“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

ふるさと佐渡へ 第2日目

2024-08-21 22:05:20 | Weblog

 7時前に目が覚めると、まず家の周りを観て廻る。

 家の前の国道。北側を望む。道路は私が中学時代に広げられたかと想う。

 家は、中学時代に「もう、80年以上経っている」と言われていたから、現在すでに150~160年経過の建物と思う。中高の屋根が上段と同じく瓦屋根だったが、危険なので鉄板屋根に修繕したようだ。

 

 庭は手入れしていなかった。池があるのだが・・・。

 食事後、佐渡に渡ると欠かしたことのない真野御料への参拝に弟と車で出かけた。車で10分ほど。

 正式には、順徳院の火葬塚。同火葬塚は御料と同格の扱いで宮内庁の管理となっています。

火葬塚の外壁。

火葬塚の入り口。

 

 順徳天皇は、乱(所謂「承久の乱」と言われる)の首謀者として鎌倉幕府によって佐渡に流され、京に帰ることが叶わず、46歳で崩御、翌日、この場所で火葬し、京に帰られたと言われている。

 火葬塚に入る前の売店にある佐渡特産の赤玉石。売店経営者の奥さんにも挨拶しようと立ち寄ったが、あいにく欠席、従業員が自宅に電話を入れてくれ、お話しすることができた。ご主人の体調がすぐれないので欠席しているとのことでした。お大事に。

 帰りに街の花屋で墓参りの花束をたくさん購入する。また、実家までの帰りを利用して友人、知人数人に挨拶をして廻った。

 自宅に立ち寄り、お墓参りと実姉宅に向かう旨を告げる。

 10分ほどにある時宗大願寺に向かう。

 

 最近造られたようだ。時宗一遍上人の碑。

鐘堂。

 実家の墓に花やお線香を立てて、無事帰郷した旨を、また、皆 元気であることを報告した。

 親戚のお墓や、母の実家(昨日立ち寄った金丸のN家のお墓)の墓を廻り、花とお線香を手向けた。

 本堂に寄り、手を合わせた。

 以上でお墓参りは終わり、実姉のいる二見地区に向かった。

 ちょうどお昼ごろになってしまった。

 応接室に入り、10分間ほど話をしたがすぐに車で引き返し、甥っ子が河原田地区で経営しているレストランに入った。満員だったがあらかじめ電話していたので、端っこの席を開けてくれていた。

 食後の写真。実姉と甥っ子、姪っ子、弟、私の5人。

 1時間ほどお話しし、もう一度くるっちゃと言って別れた。

 実家に帰って一休み。

 午後4時30分ごろ、姪っ子から真野新町の炭火焼「登貴」に食事に行こうと誘われた。お付き合いのあるお店だそうで遠慮しなくてよいとのこと。

 姪っ子が気楽に注文してくれた。

 久しぶりに会うので話が弾む。

 料理も盛り沢山。食べきれず残す。疲れが出て来ている。

 1時間ほどで引き上げる。実家に帰って横になったら眠ってしまった。

 明日、明後日の二日間、鼓童が毎年夏から秋に開催する「アースセレブレーション」を実家で予約してあるとのこと。新潟に住んでいる姪っ子も帰ってくるので合わせて5名分のチケットを予約したあるので夕方,みんな一緒に小木方面に出かけようと。アースセレブレーションを観るのは初めて!!  感激。

 続き。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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