11月5日(日)、都立武蔵国分寺公園で開催された第40回国分寺まつりに参加してきました。
「どうして国分寺まつりに行ったの?」と疑問になられる方がいらっしゃるかと思います。
実は、私が生まれた佐渡島旧真野町には国分寺があったところであり、現在もその遺跡が残っております。東京都下国分寺市とは、当時の真野町と姉妹都市を締結して佐渡市に合併してからもその締結は継続され今年で35年となります。コロナ禍でまつりの開催は一時中断しましたが、4年ぶりに今年開催、姉妹都市の関係で佐渡市から地元芸能の参加や佐渡の物産等を紹介展示しています。
こんな関係で、佐渡市からは毎回、市長(今回副市長)、市議会議長、市関係課長はじめ市職員が参加します。それゆえ、在京の佐渡出身者はじめ私共首都圏真野人会の有志が欠かさずこの祭りに参加、応援しています。
公園内ステージでは朝9時30分から開会式が行われましたので、その模様から報告します。
午前9時30分、まつり実行委員会委員長他、国分寺市市長はじめ市関係者、姉妹都市佐渡市副市長、市議会議長、友好都市飯山市市長はじめ関係者らが並ぶ。
まつり実行委員長の開催宣言。
国分寺市市長のあいさつ。(以下ともに、内容省略)
姉妹都市 佐渡市副市長のあいさつ。
友好都市 飯山市市長のあいさつ。
各市代表者による鏡割り。樽は佐渡のアルコール共和国のもの。
しばらく休憩ののち、東京国分寺ライオンズクラブの表彰式ののち佐渡市の郷土芸能が始まった。
そして10時15分から佐渡の郷土芸能、上梅津地区青年団による鬼太鼓から始まった。
島内には、鬼太鼓集団がほぼ集落ごとに存在するので、回ごとに選ばれて上京する。したがって、地区により、演舞の内容がやや異なっている。
鬼太鼓一団がそろってあいさつ。
続いて、在京の踊り集団若波会による民謡披露。まず、リーダーにより、若波会の歴史を説明。
まず、両津甚句。
相川音頭。民謡の間合いごとにリーダーによる民謡の歴史をわかりやすく説明する。
最後は佐渡おけさ。
佐渡市の民謡紹介終了後、ステージの右側に行き、佐渡市からいらした伊貝佐渡市副市長、近藤佐渡市議会議長、遠藤地域振興部地域づくり課長らにあいさつする。伊貝副市長とは初めてお会いした。
佐渡の民謡等を観ている観客。朝早いのにとても多い。今日一日だけの祭りだが10万人を超える人出があるそうだ。公園の内回りにはテントが張られた売店が並び大変な人だかり。
この佐渡の民謡が終わってから南端の佐渡の物産販売方面に足を運んだ。真野人会の有志は「佐渡の物産展はすでに見たから先に帰る」とのことで、ステージのところで別れた。
途中、農業祭のところを通ったら珍しい「昔の麦の棒打ち」の演技が行われていた。
「麦の棒打ち」
農業祭の「宝船」。大変にぎわっていた。
通りを挟んで姉妹都市「佐渡市物産地区」。
佐渡市のテント売店も人が多い。
私の大好きな笹だんごもある。早速
土産として10個ほど購入。
リックに入れる。
広場を見ると先ほどステージで演技した若波会や鬼太鼓の人たちがここでも紹介している。特に若波会のリーダーは知り合い。人数を問うと11名とのこと。「差し入れをするから待っていてね。ご飯はまだでしょう?」。横には鬼太鼓の連中もいる。人数を聞くと15名とのこと。結局、笹だんご30個を買い求め両グループに差し入れた。
鬼太鼓のグループは急いでいてリーダーに手渡すのがやっとだったが、若波会はリーダーが全員を集め紹介し、礼を述べられた。私からも「よかったですよ。ありがとうございました」と礼を述べた。
ノロノロと歩いていても疲れる。再度、農業祭場所を観ながら帰路に着いた。
すごい人人。