反対しなかったが、祖母が「商売をやっている家では、犬は飼ってはいけない」と反対した。それでも私が「ほしい」とお願いしたところ、祖母は折れた。
生まれて3~4か月の茶色の小さな犬だった。「チビ」と名付けた。今は室内で飼うのが当たり前だが、当時は、玄関の外で紐でつなぎ飼うのが普通だった。
人が来るとワンワンと知らせた。これが祖母の言う「商売をしている家では・・・」と言うのだろうか。確かに鳴き声がうるさかったが中型犬だったので、大変可愛く散歩に出かけた。父母は別に反対しなかった。
そして上の記事にあるようにお国の命令が出ると、すぐだったように思う。私が学校に行っている間に祖母が「供出してしまった」と母から知らされた。私は大声で泣きだし、近所を探し回ったのを覚えている。その時は祖母が一番家主のようにふるまっていた。本当に痛々しい。
わたくしは幼少の時から動物が好きだった。祖母は犬以外はよかった。いつも自分で猫をもらってきたのを覚えている。
それからしばらくは父も犬を飼うことはしなかった。長姉が嫁いだ先からシェパードの子犬をもらうまでは・・・。
私が高校2年の時、忘れもしない。この犬も大変不幸なこととなってしまった。
今、ウクライナでロシヤの侵攻で戦争が起こっているが、動物たちはどうしているのだろう。小さな犬は抱いているのが見受けられるが・・・。
戦争はお互いが取り返しのつかないこととなってしまう。
一刻も早く停止すべきと思う。