“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

ふるさと佐渡へ 第1日目

2024-08-20 12:42:14 | Weblog

  このお盆にふるさと佐渡へ向かうことになったのは、同級生のTさん(元佐渡市初代市長)との電話やり取りからだった。

 私、「あなたは、散々苦労して佐渡金山の世界遺産登録に努力したよね。それがやっと実が結びそうだね。おめでとうございます。登録が叶ったら同級生でお祝いを兼ねて有志で集まりたいね・・・」

 Tさん、「それはいいね。本当に苦労したよ。でも、もうホテルはどこも満杯のようだよ。当たってみるけど・・・。何人ぐらい集まるかなぁ~」。

 関東方面も今まで会合に集まったような人に友人のK君とともに声掛けが始まった。早速一人参加すると言ってくれたが、その他は、昨年帰ったとか、この春帰ったとかで集まりが悪かった。が私は、佐渡汽船のフェリーへの車の予約を入れ、運よく12日で予約が取れた。神奈川にお住いのK君は、私と一緒に私の車に乗ってゆくことになった。

 一方もう、佐渡金山の世界遺産登録の確定がされた後だったので、ふるさとのTさんから、「お盆の最中なのでホテルが取れない。また、宴会場が取れない」との連絡が入った。

 また、台風5号の様子がおかしい。8月6日ごろにはどうも北関東方面から秋田方面へとの予報が出たので、Tさんに宿泊場所が取れない、宴会場がないとどうしようもないので今回は中止にしよう」となってしまった。

 関東からのK君ももう一人の方も結局行かなくなってしまった。

 私は、佐渡汽船の予約を2日ずらして14日に予約しなおした。家内が一人では危ないというので、群馬にいる弟に声を掛けたら、「5年ほど佐渡に行っていないのでこのお盆に帰ろうかなと思っていたところだった。よい機会なので一緒に行きたい」と言ってくれた。

 運転代行が見つかり、安心して14日朝8時東京新宿区中落合を出発し、関越自動車道花園ICで下り、秩父鉄道線の花園IC近くの駅で弟を拾い、新潟港佐渡汽船に向かった。

 清水トンネルを過ぎたところでトイレ休憩。運転を弟と交代。

 14:00過ぎに新潟港佐渡汽船に到着した。諸手続き後、2階に上がって昼食を摂った。

 

 

新潟港佐渡汽船待合室には、佐渡出身の人間国宝佐々木象堂先生の作品「瑞鳥」や前文化庁長官宮田亮平先生の「イルカ作品」が展示されている。

 16時05分新潟港発のフェリー「おけさ丸」に乗り佐渡両津港に向かった。

佐渡に向かうおけさ丸の航跡。

船内5階の展望室内。

佐渡島が近づいてきました。

 

両津湾内に入ったところ。水津灯台。ここから両津港まで約15分かかります。

 この近くに来る前に客室から甲板に出て来て弟とベンチに座り、二人でここの思い出を語りだす。「あぁ~、ふるさと佐渡に帰って来たんだ。などなど・・・」。佐渡に在住している長姉(9拾余歳)から携帯に電話が入る。「今、どのあたりなんだっちゃ。もう佐渡に着いたのんか。首を長くして待っている」。「今、水津を過ぎたところ。もうすぐ両津だよ。ふたりとも元気だよ。〇〇に代わるね。明日、そちらに伺うね」と。いつまで経っても姉弟だね。

 車は、新潟では後部から船に乗せ、両津港では前部分が開き、車を陸にあげます。夕方の便も2階の車運搬場までほぼ満杯のようでした。

 私共は、陸に上がったのち、両津の街中を通り、本線 ⇒ 金丸線 ⇒ と。

 実家に帰る道筋には亡き母の実家のある金丸地区を通るので、先にN家に立ち寄り、仏壇で手を合わせ先祖を拝んだ。甥は、他地区で商売をしているが、午後7時を廻っていたので、自宅に帰っていた。

 しばらくお茶をご馳走になって近況を得て別れ、実家に向かった。

 実家のお姉さん、甥っ子が私たちを迎えてくれた。

 早速、仏壇の前に座り手を合わせ近況を報告した。

 続き。

 

コメント (2)
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